第206話 おじさん、負けを認める
しかし気分が紛れる余裕もなかった。
私とヒトミちゃん、さらにはフェザーも、守られていたハインリヒや子供たちでさえ、封戸の毒の影響で一切の飲食ができなくなっていたのだ。
無理に口に含んで飲み込もうとも、あまりの気持ち悪さに吐き出してしまう。
「おええっ!」
「ご飯マズいぃ」
子供たちの吐瀉物の清掃を終えて、私は自分の行動を反省した。
だからといって責められるわけではない。
私が最高責任者なのだ。
私が選択したことに対しての責任を負うのは、他でもない私だけ。
ヒトミちゃんはエモ力を節約するために護身刀を持ったまま就寝したので、食事せずとも数日は活動できるエモ力を持っている私は、明日の朝までに封戸の毒の解毒薬を手に入れなければならない。
するとハインリヒが疲れて眠った子供たちを撫でながら口を開く。
「そろそろ公私は分けないと駄目ですよ」
「……できることなら公私混同したまま生きたかった。苦難に耐えて、がむしゃらに走り抜けた先には、誰も私の隣にいなかったから」
「それってあなたの感想ですよね?」
「……え?」
「あなたが言っているのは、自分と同じ頑強さや我慢強さを持った人間が生まれなかったという意味で、あなたの欠点をカバーしてくれる友達や仲間はいっぱい並び立ってくれているじゃないですか。今でもここに」
子供たちやヒトミちゃんを撫でるハインリヒ。
急に涙が溢れた。
「あはは、自分に論破されちゃった……」
「茶化さない。あなたと同じ人間なんてこの世に存在しないんです。でも、あなたの欠点をカバーしてくれる友達や仲間は大勢集まっていますよ。あとは選択次第です」
「でもそれを、今やると」
「カッコよくない。ダサい。その考えで動いて、イザナミさんは救えましたか?」
「救えませんでした……けどですね」
「ええ、自分の力を過信し、誰も成し得なかった偉業を成そうと功を焦り、最後はプライドを守るために他人を見殺しにした。それでもなお反論し、レスバで勝とうとする醜さ。まさに生き恥。早く記憶を消してもらうべきでした」
「ぐううっ……」
やはり自分には勝てない。
私が後天的に身についた若さゆえの正義感に燃える私「夜見ライナ」だとするなら、あちらはベテラン社会人だった頃の落ち着いた性格の私「夜見治」だ。
斬鬼丸さんの力を取り戻したからか、並列思考どころか完全に別人格になってしまった。
「私は、どうすれば」
「先に聞きます。私とあなたは別人だと認めますか?」
「……認めます」
「ではあなたとの記憶のリンクを止めますね」
ハインリヒが自身のイヤーカフを指で摘むと、人格が完全に分離して、数十年分の知識と記憶がなくなってしまった。
代わりに紫色の立方体――ミステリウムが私の前に現れる。
「これは」
「ミステリウム。ピンチでどうしようもない時に握りしめて下さい。記憶のリンクが一時的に回復します」
「助かります」
即座にギュッと握ると、次に何をすればいいか分かった。
拝殿に解毒作用のある龍神の温泉が湧く場所があるから、そこに行って湯浴みをすればいいと。
「ハインリヒさん、この神社の拝殿に解毒作用のある温泉があるみたいです。湯浴みをすれば助かるみたい。子供たちを起こしてもらえますか」
「まだ一人ですべてを背負うつもりですか?」
「ええと」
「ここでミステリウムを出したのは、あなたの所属する月読学園の生徒たちがあなたの助けになってくれるという意味です。彼らにも重荷を分けてあげて」
「……」
マジタブを取り出し、フロイライン・ラストダイブを起動する。
向こうではすでに物資輸送の準備が終わっていて、あとは私次第だった。
「空気読むの、苦手なんですよね」
「昔のあなたはそうでした。でも今は違う。あなたには愛嬌があるし、光の国ソレイユの騎士爵という権威がある。空気を読むのは周りの人の仕事に変わったんです」
「こき使っちゃっていいんですか?」
「美少女にお願いされて断れない人間なんていませんよ」
「あはは、美少女になって良かった……」
マジタブを社務所の平らな地面に置き、「異世界の門」の画面に生まれた「ポータル召喚」ボタンを押す。
グオオオオオ……
「わあポータル輸送だ」
するとデミグラシアで見たことがあるポータル輸送事業の亜空間ワープポータルが生まれ、真っ先に喫茶店デミグラシアのメンバーがやってきた。
先遣隊としてやってきたのは万羽ちゃんと三津裏くんだ。
「やれやれ、プリティコスモスも世話が焼けるな」
「オレたちも共に戦うぜ」
「わーん二人とも~!」
私はもう女の子なので、何もかもかなぐり捨てて二人に縋り付く。
三津裏くんは万羽ちゃんへの接触を慌てて止めた。
「急に何するんだお前危ないだろ……!」
「封戸の毒を浴びて詰んじゃいましたぁ~! 助けて下さ~い!」
「分かってる! 僕たちも配信で見てた! 拝殿の奥にある温泉の安全確認だろ?」
「後は任せろだぜプリティコスモス」
「お願いします~!」
万羽ちゃんに頭を撫でてもらい(三津裏くんは絶句していた)、毛布で包んで保温してもらったあと、私はようやく安心して眠りに落ちることができた。
翌朝に目覚めれば、社務所は巨大な温泉施設に改造され始めていた。
隣にはスーツ姿の義父――願叶さんがいて、私の頭を撫でてくれる。
「おはようライナちゃん。目が覚めたかい?」
「願叶さ~ん!」
「おっと、抱っこはダメだ。先にお風呂に入ってきなさい。一緒にご飯を食べよう」
「あ、はい!」
そうだった、封戸の毒は濃厚接触で感染する。
お風呂に入って禊ぎを終えないと被害が拡大するんだった。
握りしめたままのミステリウムを見て、持ったままで良かったと安心する。
「願叶さん、他のみんなは?」
「先に起きて温泉に浸かりに行ったよ。全員無事だ。安心しなさい」
「分かりました。はあ、良かった」
願叶さんがそう言うんだから間違いない。
「温泉施設の入口や更衣室が分からないだろう? 案内するよ」
「お願いします」
「僕も念のために入浴しないといけないからね」
「わ。そうでした」
ともかく、私も急いでお風呂に入ろう。
私を撫でて毒が感染してしまったかも知れない願叶さんと共に拝殿へ向かった。




