第91話 「“斉藤もも”ファン感謝祭(御食事会編)」
■都内イタリアンレストラン・昼
都内のイタリアンレストラン。
本来ならば、そこにあるのは祝祭の空気のはずだった。
だがこの日は少し違う。
ガラス張りの窓から差し込む光が柔らかすぎて、
逆に現実感が薄い。
テーブルクロスは白。
食器は整然と並び、
カトラリーは一ミリもズレていない。
しかしその完璧さが、
かえって“人工的な静けさ”を作っていた。
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■予定変更という異常の自然化
本来この日は握手会だった。
しかし当日朝、スタッフ間に短く共有された情報。
「参加予定者のうち10名が体調不良でキャンセル」
理由は曖昧だが、誰も深く追わない。
その結果。
握手会 → 食事会へ変更。
それは異常な判断ではなく、
“最適化された対応”として処理された。
(こういうこともある)
誰もがそう納得してしまうほど、
この場の“斉藤もも”という存在は安定している。
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■会場の空気
40人。
人数としては少ない。
しかし密度は異様に高い。
誰もスマホを構えない。
誰も大声を出さない。
代わりにあるのは“観察する静けさ”。
隣の参加者が小声で言う。
「これ、握手会より緊張するな」
「うん、距離が近いのに遠い」
「わかる。なんか“同じ空間にいる感覚”が強すぎる」
前の席の男性がうなずく。
「イベントっていうより……会議みたいだな」
「でも内容は食事会なんだよな」
その矛盾が、逆に全員を落ち着かせている。
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■ももの登場
静かに扉が開く。
音は小さい。
だが全員がそれに気づく。
斉藤もも。
歩き方は一定。
表情は柔らかい。
けれど“揺らぎがない”。
ステージでもなく、
カメラの前でもなく、
ただの空間に現れた存在。
それなのに空間が整列する。
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■挨拶
ももは軽く頭を下げる。
「今日は暑い中、来てくださってありがとうございます」
声はよく通るが、押し付けがない。
「今日は食事を用意させていただきました」
一拍置く。
「どうか、ゆっくり楽しんでください」
拍手。
だがそれは“盛り上がり”ではない。
むしろ“承認”に近い。
(この時間は成立している)
という確認の音だった。
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■40人の“記録される側の沈黙”
料理が運ばれる。
パスタ、肉料理、サラダ、スープ。
誰も最初はすぐに食べない。
「いつ食べていいのか」を一瞬だけ探る。
そして、ももが自然にフォークを持つ。
その瞬間、全員が同じ動きを始める。
(あ、今だ)
合図はない。
でも全員が理解する。
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■ももの視線
ももは一人ずつ見る。
それは“接客”ではない。
もっと静かな行為。
記録に近い。
(この人は大学生)
(この人は社会人)
(この人は高校生)
(この人は長く来ている)
言葉にしない分類が、
一人ずつ積み上がっていく。
ある男性が少し笑って話す。
「ももさんって、ちゃんと覚えてるんですか?」
ももは即答する。
「はい」
「全員?」
「はい」
その返事に、場の空気が少しだけ静かになる。
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■颯太の観測
水上颯太はその中にいる。
だが他の誰とも違う見方をしている。
(覚えてる、か)
(“覚えてる”じゃなくて“管理してる”に近い)
そう思ってしまう自分がいる。
だがそれを言語化はしない。
ただ静かに、料理を口に運ぶ。
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■40人の“同じ安心と違和感”
誰も不満はない。
むしろ満足している。
だが全員がどこかで気づいている。
(これは普通のファンイベントじゃない)
(でも異常でもない)
その曖昧さが、
一番安心する。
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■個別時間の拡張
ももは一人ずつ向き合う。
名前を呼ぶ。
「佐藤さんですね」
「はい」
「ありがとうございます」
「鈴木さん」
「ありがとうございます」
その繰り返し。
だが単調ではない。
それぞれに“間”が違う。
まるで一人ずつ違う時間軸を扱っているようだった。
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■颯太の番
最後。
水上颯太。
ももは少しだけ目を細める。
「大学生です」
颯太は答える。
ももは頷く。
「知ってるよ」
その言葉は小さい。
しかし確実に“個人”として届く。
颯太は一瞬だけ黙る。
(知ってる、か)
(それだけで全部説明されるのが嫌やな)
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■食事会への移行
ももは自然に席を移動する。
誰も驚かない。
ただ“流れとして受け入れる”。
空いた席に座る。
そして当然のように――
颯太のテーブルへ。
隣の男性が小声で言う。
「え、そこ行くんだ」
「いや、普通に自然すぎて怖い」
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■トイレという“分岐点”
颯太が席を立つ。
「すみません」
軽く会釈。
椅子がわずかに音を立てる。
廊下へ出る。
その瞬間、会場の音が一段階遠くなる。
食器の音。
笑い声。
全部が“背景”になる。
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■ももの移動
数秒後。
ももも立ち上がる。
誰も気づかない。
スタッフすら一瞬遅れる。
だが止めない。
(あれは動線だ)
誰もそう理解しているわけではないのに、
そう扱ってしまう。
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■廊下・すれ違い
洗面所前の廊下。
照明は少し暗い。
白い音のない空間。
颯太は手を洗っている。
水の音だけ。
そこへ、足音。
もも。
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■沈黙の接触
何も言わない。
説明もない。
確認もない。
ただ一歩。
距離が消える。
そして―― 唇が触れる。
短くて濃厚なキスを…
しかし軽くはない。
重くもない。
“認識の再同期”。
その一瞬で、二人の世界だけが同じ座標に戻る。
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■停止
水の音だけが残る。
颯太は目を閉じない。
ももも閉じない。
ただ見ている。
見ているだけで成立している時間。
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■ももの言葉
「ちゃんと、ここにいてね」
少しだけ柔らかい声。
だが命令ではない。
確認。
そして安心の要求。
颯太は小さく答える。
「おるよ」
それだけ。
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■戻る二人旅
ももは先に戻る。
颯太は数秒遅れる。
その数秒が“切り替え時間”になる。
扉を開ける。
再び食事会。
笑い声。
食器音。
40人の現実。
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■締め
誰も知らない。
誰も気づかない。
ただ一つだけ確かなこと。
この空間には、
同じ“女性”を見ている人間が40人いる。
しかしその中で、
唯一“別の時間”を共有しているのは一人だけ。
水上颯太。
そして斉藤ももは、
今日もその事実を崩さずに、
静かに全員の前に存在している。
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