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君と雛鳥と海渡り  作者: 讀茸
第三章 魔女裁判
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第三十六話 重傷の使用人を無理矢理連れ出したらしい

 ヒュノを横抱きにしたまま、階段を駆け下りる。

 医務室を探して廊下を走る間、ヒュノは私の腕の中で苦しそうに呼吸をするばかり。

 何度も名前を呼びかけても、何かを言おうと口を開けかけて咳き込むばかり。

 その様子を見ていられなくて、何も言わなくて良いと言った。

 ようやく見つけた医務室の中には、果たして誰もいなかった。

 いつもはいるはずの使用人がどこに行っているのか。

 上階での騒ぎを聞いて逃げ出したのだろうと考えて、そんなことを考えている場合じゃないと気付く。

 ヒュノを寝台に寝かせて、私は医務室の棚やら引き出しやらを漁った。


「……っ!」


 分からない。

 怪我人の手当ての仕方なんて知らない。

 その手の雑務は今までずっと使用人にやらせてきたし、戦場で傷を負うことなんてほとんど無かった。

 何かの液体やら、薬らしき瓶やら、布みたいな何かやら。

 医務室中を引っくり返して探しても、使えそうな物は一向に出てこない。

 そもそも、何が使えそうで何が使えないのかが分からない。


 ————ブルーメ、貴方医術ができるの?

 ————医術というほどのものでは……ちょっとした応急手当です


 死者の幻影が脳裏にチラつく。

 ブルーメがいれば、ヒュノの手当てもできたんじゃないか。

 そんなことを考えても仕方は無いのに。

 あの娘は私自身の手で撃ち殺したというのに。

 

「アイ、リス……様……」

「ヒュノ! 喋らなくて良いと————」

「包帯、を……そこの、棚の二段目に……」


 寝台の上のヒュノが、力無く手を上げて指差した。

 その指先が指し示すのは、医務室の隅に置かれた白い棚。

 私はそこを開けて、中から包帯を取り出した。

 円筒状に巻かれた白い布。

 私はそれを持ってヒュノの下へと駆け寄った。

 今までの記憶を総動員して思い出す。

 ブルーメがヨネの傷を手当てしていた時のことを。

 包帯の正式な巻き方なんて知らないし、ブルーメは包帯を巻く前にもっと多くの工程を経ていた気がする。

 だからといって何もしないわけにはいかず、私は記憶を見様見真似するように、ヒュノの傷口に包帯を巻いた。

 寝台の上のヒュノが苦しそうに喘ぐ度、本当にこれで良いのかと不安になる。

 そして、稚拙な手つきで巻き終えた包帯。

 寝台の上にヒュノを寝かせて、その姿を上から見下ろして気付く。

 私はこんな状態のヒュノを連れて行こうとしている。

 腹に風穴を開けられ、生死を彷徨うヒュノを終わりの見えない逃避行に連れて行こうとしているのか。

 ただでさえ死刑判決が出た上に、私は裁判所の警備兵を何人も殺した。

 もう騎士団に追われる身だ。

 そんな先の知れない度に、ヒュノを連れて行って良いのか?

 良いわけがない。

 すぐにでもヒュノは医者に診せなきゃいけないのに、騎士団から逃げている暇なんて無い。

 この屋敷にはすぐに騎士団が押し寄せるだろう。

 このままヒュノを置いて行けば、彼は保護してもらえるかもしれない。

 騎士団に保護され、医者の手当を受ければ、助かる可能性は十二分にある。

 私がヒュノをここに置いて行きさえすれば————


「…………」


 嫌だ。

 そんなの嫌だ。

 ヒュノを置いていくなんて絶対に嫌だ。

 そんなこと絶対許せない。

 でも、このまま無理に連れて行けば、ヒュノの命は————


「なに、してるんですか……アイリス様……」


 なんで、私はヒュノを気に入ったのか。

 こんなにも依存するようになったのは何故なのか。

 今更、私は思い出した。


「さい、ばん……負けちゃったんですよね……だか、ら、早く、逃げなきゃ……一緒に…………」


 ヒュノはいつも私の欲しい言葉をくれる。

 私に何も求めない。

 私に何も強要しない。

 私に何も禁止しない。

 いつも、その小さな体と白い翼で、私の欲望を受け止めてくれる。

 私のことだけを見て、私にだけ健気に尽くしてくれる。

 ヒュノだけが、私を私にしてくれた。


「そうね。一緒に逃げましょう」


 私はヒュノを背負った。

 逃げよう。

 誰の手も届かない場所に。

 誰も追いつけないくらい遠くまで。

 私はヒュノを背負って歩き出した。

 軽い体重を背中に感じながら、その息遣いを耳元に感じながら、異様に熱い彼の体温を感じながら。

 何かから逃げるように、私はゆっくりと歩いていく。

 医務室を出て、廊下を出て、玄関を出て、庭に出て。

 そうして、街へと逃げていこうとした時のことだ。


「まさか、間に合うとは思わなかったよ」


 空に浮かぶ人型のシルエット。

 黒髪の奥に碧眼を光らせた少年が、ゆっくりと空中から降りてくる。

 背中から生えた白の両翼は、ヒュノのそれよりも二回りも広く大きい。

 翼を広げて空から舞い降りる姿は、神の遣わした天使のようにも見える。


「ヒュノを返してもらう。アイリス・セイレンディス」


 庭に降り立った鳥人が、その碧眼で私に睨む。

 黒髪の鳥人が広げる白翼。

 私は生まれて初めて、単騎の戦力に恐怖を感じた。


     ***


 ウェリィ・バイザス。

 裁判所から直接飛行し、アイリスの私邸、その庭へと軽やかに着地。

 ヒュノを背負って逃亡を試みるアイリスの前に、白い両翼を広げて立ち塞がった。

 攻撃、防御、移動。

 あらゆる手段において、アイリスの魔術はオドマリア王国で最高峰だった。

 そんなアイリスに追いついたウェリィに、アイリスは生まれて初めての恐怖を感じていた。

 目の前にいる人間は、自分を殺し得る力を持っていると、アイリスの本能が警鐘を鳴らしていた。

 アイリスは庭の上にヒュノを寝かせ、彼をウェリィから守るように立った。


「心配しなくても、ヒュノに魔術を当てる気は無いよ」


 アイリスの所作を見て、ウェリィは淡々と忠告する。

 警戒心に満ちた目でウェリィを睨むアイリスとは対照的に、ウェリィの方は温度の無い無表情だった。

 危険も、不安も、まるで無い。

 自分が殺されるなどという心配は、微塵もしていない人間の顔だった。


「ここで殺すのは、お前一人だ」


 殺害宣言と共に、ウェリィは魔術を起動。

 当然のように無詠唱で放たれた不可視の斬撃。

 ノーモーションで放つ風の刃は、瞬きの間にアイリスへと迫る。

 アイリスは即座に水の鎧を前方に展開して防御。

 分厚い水の表面に、ザックリと切れ込みが入る。

 風刃が水鎧に衝突した際に発生した風圧で、アイリスの黒髪が激しく揺れた。


(風の魔術……? 威力は相当高いけれど、受けきれないわけじゃない。あれが最高火力なら、水の鎧で完封できる)


 ウェリィは一撃目が防がれたと見るや、すぐさま風の刃を連射。

 不可視の斬撃が絶え間無くアイリスを襲うが、生成された水の鎧がその悉くを受ける。

 深海のような暗い色をした、巨大な鎧のような水の盾。

 風の刃は幾度も切れ込みを入れるが、その度に水は継ぎ足されて再生。

 連射される風刃は、水の表面を裂いて飛沫を上げるのみであり、その奥に佇むアイリスを気付付けることはない。


(流石に硬いな。海鳴りの魔女と呼ばれるだけはある。……少し試すか)


 ウェリィは風の刃による攻撃を一時中断。

 右腕をかざし、魔術による生成物を創り出す。

 それは一見して槍のような何か。

 螺旋状に渦を巻くそれは、薄い青緑色をしていた。

 それはまるで、色の着いた空気が高速で回転しているような。

 荒れ狂う気流が一点に集約されたような。

 形を持たない螺旋の槍。


(何? あれ? ただの風属性じゃ————)


 アイリスの目に警戒の色が浮かんだ直後、青緑色の槍が放たれる。

 それは容易く水の鎧を粉砕し、アイリスのすぐ横を駆け抜けていった。

 分厚く重ねたはずの水鎧は一撃で霧散し、水飛沫のシャワーとなって降り注ぐ。

 アイリスの右頬には駆け抜けた槍の余波により、薄い切り傷が刻まれていた。


「外した。狙いを定めるのが難しいな」


 ウェリィがポツリと呟く。

 その淡々とした口ぶりが、アイリスを逆に戦慄させた。

 これだけの魔術を放っておきながら、ウェリィは平然とした態度を保つ。


「ま。見様見真似じゃ、こんなもんか」


 ウェリィが零した呟き。

 そこまで聞いて、アイリスは気付く。

 先程ウェリィが撃ち放った魔術の正体に。


(まさか、私と同じことを————)


 アイリスの使う水属性魔術。

 そのどれもが、生成した水を過度に圧縮することが基礎となっている。

 ウェリィはそれを模倣したのだ。

 空気を過度にまで圧縮し、槍の形として撃ち放つ。

 アイリスが愛用する水の槍とその原理は変わらない。


(私と同じことを、こんな鳥人が————)


 ウェリィ・バイザス。

 魔術に関しては未曽有の天才。

 しかし、穏やかな故郷で暮らしていたこともあり、実戦経験は皆無に等しい。

 幼少の頃から磨き上げられたアイリスの魔術は、ウェリィにとって絶好の学習教材だった。


「次は当てる」


 ウェリィは今のでコツを掴んだとばかりに、今度は三本の槍を同時生成。

 青緑色の螺旋が空中で渦巻き、アイリスへと狙いを定めた。

 自身の急所へと狙いを定める魔術を前にして、アイリスは驚愕のまま立ち尽くすことしかできない。

 人生で初めて目の当たりにする、格上の魔術師。

 絶対的な勝者として歩んできた人生の終わりを告げるかのように現れた、自らを凌駕する正体不明の魔術の使い手。

 もうお前は王者ではないと、突きつけられた螺旋の槍。

 青緑色に渦巻くウェリィの魔術が、アイリスには自らを食らう三つ首の竜のように見えた。

 ウェリィの魔術は、アイリスの肉体より先に精神を折った。

 無防備に立ち尽くすアイリスに、ウェリィが放った魔術が直撃する————


「————!?」


 直前、アイリスの前にふらりと現れた影。

 その姿を見て、ウェリィは放ちかけた魔術を止めた。

 青緑色の槍が空中で静止する。


「ヒュノ……?」


 アイリスが小さな声を零す。

 令嬢のミッドナイトブルーの瞳は、自分の目の前に立った少年に見入るように、大きく見開かれていた。

 ヒュノは小さな翼を精一杯広げて、ウェリィの前に立ちはだかる。

 翼を広げて向かい合うと、そのウィングスパンの差がより際立って見える。


「……どいてくれ、ヒュノ。ヒュノがそこにいると、その女を撃てない」


 ヒュノの行動に驚愕したのは、アイリスだけではなかった。

 ウェリィは碧眼を大きく見開き、その内心は動揺しながらも、努めて冷静に言葉を投げかけた。


「帰ろう、ヒュノ。その女は俺が殺す。俺が殺せる。もう、そんなヤツに従わなくて良い。一緒に帰ろう。俺達の故郷に。みんな待ってる。帰ったら、俺が飛び方を教えるよ。ヒュノだって飛べるようになる。もう何も心配しなくて良い。全部、俺がどうにかする。だから、どいてくれ。その女さえ殺せれば、それで何もかも終わるんだよ。ヒュノ、だから————」


 ウェリィの言葉は縋るようだった。

 帰ってきてほしい。

 一緒に故郷まで帰ってほしい。

 飛び方でも何でも教えるから、俺達のいる場所に戻ってきてほしい。

 そんな祈りと願いを込めた、縋るような言葉だった。


「やめて、ウェリィ……」


 小さく、掠れた声で吐き出したヒュノ。

 ひどく汗を掻いたヒュノは、その表情に重い疲労を滲ませていた。

 今にも倒れてしまいそうだ。

 腹に穴が空いているのだから当然だが、本当に辛そうな表情をしている。

 痛みに耐えて、耐えて、耐えて、それでも無理矢理笑うような、痛ましい顔だった。


「おねがい、だから……」


 ウェリィの碧眼に映った、ヒュノの瞳。

 必死に訴えかけるような金色の瞳が、ウェリィの動きを止める。

 あと一秒もせずに撃ち放てるはずの魔術。

 一秒後には叩きつけられるはずの攻撃。

 ウェリィはその一秒を超えられない。

 ヒュノの懇願が、ウェリィの精神を縛っていた。

 目を見開いて動かないウェリィの隙を縫うように、アイリスはヒュノを抱きかかえながら跳躍。

 足下から水を噴出して、空へと一気に飛翔していく。

 水の大量噴出によるアイリスの飛行。

 ウェリィにとっては一度見た技だ。

 彼の翼なら追える。

 むしろ、空は鳥人であるウェリィの独壇場だ。

 それでも、ウェリィはその場に立ち尽くしたまま、動けずにいた。

 形を留めていた青緑色の槍が、ゆっくりと霧散していく。


「ヒュノは……」


 呟くは少年の名前。

 かつて同じ故郷で暮らしたはずの同胞の名。


「今までずっと、何考えてたんだろ……」


 ウェリィはぼんやりと空を見上げる。

 碧眼に映った青空には、既にアイリス達の姿は無い。

 今度こそ完全に逃げ切られた。

 絶好の機会を自ら手放したウェリィは、掴めないものを掴むように、そっと空へと手を伸ばした。

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