第212話 おじさん、本当の幸福を知る②
健司さんは私の肩を叩いた。
「すみません。俺、報告のためにハインリヒさんにご同行願うんで失礼します」
「あ、私も手伝うー!」
「えええ!?」
私を置いて去っていく赤城先輩と健司さん。
残ったのはヒトミちゃんと上級実務の優作さん、そして数名の一般実務生だった。
ハインリヒ(私)は泣きそうになる。
「これどうすればいいんですか?」
「貰っておくといいのでは? キャラを複数持つのはTRPGではよくあることです」
「そう考えればいいのか……藤木戸さんって考え方がスマートですね」
「まあそれが仕事なんでね。マニュアルでも見ましょうや」
「助かります」
腰のキューブを叩くとピンク色のノートが出てくる。
そこには彼女が魔法について研究に研究を重ねた末の全てが乗っていて、端的に表すとこうなった。
「狂気で満ちてます」
「わー魔法の探求のためにえげつない人体実験を自分に施したんですねー、結果として無限に等しい残機と寿命を手に入れてしまい狂ったと」
「よくあることなんです?」
「わりとありますねー。そういう人間が最後の拠り所として集まる場所なんで」
「高松学園都市が怖い……」
「ではキャンペーン失敗でSAN値チェックです。100d1で振って下さい」
「確定死亡じゃないですかやだぁー」
これでキャンペーン「ハインリヒ幽体離脱事件」はバッドエンドでの解決となる。
夜見ライナは裏世界「天津魔ヶ原」に侵入するも、あえなく最下層でキャラロストすることになった。
ただし全て書類上の話であり、実際はピンク真珠の三連イヤーカフを外して動かなくなったハインリヒボディをポーンに格納後、周囲の人になぐさめてもらい、ただの夜見ライナとして温泉に浸かってのんびりとくつろいだ。
「……」
そして少し考え、ハインリヒさんのボディを有効活用する方法を模索し始める。
性処理用途ばかり思い浮かんだので、今度はその性欲そのものをコントロールしようとしてみる。
お風呂をあがって着替え、デミグラシアの自室でハインリヒをポーンから召喚して、イヤーカフを付けた。
夜見ライナと夜見治、二つの別人格に分かれる作業だ。
治の入ったハインリヒは目を開けた。
「気づいたか、夜見ライナ。ハインリヒボディのママみに」
「はい。おじさん、私をいっぱい甘やかしてくれるママになってください」
「おいでライナ~」
「ママ~!」
永久機関の完成である。
ハインリヒにバブみを感じておぎゃると、全ての苦しみから解放された。
そうだ、私はずっと自分にこうしてあげたかったのだ。
「よしよしいいこでちゅね~」
「ばぶばう、きゃっきゃ」
お互いで癒やし、癒やされの需要が満たされ、自分自身ということもあって阿吽の呼吸で幼児退行と幼児育成が進む。
過去の辛かった思い出をお互いの脳内で走馬灯のように流し、「沢山苦労したよね、良く頑張ったよね」と自分自身になぐさめてもらうという異常行動。
全て話しきってまっさらになった頃には、ようやく心残りだった母親の面影が消えた気がした。目の前の紫髪縦ロールお嬢様が私の新しい育ての親だ。
「ねえ西園寺奈々子、私専属のメイドになってよ」
「喜んでお育てします」
狂気の沙汰を通り過ぎ、夜見ライナと西園寺菜々子という別人に成長しきった私たちは、衣服でお互いの主従をはっきりする。
夜見ライナがリーダーで、給仕服を着る西園寺菜々子が下支えの口添え役だ。
西園寺菜々子は夜見ライナを無条件で認め、常に無条件で甘やかし、夜見ライナは襲いくる全ての火の粉から菜々子を守る。
そうすることでしか本当の自分を守れないのだから。
「菜々子、何しよっか?」
「ライナのやりたいことは魔法少女ですよね? 天津魔ヶ原の探索を続けましょう」
「だね。そのためにも仲間を増やして強くしないと」
「西園寺家の再建も行う必要がありますよ」
「分かってる」
メンタルゲージがぶっ壊れて安定した私は、無敵の人として天津魔ヶ原に戻った。
願叶さんは私を見るなり驚く。
「ひと皮剥けたね。修羅場をくぐり抜けた顔だ」
「はい。超えちゃいけないラインを超えてみたら、意外と心地よかったです」
「じゃあメイド服姿のお方が」
「西園寺菜々子さんです。私の養育係メイド」
「ごきげんようライナのお父上さま」
丁寧にお辞儀をする奈々子。願叶さんは言う。
「……じゃあ、身分も作らないとだ。遠井上家のしきたりは分かっているね?」
「ライナとは完璧に意思疎通しています」
「そりゃそうか、意識のリンクを切る気はない?」
「「そういう設定で動いてます」」
「オーケー、正気なんだね。ハインリヒボディを使う理由を考えただけ?」
「まあそうですね。ほっとくと腐りそうな気がしたので」
「菜々子は哲学的ゾンビとして生きます」
「分かった。ところで面白い話がある」
「「はい?」」
「ナターシャさんは魂の創造が可能なんだ。社務所を拠点にしているから、会いに行って完全に別人になっておきなさい」
「「分かりました!」」
そういうのは早く言って欲しい。
社務所に向かうと、美幼女なナターシャさんがいた。
彼女ははやっほーと挨拶してくる。
「そろそろ来ると思ってた」
「「菜々子の魂を創造して下さい!」」
「いいよ。仲間入りさせてくれたお礼にいくらでも協力する。ほれ」
ナターシャさんは沢山の霊魂の欠片を魔力で混ぜ溶かして秒で透明な水晶玉を作り出し、私に持たせる。するとピカピカと光だし、やがて虹色に輝いた。
「魂の複製が出来たね。あとは菜々子?が受け入れるだけ」
「ライナ……!」
菜々子が虹色の水晶玉をぎゅっと抱きしめると、パチパチと脳のシナプスが弾けるような感覚がして、視界が二つに増えた。さらにお互いの五感で感じる全てが分かるようになってマジでやばかったので、慌てて同時にトラガスを取る。
「わあ外しちゃった」
「大丈夫よライナ。見て」
「わ! 菜々子の身体が勝手に動いてる!」
「受肉したわ!」
ストレッチのように全身を動かす菜々子に、私はほっと安堵のため息をついた。
これで西園寺菜々子は夜見ライナの別人格ではなく完全なる別人として成立した。
ナターシャさんも増えたことだし、私も増えていいのだ。
私に優しくて深い理解とリスペクトを持った私が。
「それで話を戻すけどさ」
「はいナターシャさん」
「フェザーの捕獲とか、天津甕星の討伐とか色々あるじゃん? それ十年後の話にさせてくれない?」
「やっぱりナターシャさんの年齢的な意味ですかね?」
「それもあるし、魔女ハインリヒたちと西園寺家のフリースクール事業を軌道に乗せてあげたいんだよ。全国各地からこの天津魔ヶ原に居場所のない子やいじめられっ子が集まるからさ、魔法少女としてその子たちのメンタルケアをやってあげて欲しい」
「もちろん構いませんよ。魔法少女プリティコスモス冥利に尽きます」
「サンキュー。事業が安定すればここに戻すね」
「いえ不要です」
「まあ念のために用意はしておくね。じゃ、しばし共闘と行こうか」
ナターシャさんと手を結び、天津魔ヶ原で十年ほど子供たちの相談係になる仕事を担うことにした。
それからの裏世界最下層「天津魔ヶ原」は魔物の影すらない平和な場所になり、願叶さんは凪沙さんや遙華ちゃんを呼び、家族で仲良く暮らして親交を深めた。
佐飛さんやヒトミちゃんがいないのは心残りだったが、まあ、私の子供時代には当たり前じゃなかったものや、触れられなかった面白い娯楽に沢山触れられて、幸せだった。
◇
――――そして十年の月日が経ち、魔法少女プリティコスモスが忘れさられた頃。
「ありがとう可愛いお姉さん!」
「どういたしまして!」
二十三歳になったピンク髪の成人美女こと私は、技術継承が済んであまり現れなくなった子供の相談業をついに終えた。ナターシャさんも十六歳になっていた。
遙華ちゃんも高校生一年生になり、私に代わって忘れられた魔法少女プリティコスモスの名を広めようと努力してくれていたり。
願叶さんや凪沙さんも静かで平和な暮らしですっかり衰えたようで、以前のようなエネルギッシュさを感じなくなっていた。
「あはは、ついにヒーローネームすら呼ばれなくなっちゃったか……」
ただそんな平和な世界で、私だけが幸福ではなかった。
最近はポニーテールにハマっているマイフレンド、西園寺菜々子が隣に立つ。
「ライナ、自覚したでしょう? 世界の平和や誰かの笑顔のために尽くした末に残った、自分の心の中にこびりついている自己顕示欲に。それが女の子の本能よ」
「……ですね」
働けば働くほど救える子供の笑顔に対して、私の心は凍てつき錆びれ、張り付いた営業スマイルに変わっていった。
みんなを笑顔にした先の未来で、私はたった一人だけ本当に心の底から笑っていない。少年の私が憧れた魔法少女像は、女の子の私の求めた魔法少女像ではなかった。
もっとギラギラとした何かがあって、常に燃えていて、そして自由だった。
「ライナ、帰りましょう。十年前に」
「そうですね。私の思う最高の魔法少女はこんな結末じゃない」
ナターシャさんに渡されていた謎の赤いスイッチを押す。
世界が悪い怪人を倒したあとの大爆発のように、ドーン、バラバラと砕け散って再構成された音がした。真っ白な世界を降りていく。
◇
再構成されて戻った場面は十年前と同じ社務所。
私は十三歳の若かりし頃に戻り、隣には記憶を保持した菜々子もいて、ナターシャさんも六歳だった。ナターシャさんは左手を見てグッと握りしめる。
「ワンチャン、くらいは得たかな」
「わあ過去にタイムスリップしちゃいました」
「ライナ」
するとサラサラ……と菜々子が消えていく。
彼女は守護霊となり、ファンデットなどの悪意を持った霊から私たちを守るつもりなのだ。最後に手を握りしめると、頬にキスをしてくれた。
「ずっと一緒だよ?」
「うん。菜々子ママ大好き」
どんな怨霊にも負けない、最高にイカれた愛の力を手に入れた私とナターシャさんは、いろんな悩みや肩こり――煩悩から解放され、安堵を得る。
とりあえずと温泉と決め、ひとっ風呂浴びると心も身体もスッキリした。
「「はあ~」」
「ぶーんひこうきー!」
「ぎゃはは――」
天津魔ヶ原温泉は今日も不登校児童で大賑わいだ。
ナターシャさんは十年後の経営結果を残したまま、過去を上書きしたのだろう。
嬉しそうな顔の西園寺ナナさんがやってくる。
彼女は私を見るなり深々とお辞儀をして、手を握り、感謝の印としてお星さまクッキーを渡してくれた。「背中は任せてねライナ」と言って去っていく。
「いい夢を見せられましたかね?」
「ま、霊力への対抗手段は手に入った。あとは追うのみよ」
「了解です。プリティコスモス十年ぶりに出動します」
願叶さんや凪沙さん、遙華ちゃんはピンクと白のペンライトを振って見送ってくれた。それ以上は要らない。
みんな理解っている。
私はどうしようもなく魔法少女なのだと。
「ピーウ!」
「フェザー! お帰り!」
待ってましたとばかりにフェザーが飛びかかってきて、私を甘噛みする。
待たせてしまって本当にごめんなさいと思う。
おそらく捕獲に向かったであろうヒトミちゃんもフェザーのあとから追いついた。
憑き物が落ちたような表情の私を見て嬉しそうにする。
「ハッ! お姉さま、成られたのですね!?」
「良く分かりませんけど煩悩は弾け飛びました。私は魔法少女です」
「ナターシャだけど、虚弱だから乗り物に乗せてくれないと足手まといになる」
「分かりました。ねえフェザ~?」
きゅるんと詰め寄ると、しょうがないとばかりにナターシャさんを乗せてくれた。
「助かる~」
「お姉さまがカワイ子ぶりました!」
「大人のレディになった証です。行きますよヒトミちゃん!」
「はいお姉さま! ブルーセントーリアの旅路を追いましょう!」
「グワッ」
フェザーも返事をすると、私とヒトミちゃんを乗せ、大空へ羽ばたいた。
向かったのは北の噴水方面。
到着先では、アリス先生が恩赦されたばかりの魔法犯罪者たちに囲まれていた。




