ヴィデトの塔
世界を東西に分ける形で縦断する大海セシリア海。
この海の真ん中に前人未踏の島がある。
荒波に削られた島は切り立った崖のようになり、船が漂着できる場所は一切ない。
その上、島は高い岩山に四方八方を囲まれており内部の様子を伺い知ることもできないのだ。
唯一分かることは島の上空には常に分厚い雲が掛かっているのだが、その雲にはぽっかりと穴が空いており、その穴からは一年中一筋の光が島に降り注いでいること。
それはまるで天空世界とこのラー大陸を繋ぐ光の橋の様であり、遥か昔の識者がこの島こそ神々が降り立つ島であると言い伝えた。
そのことが由来となり、この島は神々の世界に最も近い島として、ウラノス島と名付けられたのだ。
かつてのシャインガーデンと同様に、ウラノス島も神聖な地として一部の宗派から崇拝されたが、勇者ボルグが魔王を討ち果たしてから間もなく、ある不吉な予言が世界中をかけ巡った。
その予言を言い残したものは常に何処からともなく人々の前に現れ、魔道士然とした風体に人々が恐れ嫌う中、声を大にして忽然と言い放ったのだ。
「闇は終わらない。邪悪なる者は果てしなき力を宿し、再びこの世界に現れるだろう! 災いはウラノス島よりやってくる。ウラノス島を監視する塔を建てよ! 十字に交わるその地に破邪の呪法を宿した護符を掲げるのだ! さすれば脅威は出こと叶わぬ!」
魔王の脅威が記憶に新しかった当時の事である。
人々はその予言を恐れ信じ、塔の建設を急げと一部の地域では暴動が起き、混乱をきたすほどの影響であった。
そこで世界各国の王たちは世界会議にて、ウラノス島を中心に東西南北それぞれ各所に塔を建設することを決定した。
そのうちの東の塔に当たるのが、アスタード大陸西の外れに建つヴィデトの塔である。
ヴィデトの塔が完成した当初はインがドル王国の兵士たちが交代で駐屯していたのだが、五十年も経つと世界から魔物に対する恐怖は薄れ、険悪な関係にあった北方のドミディ王国が侵攻の気配を見せたこともあり、ヴィデトの塔に兵士を置く制度は廃止された。
ウラノス島を監視する役目を失したヴィデトの塔は、辺境の地に建っていることから役立つ機会もなく、存在そのものが忘れ去られることになったのだった。
そんなヴィデトの塔の存在をヨハンたちが知っているはずもなく、ハーキュリーズの村に戻った二人は雑貨屋の老主人を訪ねた。
村一番の物知りがこの老人であり、困ったことがあれば何かと頼りになる存在である。
雑貨屋の扉を開けると、カウンターの奥で暇そうに頬杖を付いていた主人が背筋を伸ばしながら二人を見た。
「なんじゃ? おまえら二人が揃って来るなんて珍しいのぉ。何事かあったのか?」
少々驚いた様子の老主人だが、ヨハンがパウルに修行を付けていることを知らないのだからそれも無理からぬ事である。
この二人が犬猿の間柄なのは村では周知の事。
泥にまみれたパウルを見た主人は、品物棚から薬草の束を取り出しパウルに投げつける。
「何だよ、じっちゃん。別に俺は怪我なんかしちゃいねえぞ?」
「そうなのか? 汚れた身なりだからてっきりヨハンにボコボコにされたのかと思ったわい」
嘲笑する老主人。
小馬鹿にされた事に気を悪くしたパウルだったが、薬草はちゃっかり自らの道具袋に仕舞い込む。
「ところでじっちゃん」
「ん? 何だヨハン?」
「ヴィデトの塔って知ってるか?」
謎の人物のことは話さず目的地となる塔のことを訊ねる。
白髪混じりの眉をひそめて、老主人は顎髭を撫でた。
「ヴィデトの塔じゃと? 知らぬではないが詳しいことは分からぬぞ?」
「ああ、歴史や難しい話はいいんだ。何処に在るのかが知りたいんだ」
「場所か。それなら分かるが、お前たち行くつもりなのか? 遥か昔に廃塔となったと聞いておるし、そんな場所に何用じゃ?」
不審感を色濃く見せる老主人をヨハンは笑顔で諭す。
「まあまあ、じっちゃん。俺達はもうガキじゃないんだぜ? そんな心配そうな顔してやたらと詮索するなよ」
砕けた調子でそう言われると、老主人は一瞬目を丸くした後、破顔して声を上げて笑った。
「わっはっは! こりゃあ、騎士大将様にとんだ失礼をしたわい! 老婆心とは儂も老いたのぉ」
「ガキの頃から面倒見てもらってるからな。で、場所は?」
「ああ、場所はな。まず村を出て丘を下る。そのまま道なりにずっとずっと進んでいくと街道にぶつかるんじゃ。ヨハンはそこまでの道には明るかろう?」
「ああ、訓練所はさらに先だからな」
うむ。と頷き続ける老主人。
「街道を東に進めば村や宿場町を越えた遥か彼方に王都インガドル城があるが、ヴィデトの塔に行くには街道をずっと西に進むんじゃ。西へ西へ行くと街道は南に折れ曲がるんじゃが、そのまま西に進める細い僅かな道がある。ヴィデトの塔はその道をずっと進んだ先、海へ出た所に悠然と聳えておる」
ヨハンが顎に手を当て視線を下げて思慮深く呟いた。
「なるほど。街道を南に進んだ先にあるスメロスト砦は俺が訓練に出向いているからよく知っているが、西の道は確かに行ったことがないな。気にはなっていたが」
「うむ。その細い道も昔々にヴィデトの塔を建てるために整備されたものらしいから、用済みになった今は獣道が続くのみかもしれん。さらにそこら一帯は生い茂る森の中じゃ」
そこまで聞きパウルが不思議そうに首を傾げる。
「何だ何だ? やけに詳しいじゃんかじっちゃん。さてはヴィデトの塔に行ったことがあるな?」
老主人は図星を突かれたらしく、噴き出し笑う。
「はっはっは! 若気の至りじゃ! もう五十年も前のことじゃよ。じゃがな」
笑い顔から一転、真剣な眼差しで二人を見る。
ヨハンはその顔を見て、子供の頃に悪さをしてこっ酷く叱られた記憶を思い出し、今の老主人は重要な事を言おうとしているのがわかる。
「当時儂らも冒険のつもりで行った。じゃが! 魔物なぞは存在していなかった! じゃが今はどうじゃ!? 凶暴な魔物が現れ近くの草原に出向くだけで危険だらけじゃ。ましてや道中は地の利も効かぬ。ヨハンよ」
名を呼ばれすっと背筋を伸ばし、鋭い視線をしっかりと瞳で受ける。
「無双の騎士大将も所詮は人の子。森に入ればお前といえど忽ち命の危険に晒されるぞ。更にお前は守りながら闘うことを強いられる。パウル」
今度はパウルの顔をじっと見つめる。昔のおっかなかった老主人の記憶が呼び起こされたか、パウルは萎縮気味に見つめ返す。
「お前もヨハンに守られるだけではいられん。自ら魔物と相対し倒す覚悟がなければ死を待つのみじゃ」
縮こまっていたパウルだったが不意に顔を上げ胸を張る。
「じっちゃん! 俺はな、もう既に魔物と闘って何匹も仕留めているんだぜ! 村を守らなきゃいけない俺がヨハンなんかにお守りされてられるかよ!」
「じっちゃん。心配して厳しいことを言ってくれてありがとう。でも俺は負けねえよ。足手まといが一人居ようが、ついでにそいつも守ってやるさ」
二人の熱意を真剣に聞いていた老主人も、目を閉じ深く溜息を吐いた。
「わかったわい。それほどの意志があるなら心配いらぬな。目的は知らぬが、気を付けて行ってこい! それとな、守る人数は変更じゃな。お前たち二人で行く気になっとったようじゃが三人じゃぞ」
「は?」
ヨハンとパウルは同時に呆けた声を洩らす。
「ほれ、見てみい」
老主人が指差した窓に目をやると、そこには頬杖を付きながらにこにこと微笑むユリアの姿があった。
面白そうね。私も行くわ。とその表情が言っている。
「ま、待て! ユリア。外は危険だからお前は村にいろ!」
「そ、そうだぜ! 遊びってわけじゃねえんだから」
二人揃って吃りながら制止を試みるが、効果がないのは言っている自分たちでも分かる。
紺碧の大きな瞳がいたずらっぽく細まり、涙袋が浮かぶ。
「あら? ヨハンが自分で言ったんじゃない? 外に出るなら俺がいるときにしろって? パウル? 私を魔物から守ってくれるって言ったわよね? 確かつい昨日のことだったかしら」
「ぐっ……」
言葉に詰まり口をもごもごさせるだけの二人を見て、老主人が言った。
「無駄じゃわい。一度こうと言ったら聞かんのはユリアが一番じゃ。観念して連れてけ」
「ふふっ、ありがとう。おじいちゃん」
二つの大きな溜息が雑貨屋内に響き。
「明朝出発だ」
とヨハンが諦めたように言った。




