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あやとりの神様

ーー子供の頃から、私はたまに“変なもの”を見ることがあった。


誰もいないはずの公園のすみ。

夜の窓ガラスに映る、知らない影。

道ばたに転がっている、明らかにこの世のものじゃない何か。


そういう、日常の中にこっそり混ざり込んだ異形の気配。


それを一度だけ、亡くなったお婆ちゃんに話したことがある。


するとお婆ちゃんは、少しだけ困ったように笑って、こう言った。


「この世にはね、あそびのかみさまがいるのよ」


いつもの優しい声だった。

でも、その目だけは違った。


子供の空想に付き合ってくれている目じゃない。

本当に知っている人の目だった。


この世には、人間には理解できない存在がいる。


たぶん私は、その言葉を心のどこかで信じていたのだと思う。


だから、あの日も。


私はそれを、すんなり受け入れてしまった。


家族でキャンプに行った日のことだ。


山の中で妹が迷子になった。

私は必死になって妹を探して、ようやく見つけたところまではよかった。


問題は、そのあとだ。


妹を背負った私は、今度は自分が迷子になった。


「うそでしょ……」


泣き疲れて眠ってしまった妹をおぶりながら、私は半べそで山道を歩いていた。


どこを見ても木。

どこを見ても草。

どこを歩いても、さっき見たような景色。


足は痛いし、喉は乾いたし、背中の妹はずっしり重い。


怖かった。


このまま誰にも見つけてもらえないんじゃないか。

そんな考えが頭をよぎった、その時だった。


そこに、そいつはいた。


「……」


最初は、人だと思った。


でも、すぐに違うとわかった。


糸でできた、柔らかな髪。

ローブのように揺れる、白くしなやかな服。

透明な光を閉じ込めたような瞳。


綺麗、なんて言葉では足りない。


まるで、人間が一生かけてもたどり着けない美しさだけを、無理やり形にしたみたいだった。


ーーなに、あれ。


私が固まっていると、そいつはゆっくりこちらを向いた。


そして、にこりと笑う。


「珍しい。こんなところに迷い込むなんて」


「こんな……ところ?」


言われて、私はようやく周囲の異変に気づいた。


木々の幹。

枝葉。

足元の草。

小さな花。


その全部が、糸で編まれていた。


けれど、作り物には見えない。

糸でできているのに、ちゃんと生きている。

風に揺れ、呼吸するように震え、山そのものが脈打っている。


まるで、世界が丸ごと編み替えられてしまったみたいだった。


「これもーーきっと、縁なのでしょうね」


そいつは静かに言った。


「こちらに来なさい」


優しい声だった。


でも、不思議と逆らえなかった。


私は妹を背負ったまま、恐る恐る近づいた。

一歩進むたびに、元の山から遠ざかっていく気がした。


知らない世界の奥へ、足を踏み入れていくような感覚。


そいつは私の前で、楽しそうに両手を上げた。


「あやとりって、知ってる?」


「あやとり……」


知っている。


お婆ちゃんと、よく遊んだ。


「うん。知ってる」


「よかった」


そいつは、にっと笑った。


その瞬間、指先にかかっていた糸が動き出す。


一本。

二本。

三本。


いや、何本あるのかわからない。


糸はほどけ、絡まり、跳ね、結ばれ、またほどける。

人間の指では絶対に不可能な速さで、複雑な形を作っていく。


そして、そいつの手の中に現れたのはーー一匹の蜘蛛だった。


糸でできた、蜘蛛。


けれどそれは、ただのあやとりなんかじゃなかった。


脚の一本一本が繊細に震え、腹の模様は宝石みたいに輝き、どこからどう糸がつながっているのかまるでわからない。


綺麗で。

不気味で。

それでも、目を離せない。


「……すごい」


思わず声が漏れた。


そいつは少し得意げに笑って、蜘蛛を私の方へ差し出した。


「はい」


「え?」


「あなたの番」


いや、無理。


こんなの、返せるわけがない。


「……返し方、わからない」


正直にそう言うと、そいつは可笑しそうに目を細めた。


「また今度でいいよ」


また今度。


その言葉が、妙に胸に残った。


私は促されるように、糸の蜘蛛へ手を伸ばした。


指先が蜘蛛に触れた、その瞬間。


「っ……!」


温かいものが、全身を駆け巡った。


火傷するような熱じゃない。

胸の奥に灯がともるような、懐かしくて、少し怖い温もり。


次の瞬間、糸の蜘蛛が動き出した。


するすると地面を進み、森の奥へ向かっていく。


それと同時に、私の体がぐいっと引っ張られた。


「ちょ、ちょっと!?」


抗う暇もなかった。


妹を背負ったまま、私は蜘蛛の進む方へ引きずられていく。


振り返ると、そいつは穏やかに手を振っていた。


「また会いましょう」


その声を最後に、糸で編まれた森は遠ざかっていった。


気がつくと、私は山道に倒れていた。


目の前には、私たちを探していた家族がいた。


母が泣きながら私を抱きしめて、父が妹の名前を呼んでいた。


私と妹は、無事に救出された。


あの日から、私はまだそいつに再会していない。


名前も知らない。

正体もわからない。

あれが本当に、お婆ちゃんの言っていた「あそびのかみさま」だったのかもわからない。


でも、一つだけ確かなことがある。


あの日、私が授かった力はーー


今もまだ、消えていない。

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