逃がさない
タイガ視点になります。
俺は大抵の事が苦労せずに出来た。
小さな会社で事務の仕事をする父親とスーパーで働く母親の間の長男として生まれた。
両方の祖父母もとりたてて金があるとかじゃなかったが初孫の俺をとても可愛がってくれた。
だから俺がいわゆる「普通」というやつから外れたのは親の育て方とか環境がどうとか世間でよくいわれるやつじゃないのは確かだ。
何で世間は何か問題を若いやつがおこすとすぐ親を出すんだ?
まあ、世間と言われる奴らのほとんどは自分も親になってるから、何か問題おこす奴が現れるたび、たいして出世できてなかったり思ったより生活のレベルが上がってない現実を自分の「親」としてはちゃんとしてるというバカな自信にすがりつくんだろう。
この国ではそれなりに生きてりゃそれなりに生きていけるから、ガキどもがクズレるのもオチルのもそれなり止まりが多い。
それを自分の子育てがいいからだと自負して勘違いして。
教育がここまで整った国で生きるのにバカはそれほど出ないだけだ。
俺は小さい時から「一を教えれば十を知る」子供で、初めは自分が生きやすいように、やがて俺が認めた俺を慕う奴らが生きやすいような場所を作った。
けれどそれも金も力も生きるのに充分なほどできるとそれ以上と思えずただ奴らのために生きてきた。
小さい頃から少し頑張れば大抵の事はできたし手に入った。
俺は欲望とか野望とか、「望み」とつくようなそれらがどういうものかわからなかった。
実際俺は俺自身さえつまらないものにしか感じられなかったし、愛情といわれるものを誰にも家族にさえも感じる事はなかった。
唯一数人の俺を慕う、そしてその能力を認めたやつらに対してだけは「群れ」のボスとしての何らかの感情はあったが、やつらが去ると言えば、「ああ」と言って終わるんだろうというのもわかっていた。
そんな俺に奴らは精一杯ぶつかってきて、泣いて、あきらめて、それでも俺がいいと慕ってくれた。
奴らがその存在をかけて俺を思ってくれているのは知っている。
だけど「知って」はいても俺にはそれがわからない。
だから俺には感情というのがないんだろうと思っていた。
だから俺はわからないなりに出来ることだけはした。
大事な事がわからない俺に出来るのは、こんな俺を慕ってくれる奴らをせめて精一杯守り笑っていられるようにする事だけだった。
必要以上のものは欲しいとも思わない俺なのに、覚えなくてもいい脅威を勝手に感じ敵対してくる奴らをはからずもつぶしていき、少しずつ俺の守る規模が大きくなっていく。
皮肉としかいいようがない。
ある日、敵対していた奴らに妹が拉致られ俺がそれを盾に脅迫された事があったが、俺は冷静にすぐに居場所は突き止めてはいたのに奴らがそれに胡座をかいて油断しているうちに、二度と刃向かえないようにいろいろと手を打った。
妹はそのあとすぐに救出したが当時中学生だった妹はその後引きこもった。
翔たちは俺にすまなそうにしていたが俺なんてそんなもんだ。
二つあればより良い方を冷静に選ぶ、感情に左右されるなんてない。
けれど宏大達は違うように受けとった、自分たちが足枷になったせいだと。
自分たちのために俺が大事な家族を断腸の思いで見捨てたのだと、より奴らは俺を盲信するようになった。
そんな俺がある日裏路地でボコられてる子供を拾った。
俺はしょっ中そんなボランティアまがいに人を助ける事なんてしない。
ボコられてる子供の目は何もうつさないただの黒で、そんな目をした奴らは腐るほどいるから放って帰ろうとした。
けれどもう一度なにげに目をやった子供はちょうど空を、殴られながら夜空を星さえない都会の夜空を、見たこともないような優しさで深い深い優しさとしかいえないそれで見るものだから俺は目が離せなくなった。
それはすぐに幻のように消え失せ、またあの何も映さない瞳に戻ったが俺は考える事をせずに、それすら後から気づいたがその時生まれて初めて衝動のまま行動した。
やがてその子供は俺の猫と皆に呼ばれ、やがてあの優しさの底がないような眼差しを俺にも向けてくれるようになった。
俺は初めて満ち足りるという事を知った。
けれどあの日、いつもの俺のお古の袖やすそをまくりあげてるジャージじゃなく、とても可愛くおめかしした姿で階下に降りてきて、その姿に茫然としてる間に止めるまもなく猫
が消えた。
一日中待った。
二日めも三日目も早く帰れと寝ないで待った。
四日目は店の外にずっといた。
猫は家に居着くんだと言ったのは誰だったか?
あの日猫は何て言ってた?わからない。
頭がぐるぐるして、ほとんど食い物も喉を透らない。
ここは猫の家じゃなかったのか?
俺は猫の事を何も知らない。
あまりにも満ち足りていて、もしそれを聞いて猫に里心がつくのが怖かったのもあるし、俺たちは強く結ばれているんじゃないかと感じてもいたから。
俺は猫が俺の懐からいなくなるなんて万が一にも考えてなかった。
猫は今が幸せだと何度も言って甘えてきた。
いつまでもいたいと言っていた。
俺もこれが幸せかと感じ猫がいなくなるなんて考えてもいなかった。
陽がまた登りだすころストンと思った。
猫は逃げた、やっとそう思った。
一瞬で血が沸騰した、これが怒りという感情か。
荒れ狂う俺は店に入り、俺に媚びをうる女を顔も見ずそのまま連れ込み久しぶりに女を抱いた。
潰れた女をほうりすて、また違う女を抱いた。
そこに翔たちが入ってきて何か喚いている。
どうでもいい、そう思っていたら「猫が」と聞こえた。
俺は抱きつく女をベッドから蹴りだし、すぐさま翔の胸を掴んで猫がどうしたと聞いた。
猫が戻ってきたとの言葉に急いで部屋を出たが、猫は今度こそ本当に俺のバカのせいで消えてしまった。
後悔、そんな生易しいもんじゃない。
俺はゆっくり死んでいった。
食べ物も受けつけないし猫が俺をいらないというのなら俺なんて本当にいらないと思った。
一気に死んじまいたいくらいだが、皆が俺に引っ付いて男のくせにオイオイ泣くんでどうも一気に死ぬ事が出来ない。
俺はやっぱり奴らには甘いらしい。
けれどこれだけ体重もおちたらそろそろダメだろうと思う。
今度生まれ変わったら絶対間違えない。
ずっと猫の側にいて離してなんかやらない。
どうやらボオっとして思っていた事が口に出てたらしい。
店の女で俺の守る人間の一人のナミが同じようにげっそりと窶れて、・・・本当にお前らも大概俺に甘い。
みんなして俺と同じように死んじまいそうな顔をしてる。
そのナミが、「そんなんなったって、だからって猫ちゃん戻って来ないんだよ!タイガにいつか本当に大事なものが出来たらいいってあたしら思ってたけなど、こんなになるなら・・・。やだよ、やだよ!タイガあんたはうちらを救ってくれた。あのクソみたいな所からうちらを助けてくれた。あんたはなんも欲しがんないでうちらの為に頑張ってくれて。それなのに」
そういって号泣する。
それに俺はお前らの買い被りすぎだと笑ってやりたいが声すら出すのが辛くなってきた。
医者を連れてきてもどこの馬鹿力か俺は暴れて叩き出すし、無理やり今度そういう事をすれば俺は一気に死んでやるとそう言った。
お前らのわがままを聞いてこうして生きているんだ。
俺のわがままも聞け、そう言って約束させ今はもう医者とのバカ騒ぎもない。
後のことも伝えてある。
俺は猫との未来にすがり死んでいく。
ナミとは違う誰かの声がやはり泣きながらのその声が聞こえてきた。
「猫はバカだよ、タイガ以上の飼い主なんていないのに。タイガもバカだよ、ヤケおこして!」
俺以上の飼い主?俺以上の飼い主!俺以上・・・。
俺はその言葉に愕然とした。
俺以外に誰かに可愛がられる猫を思った。
あの大事な可愛い俺の猫。
小さな小さな愛しい猫。
嫌だ!嫌だ!嫌だ!俺は狂おしいその感情に翻弄され、俺以外誰にも触れさせたくないし誰にもやらないと叫んだ。
それは声にならず酷いうなり声だった。
驚き涙がとまった俺を見る仲間にひび割れた声で言った。
「病院に連れていけ」と。
病院では初め匙を投げられたが俺は生きる事を決めた。
俺は何でも今まで出来た。
なら生きると決めた俺が生きられないはずがない。
入院の合間に皆に猫の行方を追ってもらった。
病院から俺は指示を出した。
ガキどもの口コミの力は侮れない。
もちろんプロはまっ先に頼んだがこちらは全然ダメだった。
プロの報告書はプロらしさのないお粗末なものだった。
ほら、これでまず一つの事がわかった。
俺の猫は力あるもののそばにいる、それもわずか五日で上がった報告書だ。
俺の猫は近くにいる。
俺は初めて欲望を知った。
その俺が全力で向かうんだ。
待ってろ、すぐにお前を取り戻してやる。
お前は戻ってきた時怖いと言ったと言う。
大丈夫だ、二度とそんなバカな事を考える隙もないくらい俺の思いをぶつけてやる。
俺のたった一つの欲しいもの、誰にもとられないように大事に大事にこの腕から二度と離さない。
信じられないスピードで回復した俺は唯一のものを取り戻すため、全力でここまで駆け上がってきた。
そうして今、日本の闇に君臨する杉野康平の元までようやくたどりついた。
その足元に寝そべる愛しい愛しい俺の猫を見る。
無邪気に眠るその姿に魂が、荒れ狂っていた魂が早く早く猫を取り戻せと叫んでいる。
俺の猫をわざとらしく撫でる手に、俺が傘下に入るただ一つの条件である愛しい猫に触るその手を視線で殺せるならば殺していただろう。
俺はあの猫のいない生きながら心臓に杭を打たれているような日々を思い出す。
俺のために奔走してくれた奴らを思う。
大丈夫だ、ここまできた。
俺は杉野が出す条件をクリアして猫をとりもどす、ただそれだけだ。
その気まぐれな冷酷さで誰もを恐れさせる杉野という男を真っすぐ睨みつける。
睨む俺にそれこそが望みとばかりにうっそりと物騒な笑みを浮かべる杉野。
俺もまた同じような物騒な笑みを浮かべている事だろう。
そこで可愛い俺の猫が目を覚ました。
あの杉野の手を簡単に振り払い出ていこうとする猫を見た。
それでこそ俺の猫だ、誰もをひれ伏させる帝王に何の遠慮も怯えもない。
あぁ、俺がいることに驚いたか。
猫が俺を見た、それだけで気持ちが高揚する。
すぐにそのまま出ていった猫に待ってろ、すぐに手に入れると誓う。
お前が猫でも人間でも自分をどう思おうがお前の全ては俺だけのもの、猫のお前も人間のお前も、なぁそうだろう?
俺は小さい頃から何も望まなかった、何の感情もなかった。
今ならその理由がわかる。
全ての思いを、感情、心、いろいろといわれるそれら全てをお前に捧げるために、ひとかけらも残さずお前に与えるために俺は使わなかっただけだ。