第13話「噂と違和感、そして迫る影」
■告白から、数日
日常は――一見、何も変わらなかった。
講義はいつも通り始まり、
教授の声が淡々と教室に響く。
ペンの走る音。ページをめくる音。
どれも変わらないはずの光景。
それでも――
「……いや、絶対変わってる」
大学の講義室。
颯太は、ノートを開きながら小さく呟いた。
視線。
ひそひそ声。
背中にまとわりつく“何か”。
「最近、あの二人さ……」
「なんか距離近くない?」
耳に入ってくる、曖昧な噂。
はっきりとした確証はない。
でも、確実に“気づき始めている空気”。
(やばいな……)
自覚はあった。
以前より、確実に距離が縮まっている。
目が合う回数。
立つ位置。
何気ない間合い。
全部が、少しずつ変わっている。
それは自然なこと。
でも――
“普通の関係じゃない二人”にとっては、致命的だった。
⸻
■昼休み・中庭
「はい、ストップ」
突然、背後から声。
振り向くと――
「近い」
腕を組んで立っていたのは、春日千香。
その隣には、桜井桃華。
「え?」
「今の距離」
千香が指で示す。
その指先は、二人の間にある“ほんの数十センチ”を正確に捉えていた。
「アウト」
「いや、普通じゃない?」
「普通じゃない」
即答だった。迷いも、ためらいもない。
「“他人設定”でしょ?」
言葉が詰まる。
「無意識で近づいてる」
千香は、真剣な目で言った。
「それ、一番危ないやつ」
その通りだった。
意識してない時ほど、距離は崩れる。
そして――そういう瞬間ほど、人に見られる。
「……気をつける」
「気をつけるじゃなくて、徹底」
ぴしっと言い切る。
「今日から“距離ルール”作るから」
「ルール?」
「1. 学内では2メートル以上離れる」
「2. 視線合わせすぎない」
「3. 話すときは必ず第三者を挟む」
「……スパイかよ」
「それくらいしないと無理」
冗談じゃない。
現実的で、そして“必要な線引き”。
⸻
その時――
「あれ?颯太」
別の声。
振り向くと、同級生がこちらを見ている。
(やば……)
一瞬で、空気が変わる。
さっきまでの“内側の空気”が、完全に消える。
「お前ら何してんの?」
千香が、一歩前に出る。
「ゼミの話」
自然な流れ。
迷いのない声。
「この後の発表の」
「へぇ〜」
同級生の視線が、桃華に向く。
「桜井さんも一緒なんだ」
「うん」
完璧な“他人の顔”。
声のトーン、表情、視線。
一切のズレがない。
さっきまでの距離が、嘘みたいに消えている。
「じゃ、またな」
去っていく同級生。
数秒の沈黙。
「……今のはセーフ」
千香が、ふぅと息を吐く。
「ギリギリね」
その言葉に、背筋が冷える。
“セーフ”じゃない。
ただ、バレなかっただけ。
⸻
■夕方・カフェ
四人。
颯太、桃華、千香、そして――岸田ほのか。
「で」
岸田が、コーヒーを静かに置く。
「噂、出始めてる」
空気が、一気に重くなる。
さっきまでの軽さが、消える。
「え……」
「まだ弱いけどね」
「“仲いいよね”レベル」
でも――
「時間の問題」
はっきりとした宣告だった。
逃げ道はない。
「対策、必要だね」
千香が言う。
「しばらく、接触減らす」
「え……」
思わず出た声。
分かっている。
それが一番現実的な方法だと。
それでも――
「それしかない」
岸田も頷く。
「今は“守る時期”」
桃華は、何も言わない。
その横顔は――
少しだけ寂しそうで、
でも同時に、揺れていなかった。
⸻
■夜
帰り道。
街灯の下、影が伸びる。
「……ごめんね」
ぽつりと、桃華が言う。
「なにが?」
「距離、置くの」
その声は小さい。
強がりも、言い訳もない。
ただの本音。
「仕方ないよ」
そう言いながら――
胸の奥が、少しだけ痛む。
分かっているからこそ。
「でも」
彼女が、立ち止まる。
「完全に離れるわけじゃない」
「うん」
「見えないところでは、ちゃんと一緒」
その言葉に、少しだけ救われる。
「……うん」
短く答える。
それ以上はいらなかった。
⸻
その時だった。
「……あれ?」
後ろから、聞き覚えのある声。
振り向く。
そこには――昼に会った同級生。
「また会ったな」
笑いながら近づいてくる。
(やばい)
距離。タイミング。状況。
全部が、悪い。
その瞬間――
「颯太くん」
桃華が、先に動いた。
「さっきの資料、ありがとう」
完全に“他人のトーン”。
感情を一切乗せない声。
「助かった」
「え、ああ……」
必死に合わせる。
一瞬でもズレれば終わる。
「またゼミで」
「うん」
そして――自然に、距離を取る。
同級生は、その様子を見て――
「ほんとにゼミ仲間なんだな」
笑う。
「疑ってたわ」
その一言で、心臓が跳ねる。
でも――
「じゃあな」
去っていく。
完全に見えなくなる。
「……はぁ……」
三人同時に息を吐いた。
「今の、アウト寸前」
千香が真顔で言う。
「ほんとそれ」
桃華も苦笑する。
でも… その目は、少しだけ強かった。
「守れたね」
小さく言う。
「……うん」
ギリギリだった。
でも、守った。
“秘密”も、“関係”も。
⸻
ただ――
この綱渡りは、まだ始まったばかりだった。
⸻
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