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第11話「再起、そして覚悟の現場」


■翌日・朝


スタジオ前の空気は、昨日よりもさらに張り詰めていた。

寒さというより、“踏み込むことを許されるかどうか”の境界線みたいな空気だった。



颯太は立ち止まる。


建物を見上げる。


(今日は……見る側として終わらせない)


(ちゃんと、受け止める)


逃げない。目を逸らさない。

それは昨夜から何度も頭の中で繰り返してきた言葉だった。



「来たね」


背後から声。


振り返ると、岸田ほのかが立っている。


「おはようございます」

「おはよう」


軽く頷くが、その目はいつもより観察の色が強い。



「緊張してる?」


ほのかが言う。


「……してます」


「普通」


「普通なんですか」


「普通」


即答。


「むしろ、ちゃんと怖がれてるなら正常」


「それ安心材料ですかそれ」


「そう」


また即答。


颯太は少しだけ肩の力を抜く。



「桃華、中にいるよ」


その一言で、胸が一瞬だけ跳ねる。


「昨日より顔いいね」


「……え?」


「ちゃんと“見方”が変わってる」


淡々としているのに、評価ではなく“状態確認”だった。


「見方……」


「昨日は“巻き込まれた人”の目だった」


「今日は違う」


ほのかは歩きながら言う。


「“立ってる人の目”になってる」


颯太は言葉を飲み込む。


「……そうですか」


「そう」


短い。


でも妙に正確だった。



■スタジオ内


扉が開く。


空気が一段階重くなる。


ライトの熱、金属音、スタッフの足音。


その中心に――彼女がいる。



「……」


そこにいるのは桜井桃華ではない。


“斉藤もも”。



昨日よりもさらに研ぎ澄まされていた。


でも違う。


昨日は“完成形”だった。


今日は――“制御された生き物”だった。


(なんやこれ……)


颯太は思う。


完成しているのに、まだ伸びている。



「よーい、スタート」



空気が切り替わる。



■撮影①・立ち姿


最初のカットは“静止”。


何も動かない状態で成立させるシーン。


ももは、スタジオ中央に立つ。


背筋はまっすぐ。


でも力は入っていない。


呼吸が、見えない。


(息してないみたいや)


颯太は思う。


でも違う。


“呼吸を見せない呼吸”だった。



ほのかが横で小さく言う。


「……いいね」


「静止の精度が上がってる」


颯太は聞く。


「静止って技術なんですか」


「当たり前」


即答。


「立ってるだけに見えるのが一番難しい」



■撮影②・歩き出し


合図。


一歩目。


コツ。



音が違う。


昨日より“意図”がある。


足を置く位置、体重移動、視線の落とし方。


すべてが計算ではなく“習慣化された制御”。


(歩いてるんやない)


(“見られてることを前提に移動してる”)



颯太が思わず呟く。


「これ……どうやって作るんですか」


ほのかは即答。


「壊れるまで練習」


「……」


「冗談じゃない」


視線だけで続ける。


「本当に壊れかける」


颯太は黙る。



■撮影③・振り向きカット


カメラの位置が変わる。


一拍。


空白。


その空白が長い。



そして――振り向く。



“間”が怖いほど正確。


振り向いた瞬間、目線がカメラの中心ではなく“少し外”を刺す。


(見てないのに見られてる)


(いや違う……“見せてる”)



ほのかが小さく言う。


「今の、気づいた?」


颯太は即答。


「はい」


「何が起きてました?」


「……見てる場所がズレてた」


「正解」


ほのかはペンを回す。


「カメラの“外側”を使ってる」


「意味わかります?」


「……少しだけ」


「それでいい」



■撮影④・セリフシーン


ももが口を開く。


「……遅いね」


それだけ。


でもその一言に“時間の重さ”が乗っている。


颯太は息を止める。


(声じゃない)


(空気そのものがセリフや)



ほのかが横で言う。


「今の、声の使い方じゃない」


「……どういうことですか」


「感情じゃなくて“状況”を出してる」


「状況……」


「怒ってるとか悲しいじゃない」


「“遅れた空間”そのものを喋ってる」


颯太は言葉を失う。



■撮影⑤・微細な崩れ


カット間の沈黙。


誰も止めていない時間。


その中で――


ほんの一瞬。


ももの目が揺れる。


ほんの0.3秒。


呼吸が浅くなる。


(今の……)


颯太は気づく。


“役”がほんの少しだけ外れた。


桃華が一瞬だけ戻る。


でも誰にも見せないまま、すぐ戻る。



ほのかが小さく呟く。


「……まだ残ってるね」


「何がですか」


「人間」


即答だった。



■撮影終了


「カット!OKです!」


空気が一気に緩む。


スタッフの声が軽くなる。


「お疲れさまでしたー!」



ももはその場で一度止まる。


肩が落ちる。


呼吸が深くなる。


(終わった)


その瞬間だけ、桃華。



颯太は気づく。


(切り替えが早すぎる)


(でも、それが普通なんか……)



ほのかが横で言う。


「今日、見ててどうだった」


颯太は少し考える。


「……怖かったです」


「どこが」


「全部が“完成しすぎてる”のに」


「中に人がいる感じがするところです」


ほのかは少しだけ目を細める。


「いい感想」


「いいんですか」


「うん」



■ほのかと颯太(深い会話)


ほのかが歩きながら言う。


「あなた、昨日より危ないね」


「え?」


「見方が変わった」


「どういう意味ですか」


「“支える側”に寄り始めてる」


颯太は止まる。


「それ、悪いことですか」


ほのかは少し考える。


「悪くはない」


「でも」


「距離が消える」



颯太は息を飲む。


「距離……」


「そう」


ほのかは立ち止まる。


「見すぎるとね」


「何が見えなくなるんですか」


ほのかは一瞬黙る。


「“壊れる前のサイン”」



颯太は言葉を失う。


「……それ、今の桃華は大丈夫なんですか」


ほのかは即答しない。


数秒。


「大丈夫じゃない時もある」


「でも」


「戻ってこれる」


「今は?」


「戻れてる」



颯太は少しだけ肩を落とす。


「なら……見てていいですよね」


ほのかは少し笑う。


「見るのはいい」


「ただし」


目が鋭くなる。


「飲み込まれないこと」



颯太は頷く。


「……分かってます」


ほのかは短く言う。


「分かってる人が一番危ない」


「それ、さっきも聞きました」


「大事だから二回言った」



■楽屋前


ほのかが立ち止まる。


「じゃ、ここから先はあなたの領域」


「え?」


「彼女の“人間側”」


颯太は扉を見る。


「……怖いですね」


ほのかは軽く笑う。


「今さら?」


「確かに」


「行きな」



■楽屋


ノック。


「……どうぞ」


扉を開ける。


そこにいるのは――


疲れているのに、少し笑っている彼女。



「来た」


「お疲れ」


「今日どうだった?」


即質問。


颯太は少し笑う。


「すごすぎた」


「それしか言えんの?」


「それしか言えん」


桃華はふっと笑う。


「雑やな」


「ほんまやし」



少し沈黙。


桃華が小さく言う。


「今日、揺れたの気づいた?」


颯太は頷く。


「気づいた」


「やっぱり」


少し安心した顔。



「でも戻ってた」


「うん」


桃華は言う。


「それが仕事やから」



颯太は少しだけ聞く。


「しんどないん?」


桃華は即答。


「しんどい」


「でも」


「楽しい」



颯太は目を細める。


「意味わからん」


桃華は笑う。


「分かるようになったら終わりやで」



■帰り道


ほのかの言葉が残る。


(距離を消すな)


(でも見ろ)


矛盾しているようで、正しい。



桃華が横を歩く。


「なあ」


「うん」


「今日どうやった?」


颯太は少し考えてから言う。


「怖い」


「またそれ」


「でも」


「うん」


「目、離せへん」


桃華は少し笑う。


「それでええ」



颯太は横を見る。


(この距離でええんか)


(近すぎるのに、遠い)



でも一つだけ分かる。


もう、戻れない。


でも… 離れる必要もない。



その曖昧な場所に、二人は立っていた。



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