第20話:愛梨の本心 ティティーの覚悟
たゆたう穏やかな川の流れに身を任せる事しかできない愛梨は幼い頃を思い出していた。かつて病弱だった愛梨は沢山の薬を服用していた。そしていくつかの副作用のせいで顔は風船の様にパンパンに腫れあがっていたのである。子供は無邪気で残酷だ。愛梨の容姿を容赦なく攻撃し続けた。醜いと嘲笑う者。まるでばい菌に触れたかのように騒ぎ立て面白がる者。
『みんな大嫌い……』
傷つく愛梨を優しく慰めてくれたのはいつだって大好きな両親だった。それでも他人からつけられた傷は癒える事はない。そんな時、新薬を試す機会が訪れた。両親は縋る想いでその薬に賭け、そしてその賭けに勝ったのである。愛梨の容姿はみるみる愛らしい本来あるべき顔へと変貌を遂げ、体も健康になったのだ。そして愛梨を取り巻く環境は一変する。
「桃原さん今までごめん。これからは仲良くしよ! 愛梨ちゃんって呼んでいい?」
「愛梨ちゃんって本当可愛いよね」
「あたし達ずっと親友だよ!」
「桃原さん好きです。付き合ってください!」
手の平を返すとはまさにこの事か、と愛梨は嘲笑じみた笑いを抑える事ができなかった。今までさんざん傷つけられた分、強かに周りを利用してやろうではないか、と愛梨は皆が望む可愛い笑顔を貼り付け日常に溶け込ませていく。
「みんな!愛梨のためにありがとね♡」
みんなだって愛梨を利用してるんだもん。愛梨もそこに付け込んでもいいよね?
これが愛梨の日常であり歪んでしまった所以なのだ。だからこそ、自分以上に己の恵まれた容姿を活用しない菜緒に勝手に腹が立った。不愛想なだけなのにクールと言われ、少し笑っただけでみんなが喜び、真面目な性格を過剰に褒められる。だが好意を向けられている肝心な本人は全く気付いていない。それどころか幼い頃からの無二の親友以外に理解者を求める事を決してしない。
あの二人にしか見せない信頼感を無性にぶっ壊してやりたかった。
いつのまにか辺りの川の流れは激しくなっていた。だがその流れから愛梨を守る様に張られた水幕は激しさとは裏腹に変わらずゆっくりと愛梨を運んでいく。ティティーの優しさを嫌でも感じる。
「馬鹿な女。愛梨を逃がすなんて……。自分のために利用すれば良かったのに……」
どんなに嫌がらせをしても執着をしても振り向いてくれなかった菜緒。だがティティーは違った。真っすぐに愛梨を見つめ、敵意を隠さず本気でぶつかり合った菜緒以上の格上の女。そして自分に向ける心からの優しさに愛梨は思わず失笑する。
「……ふっ。案外悪くなかったな……。本音でぶつかり合うのも……」
キラキラと輝く水面を水の中から見つめながら愛梨は心地の良い悔しさに包まれていた。できれば一生気づきたくなかった己の本心を認めざるをえなかった。
「あーあ。愛梨って本当バカ……。そっか、菜緒ちゃんと友達になりたかったんだぁ……」
そして、ティティーとも……。
やり方を間違えてしまったために三人もの同級生を危険な目に合わせてしまった後悔と罪悪感は一生消えないだろう。だがその罪悪感に一生真摯に向き合っていきたい。そしてもしこの先無事に皆に会えたらちゃんと謝罪しようと心に決める。
「もう……! こんな気持ちになるのはティティー様のせいよ! ティティー様も無事じゃないと許さないんだから……!!」
こぼれ落ちる涙とは逆に晴れやかな気持ちが愛梨を前向きにしてくれた。いつの間にか川の激流ポイントを過ぎ去ったのか緩やかで穏やかな流れになっている。まるで自分の人生のようだと愛梨は静かに目を閉じ、エトナ国への到着に備えた。
ー・・
ティティーは緊張していた。エルバートがいるであろう執務室のドアを汗ばんだ手で3回ノックする。中からエルバートの許可が下りたのを確認し、一呼吸し中へと入る。
「ティティー? 何の用だ」
「殿下……。恐れながら内密の話にございます」
エルバートは訝しみながらも珍しく緊張を隠せていない婚約者のために、自分達以外の者に外へと出るよう指示する。最後の一人が出て行き扉が閉まったことを見届けるとティティーが慌てたようにエルバートの側へと行き、小さな声で報告をする。
「エルバート。あの者は聖女ではなかったの!」
「何だと……!? なぜそんな事が分かる!」
狼狽するエルバートにティティーは順に嘘と真実を織り交ぜながら説明する。
「中庭に案内した時に気づいたの。あの者から魔力を感じられないという事に。だから人目につかない場所に行き、聖女の力を確認したいと言ったら慌てて川へと飛び込み逃げて行ったの。ごめんなさい! その時、偶然水門が開いていて……。わたくしのせいだわ……!! 本当にごめんなさい!!」
両手で顔を覆い泣きじゃくる婚約者にエルバートは大いに戸惑っていた。理由は二つ。ウィリー・クローベルの懸念通り、聖女が本物ではなかったという事と、もう一つ。いつも完璧な婚約者が失態を犯し、泣いて自分に謝罪している事に……。
「……魔力が消えていたというのはなぜだ? 欠片も感じなかったのか?」
ティティーの両肩に恐る恐る両手を置き、なるべく優しく問い詰める。ティティーはうつむき震えながらも、なるべく愛梨のために時間を稼ぐためゆっくりと自分の思考をエルバートへと伝える。
「……これはわたくしの考えだけど……。きっと召還の儀によって残留した魔力があの者にまとわりついていたのではないのかしら……?……伝説によれば本物の聖女様のお力は癒し……。だけどあの者から感じたのはエルバート、あなたと同じ炎の魔力だったわ。……きっと術者であるあなたの魔力の残りが時間が経つにつれ消えて行ってしまったのよ……」
ティティーの考えは当たっているのだろう。愛梨の見せたあの動揺も相まって、その説明に納得がいってしまったエルバートは上を向き、片手で両目を覆うとフラフラと歩きだす。そして、先程自分が座っていた席の机に寄りかかってうつむいてしまった。
「……落ち着け。召還の儀は皆の前で成功させた。……あの三人はきっと死んでいる。ならあの小娘を連れ戻すか……? いや! もうランドールの外……。死んでいるかもしれん。くそ!! どうすれば……」
暗い顔でブツブツと自分の考えをまとめながらその結論に悪態をつきつつも、考える事を辞めないエルバートにティティーはそっと寄り添う。
「……エルバート。愛してる。あなたのためならこの命、惜しくなんてないわ……」
「なっ!?」
突然の愛の告白に驚き、弾かれたように顔を上げるエルバートは、頬を紅潮させ目を潤ませながらも真剣な瞳を向けるティティーと目が合う。そして目が離せなくなった。
「あなたのためになるのなら、どんな事だってして見せる。たとえ、お父様と決別する事になったとしても……」
「……ティティー」
エルバートは慈しむようにそっとティティーを抱き寄せる。それに応えるようにティティーは震える両手でエルバートの背を包み込む。震えながらもその両手に力を籠められ、肩に頬を寄せられた瞬間エルバートは確信した。
ティティーはまだ利用できると。
「……ティティー。聖女のことは誰にも言うな。俺がなんとかする。義父上にはまだ本物か測りかねていると伝えろ。いいな?」
「分かったわ……」
更に強くティティーを抱きしめ、見えぬように暗い笑みを落とす。幼い頃から知っている優しい香りがエルバートの鼻孔をくすぐった。ティティーを愛しく思う気持ちに蓋をし、今後の事を考えるために目を閉じる。
今だけはこのままでいたいと、らしくない事を思いながら……。




