12 没落娘はパーティールーラー その1
試食会当日、ダンジョン地表階層は店内はピカピカに清められ、それぞれのテーブルに置かれた花瓶には、食事の邪魔にならない素朴な花が飾られている。
朝早くから焼き上げて粗熱を冷ましたクッキーなど、お菓子の準備も万端だ。
「お花、テーブル、茶葉、お湯、ミルク、クッキー、パン……」
チュチュは一つ一つ指で確認してからチェックをつけた。ぬかりはない。
「グリムのほうはよろしくって?」
「慣れたとは言わないが、不足なくやってみせよう」
人間形態になったグリムは、金色の髪を後ろに撫でつけて、より給仕らしく務めている。いまは教わった礼儀作法の最終確認をしている最中だ。
「よしなに。ティレント、コロン、トリギュラ、コッツも、今日はスタッフルームでお願いしますわね」
「ちゃのー!」
「ぷにに!」
「もけー」
「ちょっと寂しいですけど、待ってます!」
キッチンで作業をしていたモンスターたちが、元気よく答える。コッツは最後の調整を済ませて、骨と同色の白いエプロンを外した。
そろそろ約束の時間になる。キッチンでたっぷりと湯を沸かし始めながら、彼女はコロンにミルクの入った瓶を預けた。
「頼みましたわよ、コロン」
「ぷにっ!」
階段を降りていきながら自身は飛び跳ねず、体の内側だけで瓶を跳ねさせ始めた。時々表面がぼこぼこと瓶型に出張るが、問題なさそうだ。
飛び跳ねるよりも効率的なバターの作り方を覚えたのだった。
「客が来るぞ、キスキィ嬢」
「いま出迎えに行きますわ」
二人はダンジョンの外へ出て、招待客を待った。
最初に現れたのは、アザムとミルカの二人組だ。店に出ているのと違い、貴族に会うような恰好をしている。
「ようこそおいで下さいました。ミルカ様。アザム様」
膝を曲げて出迎えられると、顔を真っ赤にして彼女は両手をぶんぶん振った。
「ひええ……さ、様なんてそんな!」
「すまない。こんな扱いは慣れていなくてな」
「お気になさらず。グリム、中へ案内して差し上げて下さる」
グリムは頷いて、ドアをゆっくりと開けた、エスコートするように二人を席まで導く。四人がけのテーブルには、椅子が二つしかない。
今日ばかりはゆったりと味わってもらうために、二組ずつに分けている。
「こちらへどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「ありがとう。……いいところだ」
ミルカは深呼吸をして自分を取り戻すのに精一杯だったが、アザムはこの空間を味わっていた。
テーブルから花から、あらゆるものが彼にとって新鮮だ。貴族の一室と見まごうほどの空間は、それでも息苦しくないほどに抑えられている。
「残りのお客様が着くまで、もうすこしばかりお待ち下さい」
「は、ひゃい」
「気にしないでくれ」
恭しく礼をして、グリムは外へ次の客を出迎えに行く。残された少女は、それでようやく一息つくことができた。
「す、すごいお店だね。外から見たときもすごかったけど、中に入るともっとすごいね」
「うむ。町からは離れているが、これだけの店ならそれだけで来る価値があるな」
「あたしもいつか、こんなお店が出したいなぁ」
商人見習いのミルカは夢に憧れる。
現実を知るアザムは、この店がどれほどの価値になるのか、とても孫には話せなかった。
ふたりが来てからいくらも待たず、二頭引きの馬車が姿を現した。ヴィナ・ノワ家の紋章が入った立派なものだ。御者がぴったり店前に止める。
中から、皮商人とルスカが降りてくる。皮商人も立派な服を身に着けているが、ルスカのそれと比べれば明らかに格が落ちる。
「ようこそおいで下さいました」
「うむ。辺鄙だが、こんなところにしては立派すぎるぐらいだな」
彼は不釣り合いなほど立派なダンジョンを眺めながら言った。
板ガラスの嵌まる壁など、ちょっとした貴族でもなければやらないだろう。
「ありがとうございます。わたくしも、出会えた幸福を喜ぶばかりです」
「ほほう。このために新しく建てたわけではないのか?」
にこりと微笑みながら言うチュチュに、ルスカは片眉を上げる。
こんな場所に元からあったわけがないと思うのは不思議ではない。
「……わたくしの私財は、からっぽでございます」
「なるほど。これだけのものにすれば、そうもなろう」
チュチュの衣服とダンジョン表層の関係に、ルスカは納得したようだった。
皮商人はルスカに振り回されたせいか、ぽかんとしたまま気を取りもどしていないようだ。
ふたりをグリムが案内して、彼女は最後に中へ入った。
貴族だろうと平民だろうとダンジョンマスターの前には変わりない。
グリムの言葉を心のなかで唱えると、ダンジョンは幕を開ける。
そこから先は、チュチュ・キスキィが空間の支配者だ。
「みなさま。お足を運んでくださり、ほんとうにありがとうございます。それではわたくしの店で出す予定のものを、試してみていただきたいと思います」
改めて挨拶をしてから、チュチュはキッチンで紅茶の用意をした。
「茶葉はどこのものを仕入れている?」
「自家製ですわ」
「ほほう。それだけ自信があると思っていいのだな」
噛みつかんばかりのルスカに、彼女はにこりと微笑むだけで会話を断ち切った。
ポットに入れた茶葉に、沸いた湯をたっぷりと注いでいく。すると、香ばしい匂いがふわりと広がり始めた。
「ふわぁ……なんだろう、甘くていい匂い……」
すんすんと犬のようにミルカは匂いを嗅ぐ。それはルスカが嗜むような高地の茶葉ではない。しかし無発酵茶とも違う香りはまちがいなく紅茶だ。
抽出し終えた紅茶をカップに次ぐと、チュチュはテーブルまで運んだ。
「紅茶ですわ。好みでミルクを入れてくださいませ」
そういうと彼女は次の準備のために
これが紅茶というものか、と、商人と見習いの三人はじっくりと視線を向ける。
「……深い紅だ。なるほど、紅茶か」
白いカップに注がれたせいか、濃い色が映えていた。
「砂糖はないのだな」
「そうすると、貴族でない方には手を出しにくい価格になってしまいますので」
グリムの説明にうなずくと、ルスカは薄手のカップを手に取った。地味だが、しっかりとした磁器だ。つるりとした手触りは、三人には馴染みないものだ。
「それはそうだな。いただこう」
ルスカがそのまま口をつけるのを見習って、まずは三人もそのまま飲んでみた。
「……ほほう。俺が飲んでいるものとは別種だな」
大人三人は、それぞれに味わいを感じている。そのコクと甘味は、酒を飲むものにわかりやすいだろう。
「おいしい……のかな?」
しかし、まだ酒を嗜まない彼女には分かりづらかった。まだ紅茶の渋味や苦味を強く感じてしまい、すこし眉をひそめる。
「でしたらミルクを入れてみて下さい。その方がおいしいですよ」
静かに立っていたグリムが、そっとテーブルのミルクを差し出した。
こくりと頷いて、彼女はカップにミルクを垂らしていく。小さなスプーンで掻き混ぜた。
「……あ、いいにおいかも」
ミルカが一口飲んでみると、先ほどの印象とはまったく違うものだった。
「おいしい! ……なんでこうなんだろう?」
「ミルクで嫌な部分が隠されて、いい部分が前へ出てくるからだ。……確かに、ミルクティのほうがうまい」
ルスカもミルクを入れて飲んでみると、その方がこの茶葉に合うことに気がついた。二つの濃厚な味わいは、互いを引き立てあうものだ。
四人がミルクティを飲んだところへ、チュチュがやってきた。
「お待たせ致しました。クッキーと、甘いものが苦手な方用のパンですわ」
クッキーは二種類あり、片方はプレーン、もう片方は砕いた木の実が入っている。パンは薄切りにして釜でよく炙ったものだ。それにバターの小瓶が付く。
お菓子を前にして、ミルカの目の色が変わる。ルスカもプレーンを一枚手にとって、口にした。
「甘くておいしい!」
「ほほう。甘くなくてうまいな」
「えっ?」
「なんだと?」
まったく対抗的な意見が出て、ミルカとルスカはお互いを見合った。もう一枚口にしてみたが、その感想は覆らない。
「意見が違うな。どういうことだ?」
くすくすと笑って、チュチュは口を開いた。
ここは紅茶のおいしいダンジョン――戦闘開始。




