謎の予言者
草花が咲く草原に、硬い木と木がぶつかり合う乾いた音が響いている。
荒い息遣いは一人のもので、時折気合いの篭った咆哮も聞こえるが、手応えはなさそうだ。
樫の木でできた木剣を手にヨハンとパウルは一合二合と打ち合うが、攻めているのはひたすらにパウル。
ヨハンはというと好き勝手に攻撃を仕掛ける剣を受け止め、往なすだけ。
「ぬうおりゃぁぁぁ!」
パウルは大きく振りかぶってからの打ち下ろしを放つ。
だがヨハンは素早く剣を上げてパウルの攻撃を受け止め、同時に滑らかな足運びで懐の間合いに入り込んだ。
「ぐはあっ!」
そのまま腹を叩かれたパウルは、肺に貯めていた酸素を吐き出し苦しそうに倒れ込んだ。
真剣ならば即死といったところだろう。
「ほら、立て。軽く打っただけだし鎖帷子を着ているんだから大したことないだろう」
「ぐっ、ああ、お前の俺に対する憎しみがなければこんなに効かねえんだろうな」
「悪いがそこは制御のしようがない」
「くっそ! もう一度行くぞおら!」
立ち上がり再び打ち合うが、結果は相変わらずだ。
大振りな一撃は軽くいなされてしまうし、細かく速い攻撃を心掛けたとしても、全て防がれてしまう。
日が高く昇り一日で最も暑い時間まで続けられたが、次第にパウルの動きは鈍くなり、最早打ち合いに行く足元すら覚束ない。
そして、ついに自ら膝を付いてしまった。
「だぁー! くっそ! 何で俺の攻撃は全くかすりもしねえんだ! 攻撃方法だって色々工夫してんのに!」
滴り落ちる汗を拭い、目の前にいるまだまだ余裕たっぷりのヨハンを見上げる。
あれだけの攻撃を加えたというのに息を全く切らしていない事がパウルには驚きだった。
「稽古をつけてまだ数時間だぞ。そんなんで俺に一撃与えようなんて甘過ぎる。もし一年以内に俺に一撃当てることができたら土
下座でもなんでもしてやるよ」
「てめえ、ヨハン。今の言葉忘れんじゃねえぞ」
「もちろんだ。さぁ、続きと行くか」
「ぜってぇブチかます!」
言うことを聞かない足に鞭打ち立ち上がったはいいが、一撃当てられる気は正直していなかった。
自然体で立ち尽くすヨハンは特別構えているわけでもないのに全く隙がない。
ヨハンの周囲はまるで剣の結界だ。
正攻法でいっても確実にはね返されるだろう。
何か、何か手はないか。パウルは頭を回転させて奇策を思いつこうとしていた。
「どうした? 威勢だけで今回は来ないのか?」
「う、うるせえ! 調子乗ってねえでお前からも来てみろってんだ! お高く止まってんじゃねえぞ!」
「ほう。ならば遠慮なく」
一歩踏み出すヨハン。
そのたった一歩が物凄い圧力となってパウルをたじろかせる。
一歩踏み出されれば一歩下がりということを繰り返し、二人の距離が縮まらない。
「逃げてちゃ稽古にならないだろ。腰抜け」
両手を広げ打ち込んで来いと促す。
「戦術を錬ってんだ!」
と、その時。パウルの視線がヨハンの後方に向けられ、表情も狼狽したものに変わる。
切れ長な目を見開き、次の瞬間には叫んでいた。
「ゴブリンだ!」
「何!?」
ヨハンの反応は凄まじく早い。
身を屈めて振り返り、同時に木剣を手放し背中に掲げたツヴァイハンダーを抜いていた。
しかし。
がつん! と頭に衝撃を受けたヨハンがよろけた。
「よっしゃぁ! 一撃かましたぞ! 土下座だ、土下座ぁ!」
歓喜の叫びを上げているのはパウルだった。
小躍りして、土下座を連呼している。
どうやらゴブリンがいるというのは嘘で、騙し振り向かせたヨハンに木剣を振り下ろしたのだ。
だが、ついていい嘘と悪い嘘があるならば、パウルの嘘は間違いなくついてはいけない。
当然だ。魔物が出現する可能性が本当にあるというのに、あろうことかそれを悪用したのだから。
有頂天のパウルがふとヨハンを見ると、そこには全身から漲る怒りのオーラを隠しきれない後ろ姿があった。
一気にパウルの表情が抜け落ちる。
振り返ったヨハンの顔は口元こそ微笑しているものの、一切目が笑っていない。
「パウル。お前ふざけてるのか?」
口調も静かに問いかけるようだが、これは間違いなく嵐の前の静かさだ。下手を打てば……死ぬ!
今こそ得意の口八丁を駆使して逃れる方法を模索するしかない。
「いや、ほら風で揺れる草の動きがゴブリンに見えてよ……いやぁ、全然違ったなぁ」
「何が可笑しい?」
ろくな言い訳も浮かばない。
第一、口八丁な事を知っている相手に通用するはずもないし、まったく聞く耳も持っていない様子だ。
「くそ!」
次の瞬間には脱兎の如く逃げ出すパウル。
「ふんっ!」
しかしここでもヨハンの動きは素早い。
落とした木剣を拾うと、逃げる背中目掛けて投擲したのだ。
「うごっ!?」
回転して飛来する木剣は見事にパウルの背中を捉えて、前方に思い切りよく吹っ飛んだ。
「次にやったら殺すからな」
「ぐっ、お前が言うと冗談に聞こえねぇ。ちくしょう、悪かったよ。ちゃんと真面目にやるから」
よろよろと立ち上がり、木剣をヨハンに投げ渡す。
「くっ、鎖帷子着てるのに今の一撃はめちゃくちゃ効くぜ」
「だろうな。鎖帷子は刺突や斬撃に強い耐性があるが、打撃にはほぼ無力だからな」
「てめえさっき、鎖帷子を着てるから痛くないとか言ったよな?」
「思い込みはときに思いがけない力を発揮するからな。おかげで大して効かない気がしてただろう?」
「ふざけやがっ……て!?」
再び驚愕の表情を浮かべるパウル。
演技ではないと、直感的に感じたヨハンは振り向いた。
数歩の距離の所にまるでずっとそこに佇んでいたかのように、一人の人物が立っている。
いや、人かどうかも正確には分からない。
黒いローブを身に纏い、深々と被ったフードで顔も見えない。
ただその佇まいは尋常ならざる者であることは、ヨハンの猛者としての勘が告げていた。
「何者だ?」
構えてこそいないが、不審な動きがあればすぐに対応できるようにツヴァイハンダーをしっかり握る。
「黒い風が渦巻いておる」
老齢な男の声。
言葉の意味は理解不能だった。
「黒い風?」
「闇の化身が世界を蝕み、世界が絶望に包まれし時。勇者は立ち上がらねばならぬ。ヴィデトの塔に登り、ウラノス島を見よ。マナの力を得て闇を打ち払う力を付けよ!」
そう告げると突然、旋風が謎の男を包み込んだ。
巻き上げられた砂塵に視界を奪われた二人が次に目を開けた時、その男は現れた時と同様一瞬にして消えていた。
男の言葉は理解し難いものだったが、始めの方に言っていたことは大魔神デストロイアルによって世界が闇に飲み込まれようとしているという主旨に違いない。
後に続いた言葉も断片的ながらしっかりと頭に入っていた。
「勇者……ヴィデトの塔……ウラノス島……マナ」
「おい! 今の誰だよ。てか何でいきなり現れたり消えたりするんだよ!? あいつの言ってたのどういう意味だよ?」
虚ろに呟くヨハンに駆け寄り捲し立てるパウル。
はっとなったヨハンはそれまでパウルの存在をすっかり忘れていたし、外にいるにも関わらず周囲への警戒すら怠っていたことに気付く。
「俺が知るかよ。とりあえず一回村に戻るぞ」
「お、おう」
二人は馬に跨りハーキュリーズの村へと走らせた。