第241話 夜見、オフィスを借りる
月読ランドマークタワーの外に出た夜見ライナと屋上雪は、
その足で地元の不動産屋「高松不動産」に向かった。
なんてことはない、学生向けの寮やアパート賃貸がメインの普通の不動産。
だから自分たちにも借りれる値段のオフィスがあるだろうと考え、二人は足を踏み入れた。
「「おじゃまします……」」
「はい、いらっしゃ――」
彼女たちに深い意図はない。
しかし店の奥で事務や経理作業を行っている十名ほどの社員たちは、
店の空気が変わったことにわずかに興味を持ち、店先を見た。
瓶底眼鏡をかけた中年男性部長はひと目見たとたん、緊張で身震いをした。
なぜならこの香川県高松市に巨大帝国を築き上げている、
月読プラント代表CEO「遠井上願叶」の子女、
夜見ライナが繁忙期直前の二月初旬にやってきたからだ。
そうこの中学女児、スマホ嫌いが災いして常に情弱だが、
世間一般からの認知度は脅威の90%超えで、人気度は常にカンスト一位。
本来は興味を持ったモノを呟いただけで売上が百倍になり、喋っただけでネットニュースランキングのトップを独占する超有名インフルエンサー系魔法少女である。
簡単に言うと今年の売上を左右する絶好のタイミングで超VIPのご来店である。
高松不動産に空前絶後の一攫千金チャンスが到来した。
しかし夜見ライナはそのことを自覚していない。
「……君たち、仕事に戻りなさい。私が対応するよ」
瓶底眼鏡の中年男性は周囲の社員に「手出し無用」と宣言し、
なんとしても契約を取るべく長年鍛えた愛想の良い営業スマイルで窓口に座った。
「いらっしゃいませ。高松不動産にようこそ。
どのような物件をお探しですか?」
彼の誤算は夜見ライナが情弱であるという一点。
「わ。雪さんどうしましょう?」
「うん、私が対応する」
そして幸運は、同行者となった屋上雪が情報強者で、
高松学園都市に関するさまざまな情報を知っていたことだ。
「実は私たちでも借りられるオフィスを探しています。
理想では、十人ほどで働けるスペースが欲しいです。
予算はどれくらいかかりますか?」
「なるほど……オフィスルーム。
最近はいろいろと値下がりが多いもので、
学生のお二人にもちょうどいい値段のものがあります。
こちらの十五坪、おおよそ五十平米前後のワンルーム、
給湯室付きのオフィスが今なら月五万円。どうですか?」
瓶底眼鏡の中年社員はノートパソコンを操作して住居情報を表示する。
本社ビル街の外側にある高層ビルの一部屋だ。
オフィスというよりは共同生活用の部屋に近い。
「うーん……ワンランク下げると?」
「そうですね、応援価格物件として十坪ワンルーム、
およそ三十平米で月三万円のお部屋がございますね。いかがされますか?」
次は丁寧な一人暮らしが出来そうなサイズの部屋だ。
できればもっと広い部屋が欲しいが、自分と彼女の腕でどれだけ稼げるか分からない今、
ただしい選択は、と屋上雪は口元に手を当てる。
「悪くない、けど……」
渋る様子の水色髪女子高生を見て、瓶底眼鏡の店主はキラリとメガネを光らせた。
「……少し気になったのですが、
オフィスを借りられたあとはどのようなお仕事をされますか?」
「あ、仕事内容を言ってなかった。私は特進コースの指揮者で、
個人で依頼を受けてフィールドワークに出向く治安維持パトロールをします」
「おお。優秀なお方だ。後ろの方とお二人で仕事を?」
「はいそうです。私は彼女の支援やプロデュースがメインになります」
「なるほどなるほど。
……もしそのお話が本当なら、本社ビル街中央部、
45階建て高層ビル内にある五十坪、百平米ワンルーム。
家賃は激安の月十万円でご提供できます」
「そ、そんなに!? 本当ですか!?」
「はい。いま契約していただければコンタクトレンズ洗浄液セットもついてくる」
受付窓口の下からコトッと取り出されたのは、
以前に宣伝商品として制作依頼・販売したものの見事に売れ残っている、
ぷちっとレンズクリーナー。
レンスの保存容器と洗浄・保存液が入った普通の商品だ。
彼は夜見ライナの桜模様のついたピンクの瞳をじっと見つめる。
「後ろのお客さま、よければお名前をお聞きしても?」
「えっ? あ、夜見ライナです」
「いまカラーコンタクトレンズをお使いですよね?
毎日洗浄しないと視力が落ちますよ?
メガネとレンズ、道は違えど同じ仲間としてこちらを無料でプレゼントします」
「わあー! ありがとうございます!」
夜見ライナは彼から一回分の洗浄セットを貰い、
急に得したとばかりにホクホク顔になった。
その顔で屋上雪の背中を押す。
「雪さん契約しちゃいましょう!
こんないい物件、滅多に巡り会えませんよ!?」
「……そうね。悩みは踏み出してから考える。
契約書類はありますか? 入居審査をお願いします」
「ご用意しています」
その場で二人を代表契約者にして入居審査が行われ、当然OKが出る。
すぐさま契約書類への記入、証明書の確認とコピー、
敷金と今月分の家賃を合わせて百万円の支払い。
手続きを終えた屋上雪は領収書とオフィスの鍵を受け取った。
「見て。五十坪のオフィスの鍵をもらっちゃった」
「わー」
鍵を見せびらかす屋上雪、驚く夜見ライナ。
静かにお辞儀し終えた瓶底眼鏡の中年社員は、
さてここからだと、すかさずポラロイドカメラを取り出した。
「ご契約ありがとうございます、夜見ライナさま、屋上雪さま。
実は今季の高松不動産は売上アップのために、
契約者さまの写真を取ってボードに飾るイベントを企画しまして。
今年最初の写真、撮らせていただいでもよろしいですか?」
「はい構いません。ね?」
「え? あ、うん」
屋上雪は義理堅い。
不動産がここまで値下げしたのは、
夜見ライナのネームバリューを使いたいからだと察していた。
バイオテロ事件で評判の下がった本社ビル街周辺地域に、
プリティコスモスが活動拠点を置き、調査と対処を行ってくれる。
地権者たちも売る手を止めて様子見する程度はしてくれるだろう。
そうでしょ?と想いを込めて目配せすると、中年社員はニコリと笑う。
「ささ、そこに並んで立ってください。
はいもっと近づいて。笑顔で!
でははいチーズで行きますよ。さん、に、いち、はいチーズ」
ぱしゃり。ウィーム……
ポラロイドカメラで撮られた写真が下部から出てくる。
現像時間はおよそ十分前後、サインを貰うまで時間を稼げるか……?
瓶底眼鏡社員の手に汗が滲む。
すると夜見ライナが現像前の黒い写真に非常に強い興味を示した。
「わ。現像に時間がかかるタイプのやつですか?」
「ああ、そうなんですよ~。
倉庫からこれが出てきたもので、何か有効活用できないかなーと思って、
今回のイベントを考えたんです」
「エモいですね。現像できるまでここで座っててもいいですか?」
「ええもちろんどうぞ!
ペットボトルのお茶をご用意しますね」
席を立った瓶底眼鏡の中年男性社員は、
ペットボトルのお茶を取ったと同時に無言でガッツポーズをした。
そうして飲み物を手に戻ってきた彼が見たのは、自身のサインを書いた色紙を見せて、満面の笑みを浮かべる夜見ライナの姿だった。
彼は後ろの社員を見るも全員「何もしてない」と首を横に振るので、ただ愛想の良い笑顔で前を向かされる。
「実はなんですけど、私って魔法少女なんですよ。
だから魔法の力で色紙を作れちゃうんです」
「は、はい」
「将来いつかすっごい価値のあるサインにしますので、
よかったら受け取ってください!」
「あ、ありがとうございます……これはこれは」
中年社員はおずおずとサイン済みの色紙を受け取り、
ペットボトルのお茶をお返しに渡す。
彼はいま手に持っている色紙が彼女のエモ力で出来ているとじわじわと理解し、
喜びを通り越して恐怖を覚えた。
エモ力で出来たアイテムは同質量のシャインジュエルと同じ性能だ。
色紙の重さは平均55g。シャインジュエル換算にするとおよそ100エモ。
素材の価値だけでも独断で激安契約にしたお釣りが来る。
……よし、額縁に入れて飾ろう。
瓶底眼鏡の中年男性社員はそう結論づけ、考えるのをやめた。
しばらくすると写真の現像が終わってくっきり見えるようになり、
夜見ライナはそれにもサインを残して、
屋上雪とともに店を出ていった。
これはのちに「高松景気」とまで呼ばれる、
伝説の好景気が訪れる数日前の出来事である。
でもそれはそれ。話を戻す。
借りたオフィスのある高層ビル前まで到着した屋上雪と夜見ライナは、
鍵のタグに書かれた部屋番号「30階03室」に向かうべく、
正面の自動ドアに緊張しながら入っていく。
『わー私も本社組だー』
夜見ライナはそんな可愛い声を出した。
それを離れた位置からチェキカメラで撮影した、
緑髪糸目男子高校生の木津裏霧斗は、
取り出したメモに今の日時とビル名を書いて足早にその場から去った。




