第215話 おじさん、西園寺家の再建の兆し
しかし丘に差し掛かる直前で、左手薬指がピンと後ろに引っ張られた。
「――お待ち下さい夜見ライナ様!」
「「!」」
「私です! リズール・アージェントです!」
指輪を付けている左手には赤い糸が結ばれていて、一般実務生に侵入を食い止められている恩赦を受けた魔法囚人――リズールさんと結ばれていた。彼女は言う。
「もっといい案があります! 私も仲間に入れてください!」
「……な、ナターシャさんとフェレルナーデさんはいいんですか!?」
「どちらにつくかは選べません! ですが、あなたは私が初めて選んだ人だから! あなたと共に歩みたいと思いました!」
「そうこなくちゃ!」
私は戻って駆け寄り、実務生の静止を振り切ってリズールさんを抱きしめた。
びっくりした彼女はきゅっと目を閉じ、キス待ちのように唇を尖らせる。
それを左の小指で抑えながら聞いた。
「何をすればいいんですか?」
「封戸の毒の効率的な浄化方法についてひとつ。裏世界の環境を逆手に取ります」
「環境?」
「天津魔ヶ原は地面から空に向かって雨が降るのです」
「「おお~」」
隣のヒトミちゃんと一緒に驚く。
詳しい解説をしてもらうべく、健司GMのところへ戻った。
テーブルを囲むとリズールさんは正座をする。
「まずは謝罪を。私は今日まで――」
「いやいやいや」
そういうのは分かっているのでいいとして、本題に入ってもらう。
新しい攻略方法を知った私たちは驚き、健司GMも納得した。
「――ああー、つまり、天津魔ヶ原温泉を発展させればさせるほど、楽にクリアできるんですね? 封戸の毒を浄化する温泉の蒸気が裏世界に満ちるから」
「そうなります。霧が生まれれば地面の封戸の毒を自然と浄化し、雨はまだ辿り着いていない上層を浄化します。最下層の温泉を発展させることが正攻法なのです」
「となると方針がガラリと変わりますね。俺は温泉開拓派ですけど皆さんは?」
「「「温泉開発に一票」」」
「全会一致ですね。では上級実務」
「はいはい。部隊指揮官の三津裏さん、指示を」
「よーし全軍撤退! 温泉開発に戻るぞ!」
「「「おおお――!」」」
許可が出たとたんに戦闘をやめ、撤収作業を始める一般実務生たち。
数分も経たないうちにテントや機材は回収され、全員トラックで撤退した。
私とヒトミちゃんはフェザーに首元をついばまれて乗せられ、再び南方へ飛び去っていく。フェザーの背中から一言も発さなかったナターシャさんに尋ねた。
「ナターシャさんはどうして止めなかったんですか?」
「私が世界一幸運な美少女だから。ピンチになると都合の良いことが起こるの」
「いいなぁ」
「と思うじゃん? 幸運すぎて世界の命運背負うのが人生のデフォルトなの」
「使命を背負って戦ってるんだ……」
やっぱりいいなぁと思う。憧れ。
天津魔ヶ原温泉に到着すると、門番をしている赤城先輩と遭遇した。
「お帰り夜見ちゃん。来ると思った」
「適当なこと言ってません?」
「バレちゃった~」
「もー」
抱きしめてあげると嬉しそうな声をあげて抱きしめ返してくれた。
約十年、魔法少女を辞めてでもこの人のことを知って分かったことがある。
空気を読むのが異常に上手いうえに、真実を曖昧にぼかす癖があり、本音を滅多に話さないのだ。端的に言うと嘘つきである。
赤城先輩はただ、自分が守りたい人を傷つけないために言葉を使う。
この世で一番孤独で、みんなに助けを求めている少女だった。
「……赤城先輩」
「なぁに夜見ちゃん」
「世の中から苦しみや飢えが消えたら、何をしてみたいですか?」
「夜見ちゃんと一緒に思いっきりシャインジュエル争奪戦で遊びたいなぁ」
「叶うように……いや、叶うといいですね」
「うん」
だから求めているのも共感であり、人としての幸せだとか、次世代に託すとかには一切の興味がなかった。
先輩も私と同じように魔法少女でいることが一番の幸せなのだ。
同じ夢を追ってくれる友達が欲しかったから、私に興味を持ってくれた。
彼女は私ではなく、私を通して、空にきらめく星をずっと見上げている。
そして気がつけば私も、彼女と同じように星を夢見ていた。
「悔しいなぁ」
「あはは、どしたのさ」
「何でもないです」
……もう行かなきゃいけない。
以前の私では叶えられなかった理想の姿は、今の私なら叶えられるから。
「じゃ、またあとで会いましょう。実は忙しいので」
「マジ? 時間取ってくれてありがと。じゃね」
ドライに手を振って別れる。
赤城先輩は決して引き止めない。
人付き合いの良さで隠されているが、彼女は凡人や秀才が嫌いである。
夜見ライナの天才性のみに惹かれているのだ。
彼女の理想を体現することでしか、私も彼女も幸福にならない。
フェザーの元に戻り、背中に乗った。
「気は済んだ?」
ナターシャさんが呆れた顔で尋ねる。
何度目だよと言わんばかりだ。私はむくれる。
「しょうがないじゃないですか。私は甘ったれの構ってちゃんなので、誰かとの繋がりを感じて、応援してもらわないと頑張れないんです」
「聖獣がいないとダメな感じ?」
「もちろん! ダントさんがいてくれたら安心です! いつ会えますか!?」
「んー、メタいこと言っていい?」
「どうぞ」
「その聖獣にも十年後の己の姿を見せないと戻ってこないよ。無理に呼んででも温泉開発に関わらせて十年過ごさせてみて」
「ラストボードで呼び出せるかな」
クリスタルスマホを取り出し、彼に「一緒に裏世界攻略しませんか?」とメッセージを送る。すぐに「あと一ヶ月待つモル」と返ってきた。
なので元女王様のナターシャさんの指示であることを伝えると、「了解ですモル」と返答が来る。その直後、ブオンと私たちの真横にポータルが開いた。
顔を覗かせたのはオレンジのモルモット聖獣と、たぬきだ。
「呼びましたモル?」
「仕事でござりまするか~?」
「わ。成長してますねダントさん!」
「魔法少女になってから経験値が溜まりやすくなったモル。それで何をするモル?」
「月読学園の制服からスーツに着替えたいんです。自室に送ってもらえませんか?」
「仕事モードになりたいモルね。分かったモル」
ダント氏の転送の指輪でフェザーごとデミグラシアの自室に送ってもらう。
デミグラシアにある自室はフェザーが自由に出入りできるほど広いのだ。
ヒトミちゃんに手伝ってもらい、バシっと男装を決めた。
ポータルで元の場所に戻ると、急に反応した赤城先輩が寄ってくる。
「私もついて行っていい?」
「なら仲間になってもらいますよ」
「んー、だったらしばらく待機かな。ごめんね」
「いえ」
赤城先輩は戦闘の気配に敏感で困る。
十年間、この心配性で気まぐれな発言に悩まされた。
彼女は初手で自分を仲間に誘うような人間を好きにならないのだ。
戦地でさも偶然のように出会って初めて、彼女は人を信頼する。
なぜなら彼女の固有魔法「テレポート」は障害物を退けるための魔法だから。
戦場から少し離れた後方で一般人や負傷者を安全地帯にポンポン飛ばし、安全を確保してから全力で戦闘に挑むのが魔法少女としての勝ち筋なのだ。
ゲームで例えると、私のように敵を引き付けるタンクの役割を負うと機能不全を起こすので、途中参加やスポット参戦以外は好まない。
「身体を張る時が来ました」
「急に何モル?」
逆に言えば「タンク」が私の天才性なのだ。
派手で目立つ私がいぶし銀な活躍をすることで、戦場の花形になれる。
それが私の目指すべき理想の魔法少女だ。
「ダントさん、敵の攻撃は私がすべて引き受けます。任せて下さい」
「ええ? あ、ありがとうモル。僕はそれ以外をやるモル」
「お願いします」
「それでナターシャさん、僕はこれから何をするのか教えてくださいモル」
「まずこの赤のスイッチを渡すね」
「はいですモル」
ダント氏はナターシャさんから赤いスイッチを受け取った。
「これを押せばいいんですモル?」
「いや、それは保険。この青いスイッチを押してくれる?」
「分かりましたモル」
指示通りに青いスイッチをポチっと押す。
すると周辺が一気に開拓・整地され始め、ただの草原と森のあるだけだった裏世界「天津魔ヶ原」が、大勢の観光客を抱えた巨大温泉宿街になった。
ボタンから手を離した彼はハッとする。
「……長い夢を見たモル」
「でしょ? 幸せだった?」
「幸せだったかもしれないモルけど、僕の求める幸せじゃなかったモル。夜見さん」
「わ?」
ダント氏は急に私に抱きついてきた。嬉しい。
「どうしました?」
「夜見さんは僕が世界で一番幸せにするモルから……」
「責任取って下さいね」
「取るモル」
「わあ素直……」
撫で撫でする。十年後を見て心境が変わったのだろうか。
表情が賢くなったダント氏は二色のスイッチを後輩のたぬき聖獣にも渡した。
「じゃあぽんすけくん、君も赤いスイッチを持って、青いスイッチを押すモル」
「はいな!」
ダント氏の指示を受け、ヒトミちゃんの聖獣、たぬきのぽんすけも押す。
彼もハッとした。
「世界の湿度が上がりましたでござりまする!」
「よし、これで封戸の毒を浄化する環境は整ったモル」
「めでたしめでたし。スイッチ返してくれる?」
「はいな!」
回収したナターシャさんは、キッと表情を引き締めた。
ダント氏やぽんすけくんも同じ方向を見つめる。
少しするとトラックが道沿いに帰ってきて、リズールさんが現れた。
ナターシャさんは問いかける。
「先に聞くよ。状況は把握できてるよね?」
「状況は分かりませんが、アレを使っていますね?」
「神様の贈り物でね。プリティコスモスに同行している時だけ使える」
「やはり私の目に狂いはなかった……」
共通認識だけで会話する二人。
ズルい。かっこよすぎる。だから混ざる。
「野暮なのでアレとは何かは聞きませんけど、温泉開発は終わったんですか?」
「いや、あと少しだけ残ってる。最後のピースを埋めるには、裏世界の居住区に住み始めた住民たちの協力が必要なんだ。それをもって裏世界を完全に制覇できる」
「では早速?」
「お待ち下さい。先に衣食住の確保が必要です」
リズールさんが声を大にして言った。
「衣食事足りて礼節を知るのが市民。もっとも重要な食に関して、夜見ライナ様の第二の固有魔法による解決が行われないことには、また開拓前の自然に戻るだけです。今しばらく内政への注力をお願いします」
「だってさ。どうする?」
「私はリズールさんの意見を尊重しますよ。どうすればいいか教えて下さい」
「食料の無限湧きどころを作っていただきます。社会福祉の充実です。技術者が必要かと存じますので、できるだけ多くの優秀な技士を集めて下さい」
「分かりました。ダントさん」
「すでにデミグラシアメンバーに連絡したモル。古代樹の森で話し合いたいそうモルから、向かうモル」
「了解です。フェザー!」
「ピーウ!」
指示を受けたフェザーは飛び立ち、古代樹の森に向かう。
一般実務生が運転するトラックもリズールさんを乗せてあとからついてきた。
到着するとすでに願叶さんや、技術支援チームを含むデミグラシアメンバーが揃っていて、円卓のような大テーブルを囲んでいた。
願叶さんはとても生気とやる気に満ちた顔でガッツポーズをする。
「よくやったライナちゃん。西園寺家の再建までもう少しだ。頑張ろう!」
「はい!」
私たちも会議に参加するべく、大円卓を囲んだ。




