第86話 「“日常化する非日常”と、境界の消失」
■居酒屋・夜の後半
時間が進むにつれて、店内の空気はさらに奇妙な安定に向かっていた。
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最初の“騒ぎ”はもうない。
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代わりにあるのは、
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「そこにいることを前提にした会話」だった。
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グラスが回る。
笑い声が戻る。
注文の声が飛ぶ。
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ただし、その中心だけは変わらない。
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■ももという存在の“固定化”
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“斉藤もも”。
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そこにいることが、もう驚きではなくなっていた。
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「いる」こと自体が環境の一部になり始めている。
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■サークル内の空気
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先輩男子がぽつりと言う。
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「なんかさ……普通に飲んでるのすごいよな」
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同期女子が笑う。
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「いや、逆にもう慣れてきた」
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別の声。
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「人って適応するんだな」
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■ももの視線
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ももはその会話を聞きながら、
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グラスを軽く回す。
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(慣れられるの、早いな)
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驚きではなく、観察。
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■颯太の位置
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颯太はその横にいる。
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特別扱いでもなく、
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ただの“隣の席”。
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しかしその位置だけが、明確に意味を持っている。
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■先輩女子の再質問
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「ももさんって……普段もこういう感じなんですか?」
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ももは少し考える。
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そして答える。
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「場所によって、変わるだけです」
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それだけ。
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■静かな衝撃
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その言葉に、少しだけ空気が変わる。
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「切り替えてるってこと?」
「プロってすごいな」
「それ自然にできるのやばい」
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■颯太の心の中
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(もう“演じてる”って感覚でもないな)
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(切り替えが生活になってる)
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■境界の崩壊
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「桜井桃華」と「斉藤もも」。
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それを分けて考えることが、
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この場ではもう意味を持たなくなりつつあった。
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■外側の視線
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店の外を通る人が足を止める。
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ガラス越しに見る。
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しかし入ってこない。
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“見ているだけの世界”。
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■ももの一言
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小さく、ぽつり。
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「ここ、面白いね」
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颯太は少し笑う。
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「まぁ、普通じゃないけどな」
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■安定した異常
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誰も大声で騒がない。
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誰も強く否定しない。
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“異常”が“日常の一部”になっている。
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■締め
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夜が深くなる。
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居酒屋の音は少しずつ落ち着いていく。
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でも中心にあるものだけは変わらない。
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ももがグラスを置く。
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「そろそろ、帰る?」
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颯太は短く答える。
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「だな」
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その一言で、この夜は“普通の飲み会”として終わりへ向かう。
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ただし誰も、
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この時間を“普通だった”とは言えないままだった。
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