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波濤を越えて (3)

 数日後、オルムスが海岸沿いの道を散歩していると、

「おーい、お父さん」

 ティンラッドの大きな声がした。

 あたりを見回すと、崖の下から見覚えのある顔が突き出していた。手も振っている。


「そんなところで何をしているんだ、危ないじゃないか。いや、俺をお父さんと呼ぶなって言っただろう」

 何からツッコめばいいのかオルムスが迷っているうちに、ティンラッドは身軽な動きでひょいと道に上ってきた。


「海を見ていた。今日は風も波も穏やかだから大丈夫だ。前に一度、海が荒れているときに滑って落ちそうになったから、それからは天気のいい日しか下りないことにした」


 オルムスの質問に律義にひとつひとつ答える。そして、

「いいじゃないか、別に。俺はオルムスお父さんのことをお父さんだと思っているぞ」

 と最後の質問にも返答した。


「良くない。こんな大きな子供がいるのかと誤解されたら不名誉なんだよ。お前、いくつだ。そろそろ分別が付いてもいい年だろう」

 きちんと言ったほうが良さそうだと思って少し声を厳しくすると、


「この前、十三になった」

 と言われてオルムスは驚いた。

「まだそんな年なのか」

 ティンラッドは背丈がある。もう少し年がいっていると思い込んでいた。


「本当か?」

 上から下まで見る。並んだらティンラッドはほとんどオルムスと同じくらいの背丈だ。腕や脚、胴回りの筋肉はまだまだ薄いが、肩幅はしっかりしているから、鍛えていけばかなりの戦士になるだろうとは思っていた。


 まだ十三ということは、まだまだ背が伸びるということだ。

 体の大きさは戦士の才能のひとつでもある。将来この子はどれほど強い男になるのだろうか、とオルムスは内心で舌を巻いた。


「本当だ。館に行けば記録があるぞ。俺の借金はきちんと帳簿につけてあるって、いつも楼主さまが言っている。俺たちには見せてくれないけれど、お父さんはお客だから見せてくれるかもしれない」


 ティンラッドは何でもないように言う。客であってもそんな帳簿は見せてくれないだろう、とオルムスは思ったが、ツッコんでも意味はないので何も言わなかった。


 代わりに、

「で。いったい何をしているんだ。館の手伝いはしなくていいのか?」

 と尋ねる。下働きの子供にも海を見るくらいの休憩時間はあってもいいとオルムスは思っているが、他に聞くこともなかった。


「うん。海を見ていた」

 少年はもう一度、さっきと同じことを繰り返した。

「海を見るのは好きなんだ。毎日、違っているからな。朝と昼と夕方と夜とでも違う。見ていて飽きない」

 黒い目はじっと、水平線のあたりに注がれていた。


「なあ。お父さんは、あの海の向こうから来たんだろう?」

「そうだな」

「航海ってどんな風だ? 面白いか?」

「まあ、嵐が来なけりゃな」

「海賊は出るのか?」

「たまにはな。そういうときのために、俺たちが雇われている」


 普通の子供が船乗りに向かってするような普通の質問に、オルムスは淡々と答える。矢継ぎ早に聞いたあと、瞳を輝かせた少年は満足したようにため息をついて、

「そうか」

 とだけ言った。『いいなあ』とも、『自分も行ってみたい』とも言わなかった。


「……買い物でもしに来たのか?」

 海のこと以外、少年の口からは出てこなそうだと思って、オルムスはそう聞いてみる。ティンラッドは首を横に振った。


「神殿の神官さまが、魔術の講習に来いって言うから来た」

「ああ。お前、魔力持ちなのか」


 オルムスはうなずく。ティンラッドの年頃になると、どんな家の子も一度は神殿で魔力検査を受ける。魔力がある子供は、基礎の魔力操作を教わることになる。自分の才を自覚できないまま大人になると、その力を暴発させてまわりに危害を及ぼす可能性があるから、ということになっているが、オルムスは筋の良い子供を神官にするためではないかと思っている。


 魔力の高い子供がなる職業といえば神官か魔術師のどちらかだが、この二つはあまり仲が良くない。別にいがみ合っているわけでもないが、協力的でもない。適性のある人材を奪い合っているからだろうとオルムスは思う。


「だけど、それならこんなところでサボっていたらダメだろう」

 オルムス自身は魔力の適性はないが、友人や兄弟に講習を受けに行ったものはいる。みんな、朝から夕方まで神殿に閉じ込められて勉強させられ、文句を言っていた。


「ああ。俺じゃないんだ。俺は『もう来なくていい』って言われたし」

「はあ?」

「もう出来ているから来なくていいらしい。神殿の中に入るのは初めてだったから、もう少し見て回りたかった。もう来るなと言われて残念だった」


「はあ?」

 またしても、どこからツッコんだらよいのかわからなくてオルムスは悩む。とりあえず、

「初めてって、お前。普通、神殿には月に二回は連れていかれるだろう、礼拝に」

 と言うと、


「娼館の女と子供は穢れているから神殿に近付いてはいけないらしい。穢れていても入っていいと初めて言われたから、嬉しかった」

 と返されて、

「……そうか」

 としか言えなかった。


 娼婦やもの乞いなどにこそ救いを与えるべしという考えの神官もいる。そこまでではなくても、善男善女とは時間や場所を分けて礼拝させる神殿もある。けれど、この町のように『穢れた人間』を拒否する神殿も少なくはない。


 少年のころのオルムスにとって礼拝は退屈でつまらない時間で、神殿はご立派なだけの興味の持てない場所だった。だがティンラッドにとっては『やっと入ることを許された』、『もの珍しくて面白い場所』だったのだ。


「そうか。それは、残念だったな」

 となんとか言葉を続けると、

「うん。とても残念だった」

 少年はやはり真面目な顔でうなずいた。



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