第81話 「“日常に紛れた非日常”と、大学という舞台」
■大学キャンパス・朝
朝の大学構内は、いつも通りの速度で動いていた。
講義開始まで、あと数分。
急ぎ足で建物へ向かう学生。
片手にコーヒーを持ち、笑いながら話すグループ。
イヤホンをつけ、世界から切り離されたように歩く者。
誰もが、それぞれの“今日”を生きている。
どこにでもある、ありふれた朝。
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――そのはずだった。
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ほんのわずかに、
空気の“流れ”が乱れる。
風ではない。
音でもない。
視線。
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誰かが、立ち止まったわけでもないのに、
人の目線だけが、同じ方向へ揃っていく。
意識してではない。
反射的に。
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「……え?」
小さな声。
抑えたつもりの、漏れた声。
それが、静かに周囲へ伝播する。
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■違和感の正体
人の流れの中に、一人。
ただ歩いているだけのはずなのに… “そこだけ密度が違う”。
浮いてはいない。
むしろ自然。
それなのに―― “自然すぎて、浮いている”。
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桜井桃華ではない。
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そこにいるのは、
“斉藤もも”。
スマホの画面越しに見る存在。
タイムラインの中で消費される存在。
“現実の温度”を持たないはずの人間。
その存在が今、この地面を歩いている。
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■ざわめきの広がり
「ねぇ、あれ……」
「待って、本物じゃない?」
「似てるじゃなくて、本人だよね?」
「なんでここに……?」
声は抑えられている。
だが、“抑えきれていない”。
「撮影……?」
「でもカメラないよ?」
「普通に歩いてるよね……?」
誰も近づかない。
近づけない。
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けれど、誰も視線を外せない。
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■ももの“日常”
ももは気づいている。
視線の集まり。
空気の揺れ。
音が一瞬だけ変わる瞬間。
すべて。
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だが、反応しない。
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歩幅は一定。
姿勢も変えない。
視線も泳がない。
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ただ… “いつも通りに歩く”。
その“いつも通り”が、この場所では異質だった。
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そして―― 数メートル先。
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颯太がいる。
人混みの中に埋もれる、完全な“背景”。
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ももは、ほんの一瞬だけ視線を向ける。
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一瞬。
本当に、一瞬。
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そして、小さく手を振った。
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■見えてしまった違和感
それは自然な動作だった。
知り合いを見つけた時の、軽い合図。
だが。
ひとりの女子学生が、その動きを捉える。
(今の……誰に?)
違和感。
(ファンに向けた感じじゃない)
もっと限定された、“個人に向けた動き”。
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(距離、近くない……?)
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答えは出ない。
だが、“引っかかる”。
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■食堂・昼
昼。
大学の食堂は、音で満たされる。
トレーがぶつかる音。
椅子を引く音。
笑い声と、注文番号のアナウンス。
“日常のピーク”。
颯太は、その中心にいながら… 完全に溶け込んでいた。
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誰も見ない。
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彼は、ただの学生。
その隣の椅子が、静かに引かれるまでは。
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■隣に座るという“事件”
音は小さい。
だが、空気が止まる。
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座ったのは――“斉藤もも”。
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迷いがない。
遠慮もない。
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“当然のように隣にいる”。
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(え?)
(今、隣に座った?)
(なんで?)
(どういう関係?)
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思考が追いつかない。
音だけが、一瞬遠のく。
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■テーブルの下
言葉はない。
視線も合わせない。
ただ、テーブルの下で… 指先が、触れる。
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一瞬では終わらない。
離れない。
ゆっくりと、確かめるように絡む。
恋人繋ぎ。
隠されているのに、決定的な行為。
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■“確信”へ変わる空気
「今の見た……?」
「距離おかしくない?」
「いや、あれ絶対……」
「知り合いじゃないでしょ、あれは」
ざわめきが、“推測”から“確信”へ近づく。
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ただの興味ではない。
踏み込みかけている。
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■ももの選択
ももは、その“境界”を読む。
これ以上は危険。
ゆっくりと立ち上がる。
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■言葉による制御
「すみません」
大きくない声。
だが… 全員に届く声。
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空気が止まる。
「彼は知り合いなので、声をかけました」
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■意味
それは説明。
同時に、“線引き”。
ここまで… それ以上は踏み込むな。
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■再び“日常”へ
「……ああ、そういうことか」
「知り合いならまぁ……」
「でも距離は……」
「いや、有名人だし?」
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納得しきれないまま、人は納得する。
“日常を壊さないために”。
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■それでも残るもの
ももは座り直す。
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テーブルの下。
手は、まだ繋がれている。
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離さない。
離れない。
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■小さな声
「びっくりした?」
囁き。
「ちょっとな」
返答も、小さい。
誰にも届かない。
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■境界
ここは現実。
大学。
だが、その中にある“例外”。
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誰も触れない。
触れられない。
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■締め
食堂は元に戻る。
音も、会話も、流れも。
だが―― 中心にあった違和感だけは、消えない。
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桜井桃華ではない。
斉藤ももでもない。
その両方であり、どちらでもない距離。
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ももが呟く。
「普通にするの、意外と難しいね」
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颯太は答える。
「でも――これが普通だろ」
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その“普通”の意味を、
理解できる者は、まだ誰もいなかった。
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