第1章06 旧友との電話
~志保side~
午後の会議で使った資料を片づけていると、内線が鳴った。
「はい、宮坂です」
「理事長、川越校から緊急の報告です。午後の実習中、学生と引率教員が強制イベントに巻き込まれました」
いくつものダンジョンで、突然イベントが始まったという話は耳にしていた。うちの学校の実習先まで含まれていたらしい。
「校長先生は?」
「学校で対応を指揮しています。連絡の取れた教員から学生の状況を確認し、配信も手分けして見ているそうです。経過報告が届いています」
「こちらへ回してちょうだい。校長先生には現場を優先してもらって。必要な支援があれば、遠慮なく言ってほしいと伝えて」
「承知しました」
届いた報告には、川越石回廊で実習していた学生たちが、引率教員ともども別の場所へ転移させられたとあった。今回のイベントは、死亡しても復活できると告知されている。それでも、命が戻るからといって、戦いの恐怖まで消えるわけではない。まして経験の浅い学生たちだ。
幸い、学校側の動きは早かった。連絡がついた者から状況を聞き取り、帰還後の集合場所も教員の間で共有している。負傷者が出た場合の受け入れ先についても確認中だという。
報告に、実習生たちの配信先がいくつか添えられていた。私はその一つを開いた。大庭陽菜さん。入学してまだ3ヶ月ほどの学生で、転移したときは担当の先生や同じ班の二人と離れ離れになったらしい。
画面には石畳の広場が映っていた。配信者を少し後ろから追う方式なのだろう。槍を持つ陽菜さんの姿と、その先で盾を構える男性が一緒に見える。剣を持つ女性が敵の横へ回り、弓の青年が後方から援護していた。
陽菜さんは緊張している様子だったが、逃げ腰にはなっていない。目の前へ来た魔物に槍を向け、自分の持ち場を守ろうとしている。
いい子ね。怖いでしょうに。
そのとき、画面の端を灰色の頭が横切った。
「あら?」
防具らしいものを着けず、古びた直剣を下げた男性。敵との距離を測るときの間の取り方も、足の運びも、見覚えがありすぎる。
「……咲雄じゃない」
思わず笑ってしまった。どうしてあなたが、うちの学生と一緒にいるのよ。
咲雄は敵を一体斬り伏せると、その場に居座らず、別の通路へ視線を向けた。盾の男性が構えを変えるより少し早く、そちらから新しい敵が現れる。懐かしい動きだった。配信のコメント欄には、彼に驚く声が次々と流れている。
私はしばらく画面を眺めていたが、机の上で端末が震えた。川越校からの追加報告だ。配信を脇へ寄せ、教員との連絡状況と、帰還後の対応に不足がないかを確かめる。
次に画面へ目を戻したとき、広場には大きな巨人が現れていた。
「まあ……あれはまた、大きいわね」
咲雄の手には、さっきまでの直剣ではなく、長い柄の付いた武器がある。巨人は彼を追って柱から離れていき、ほかの四人は持ち場を崩さずに戦っていた。
その光景を見て、私は少しほっとした。咲雄が相手なら、巨人を引き受けられるかどうかよりも、残った四人がきちんと柱を守れるかが気になっていたのだ。
巨人が膝をつき、とうとう倒れる。思わず「お見事」と声に出してから、私は配信を閉じた。
日が傾く頃、川越校から改めて連絡が入った。実習に出た学生と教員は全員の所在が確認できたという。負傷の確認や帰宅の手配など、学校側の対応はまだ続いている。大庭さんの班にいた二人も、三浦先生と連絡が取れたそうだ。
必要な指示を済ませ、書類の最後の一枚に目を通す。仕事はまだあるけれど、ひとまず急いで判断しなければならない案件は片づいた。
そこで、昼間の灰色の頭を思い出した。
そういえば、咲雄とはしばらく話していない。あの人、今日の出来事をいったい何と言うかしら。
私は携帯電話を手に取った。
~咲雄side~
帰宅してシャワーを浴び、少し横になって休んでから、ようやく料理する気持ちになってきた。
今日はとんだ寄り道をしたが、目当ての食材はちゃんと手に入った。せっかく富士宮まで行ったのに、あの尾肉が出なかったら、また出直すところだった。
台所で収納から真空パックを取り出す。マグマイグアナの尾肉、0.8kg。封を切ると、思っていたより厚みがある。今日食べる分を大ぶりに切り、残りは冷蔵庫にしまった。
塩を振った肉を鍋で焼くと、表面からいい香りが立った。いったん皿に取り出し、同じ鍋で玉ねぎとにんじんを炒める。野菜がしんなりしてきたところへ肉を戻し、トマトと水を加えた。あとは弱火でじっくり煮込めばいい。
蓋を少しずらしたところで、玄関の方から携帯電話が鳴った。そういえば上着のポケットに入れっぱなしだったな。
火加減を確かめてから取りに行く。画面に出ている名前を見て、思わず笑みがこぼれた。
「もしもし、志保?」
「ええ、私。今、話せる?」
「大丈夫だよ。夕飯を煮ているところだから」
「あら、邪魔しちゃったかしら」
「鍋が勝手にやってくれてるよ。どうしたんだい、珍しいね」
「今日はあなたを見かけたものだから、声を聞きたくなって」
見かけた? 俺は朝から富士熔脈回廊へ行って、そのまま帰ってきた。志保とすれ違った覚えはない。
「どこで?」
「オラクルよ。うちの学生の配信に映っていたの」
「ああ、あの防衛戦か」
「槍を持っていた女の子、覚えてるでしょう?」
「大庭さんだね。よく頑張っていたよ」
「川越校の学生なの。あの子の配信で見つけたのよ」
「へえ。世間は狭いなあ」
まさか、あそこで一緒になった子が志保の学校に通っているとは。
「それで、学校は大丈夫だった?」
「実習に出ていた人たちの所在は確認できたわ。まだ手当てや帰宅の調整をしているけれど、先生方が対応してくれている」
「そうか。大庭さん、途中で先生とは連絡がついたんだけど、友達二人を心配していたんだ」
「同じ班の子たちとも、そのあと連絡が取れたそうよ」
「それならよかった。帰ってから安心できただろうね」
あの広場で、何度もスマートフォンを確かめていた姿を思い出す。あの子にとっては、どんな報酬より嬉しい知らせだっただろう。
「まさか学生の配信で咲雄の姿を見るとは思わなかったわ」
「俺も、まさか学校の理事長に見られてるとは思わなかったよ」
「あの古い剣、まだ使ってるのね」
「一番手になじんでるからね」
「それで、今日は何をしに潜ってたの?」
「夕飯の材料だよ」
「……夕飯?」
「マグマイグアナの尾肉。なかなか出なくてね。三体目でやっと手に入ったんだ」
「そう。それで、今はその尾肉を煮ているのね」
「うん。焼いてからトマトで煮込んでる。ちょっと楽しみなんだよ」
「声が弾んでるわね」
「朝から楽しみにしてたからね」
「ふふ。あんな騒ぎに巻き込まれても、夕飯の楽しみは変わらないのね」
「そりゃあ、あの場では必死だったよ。でも、みんな無事に帰れたしね」
「ええ。それが何よりだわ」
志保の声も、少し和らいだ気がした。
「それで、体の方は大丈夫なの?」
「重いのを振った分、腕は少し疲れたよ。でも帰って休んだから、もう平気だ」
「そう。それならよかったわ」
「なんだい、今日は小言なしかい?」
「ちゃんと休んだのなら、文句はないわよ」
「それは助かるね」
思わず笑う。こんな軽口も久しぶりだった。
「そういえば、どうして俺だって分かったの? あの配信、俺のじゃないんだろう」
「画面を横切ったの。後ろ姿だけだったけど、すぐ分かったわ」
「背中だけで?」
「何年一緒に潜っていたと思ってるのよ」
「それもそうか」
自分では何か特別な歩き方をしているつもりはないんだが。志保には昔からいろいろ見抜かれていた。修司や高瀬と四人で潜っていた頃が、ふと懐かしくなる。
「大庭さんも、あの戦いはずいぶん勉強になったでしょうね」
「うん。終わってから、俺が何を見て動いてたのか聞かれたよ」
「あら、そうなの?」
「昔の配信を探したけど、見つからなかったって。それで、今度から俺の配信を見てくれるそうだ」
「あなた、相変わらずアーカイブを残していないものね」
「今さら残しても、誰が見るんだか」
「今日のコメント欄、見なかったの?」
「見てないよ。帰りも遅くなったしね」
「大庭さんの配信でも、あなたの動きに驚いている人がたくさんいたわ」
「そうなんだ。俺の方は戦ってたから、コメントまでは見てなかったよ」
「きっと今度は、あなたの配信を見に来る人も増えるわよ」
「そうだね。大庭さんも、次は俺の配信を見てくれるって言ってたし」
「その子だけじゃないと思うわよ」
「へえ。でも、普段の探索を見て面白いものかなあ」
「戦いの派手さだけを見たい人ばかりじゃないでしょう?」
志保の声が少し真面目になった。
「大庭さんが知りたかったのは、どこを見て、いつ仲間に任せて、何を自分で引き受けたのか。そういうことじゃないかしら」
「そんな大したことは考えてないよ。柱の周りは深沢さんたちが守ってくれていたし、俺はあの大きいのを離すのが先だと思っただけで」
「今、ちゃんと説明してるじゃない」
「え?」
「そうやって、何を見て、どう決めたかを聞きたいのよ」
そう言われると、確かに大庭さんも似たことを尋ねていた。俺にとっては普通の判断でも、初めてああいう防衛戦を経験した子には、気になるところがあるのかもしれない。
「ねえ、咲雄。今度、うちの学生たちに話をしてもらえない?」
「俺が?」
「ええ。きちんとした講義じゃなくてもいいわ。今日のような場面で何を考えて動くのか、少し話してもらえたらと思って」
「いやあ、人前で話すのは苦手だよ。志保の学校なら、もっと向いてる先生がいるだろう」
「授業は先生方がしてくれてるわ。そのうえで、実際にあの場にいた人の話を聞かせたいの」
「だったら、大庭さん自身の話を聞く方がよくないかな。あの子だって、頑張ったんだから」
「もちろん、あの子たちの話も大切よ。でも、学生の目には見えていなかったことが、あなたには見えていたでしょう」
言われてみれば、そうかもしれない。ただ、誰かと一緒に戦うのと、人前に立って話すのとでは勝手が違う。
「何を話せばいいか、すぐには思いつかないな」
「そこは一緒に考えるわ。まだ日程も何も決めていないし、無理にお願いするつもりはないの」
「……じゃあ、少し考えさせてくれる?」
「ええ。返事は急がないわ」
それから少し、修司や高瀬の近況を聞いた。二人とも忙しくしているらしい。昔と違って気軽に四人集まるのは難しいが、声を聞けばすぐに昔の調子に戻れるものだ。
「じゃあ、また連絡するよ」
「楽しみにしてる。あ、咲雄」
「何?」
「鍋、そろそろ様子を見た方がいいんじゃない?」
言われて時計を見ると、思ったより時間が経っていた。
「おっと。ちょっと見てくる」
「ふふ。じゃあね」
電話を切って台所へ戻る。蓋を持ち上げると、トマトの香りと湯気がふわりと広がった。肉に箸を入れてみる。もう少し煮た方がよさそうだが、なかなかうまくできている。
学生に話をする、か。志保は簡単に言うけれど、相手が知りたいことを、ちゃんと言葉にできるだろうか。
考えながら味を見て、塩をほんの少し足す。まあ、返事は急がなくていいと言っていた。今夜は、せっかく手に入れた尾肉の方を先に楽しもう。
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