13 没落娘はパーティールーラー その2
「ルスカ様は、普段からお砂糖のたっぷり入ったお菓子を召し上がるのでしょう。ミルカ様はそうではないからですわ」
考えてみればかんたんな話だ。
平民にとって甘いものと言えば果物かハチミツぐらいで、お菓子なんて年に一度口に入るかどうかだった。
「なるほど。砂糖菓子はあまり好かんから、俺にはこちらのほうがいい」
「そうなんだ……果物とかとぜんぜん違う、やさしい甘さですね」
上質のバター、ミルク、たまごをたっぷり使ったクッキーは、素朴ながら新鮮なものだ。
「……なくなっちゃった」
余分な甘味がないせいか、サクサクと軽いクッキーはあっという間に消えてしまった。
あまりに夢中になっていたのか、ミルカどころか大人も気がつけば食べてしまっていたらしい。
「むう。……悔しいがうまいな。しかし、パンは普通のものか?」
「勝手にパンを作るわけにはいきませんから」
間をもたせるようにしてか、ルスカはバターを塗ってパンをかじった。パリっと香ばしい音が広がる。
ざくざく齧っているうちに、彼は目を見開いた。
「なんだこのバターは……こんなものがあるのか?」
そう言いながら、残ったパンにこってりとバターを塗って、つぎつぎ口にする。
釣られて、三人も食べ逃してはなるまいとパンを齧った。
「おいしい! なにこれ、ふわってして……」
「脂臭くも乳臭くもない。信じられん」
最後には皮商人が、バターの入った器をパンで撫でてまで食い尽くした。あっという間にテーブルは空になってしまう。
「おい。このバターは買えるのか?」
「買えるのだったら、俺も仕入れたい!」
すっかり見せられてしまったルスカと皮商人は目の色を変える。
しかしチュチュは首を振った。
「残念ながら、日を置くとこのおいしさはなくなってしまいますの」
「……そういうことか。保存食じゃないバターとは、考えもしなかった」
作ってすぐ食べるバターは、素材のミルクの味を濃縮したような風味と甘さがある。
新鮮なミルクを使い放題の牧場かこのダンジョンでなければ、とても食べられないだろう。
「なるほど、クッキーも美味いはずだ」
「ふうむ。あのいくらでも食えるクッキーは、軽いバターのおかげでもあったか」
いつの間にか、全員のカップは空になっていた。グリムはまだ温かい紅茶のおかわりを注いでいく。
「ありがとうございます。……はぁ、おいしかった」
かすかに残るクッキーとバターの味を思い出しながら見るかは、ミルクを入れてちびりちびりと紅茶を楽しむ。
「あら、もういいんですの。次はチーズのサンドウィッチを食べていただこうと思っていましたのに」
「ええっ、食べます食べます! まだぜんぜん入りますよ!」
慌ててカップを置く少女に、チュチュはにこりと微笑んでキッチンへ入った。
「うむ。チーズのサンドウィッチもうまかった。結論から言えば、この店はまったく問題ない。紅茶も本物のようだ」
三杯目の紅茶を飲みながら、ルスカは椅子にもたれかかった。テーブルには食べ終わった食器が所狭しと並んでいる。
「ありがとうございます。これで安心して店を開けますわ」
「俺からすぐ営業許可証を出すように言おう。この店のバターとチーズは食べに来る価値がある」
そういう彼にチュチュは、いかにも驚いたとばかりに目を丸くした。手で口を覆って、悲しげに眼さえ伏せる。
「あら。紅茶は飲んでくださいませんの?」
「おっと、紅茶もうまい店だ。付け加えておこう」
「それはよかったですわ」
苦笑しながらルスカは両手を上げた。ころりと笑みを見せる彼女に、文字通りのお手上げだ。
ひとしきり笑ってから、彼もまたころりと表情を変えて真剣な眼差しをする。
「さて、これだけの店だ。さぞや値段が高いのだろうと思うが、いくらで出すつもりだ?」
その質問には、平民の三人も喉を鳴らしてじっとチュチュを見る。それ次第で年に何度来れるか、それとも今回限りかが決まってしまう。
その場に居る全員を一人ずつじっと見てから、彼女は想定していた金額を口にした。
「……安い。いや、安すぎる。それで成り立つのか?」
その値段は、すこし切り詰めれば紅茶とクッキーとパンを頼んでも、平民でも週に一度は通える額だ。ルスカが妥当と考えていたものより遙かに安い。
商人見習いのミルカでも、二週に一度なら手が届くだろう。
「利益はありましてよ」
くすりと笑って、チュチュはアザムを見た。いつか言ったことを返されて、彼はううむ、と唸る。
商人見習いとしてではなく、一人の少女としてミルカは喜んだ。この世のものとはおもえないほど美味しいものを、また食べられるかもしれないと。
皮商人は頭のなかで計算しつつ、どう考えても利益が出そうにないことに首をひねった。
「それならば俺はなにも言わん。しかし、一つ提案がある」
「……なんでございましょう」
ぎらりと目を輝かせるルスカに、チュチュは嫌な予感を覚えた。
「これだけの店だ。一枚噛ませろ」
それは現実のものとなって、彼女に襲いかかる。
「……パトロンになりたいと?」
「そうだ。お前は平民のための店にしたいらしいが、それだけで終わらせるわけにはいかんな」
このあたりでは、この店でしか食べられないものを出すのだ。貴族がほうっておくわけはない。
特等席の一つも作れと言われるのは彼女も覚悟していたが、パトロンになりたいとまで言われるとは思っていなかった。
それだけ評価されたことはありがたくても、関係を深めることは避けたいのがダンジョン側の意見だ。
「しかし、わたくしは支援を求めてはおりません」
「お前がそう思わなくても、俺は友人をこの店に呼ぶぞ」
ほとんど脅しのようなものだ。そうなれば、平民の脚が遠のいてしまうかもしれない。
貴族が通う度に自然と箔が付いて、貴族御用達の名が売れるだろう。
しかし格式張ったそのダンジョンに人が寄り付かなくなれば、それは間違いなく失敗だ。
一度だけ強く目をつぶって状況を考えると、グリムはチュチュの耳元で囁いた。
「この話、受けよう」
「グリム……」
「呑めばいくらか交渉ができる。だが呑まねば勝手にやられるだけだ」
「……わかりましたわ」
揺らいだ瞳に碧い炎を灯して、彼女はルスカと対峙する。その表情は、まさしくこの場を統べるものだ。
その変わり様に彼は瞠目した。目の前にいる彼女は風変わりな商人ではなく、一介の貴族の風格を持っている。
「ほほう。なかなかどうして、いい顔をする。返事を聞こうか」
「この話、受けさせていただきますわ。しかし、ここはわたくしが仕切るものです。ルスカ様と言えど、口を出していただきたくない部分はございます」
ぐっと体を前に乗り出し、大きな体でチュチュを威圧した。男女差だけでは収まらない、貴族として侮られてなるものかという気迫がある。
「言ってくれるではないか。俺の注文を跳ね除けるというんだな?」
「この店のためにならないとあれば、そういうこともございましょう」
しかし彼女は一歩も引かず、逆に微笑みさえした。涼風でもあるかのように、目の前の暴風をいなしてみせる。
じろりと睨まんばかりの彼は、その碧い瞳を覗きこんだ。その中には信念の炎がごうごうと燃えている。
折れない。そう確信して、ルスカは体を引いた。
「はっはっは。そうでなければ支援する価値もない。いい度胸だ、キスミー」
「名前を覚えていただいて光栄ですわ」
膝を曲げて彼女は礼を見せる。
冷めかけた紅茶で口を湿らせながら、彼はすこし考えに没頭した。そのあいだ、誰も喋ろうとしなかった。
「よろしい。お前がどうしてもダメだという部分は引き下がろう。しかし、俺の客を連れてくることは認めてもらう」
「それが貴族様だろうとお客様は全員、同列に扱うと認めていただけるのであれば、わたくしどもは拒みませんわ」
ぱちりと両者の間で火花が飛ぶのをミルカは見た。貴族に一歩も引けを取らず、堂々と競ってみせるチュチュを見て、彼女の胸がときめいた。
女商人でも、そんなことをやれればと夢を見てしまう。どれだけ難しいことかは彼女にもわかっていた。しかし目の前にそれを実現している人がいる。
憧れるなというのは、誰にだって言えなかった。
「ふふん。そこまで言うのであれば、やってもらうのもおもしろい。次に来た時は期待しよう」
「お待ちしておりますとも、ルスカ様」
「すぐに営業許可証をくれてやる。新しい菓子を開発して待っていろ」
「またのお越しをお待ちしていますわ」
捨て台詞のように吐いて、ルスカは席を立った。
ここは紅茶のおいしいダンジョン――祝杯はミルクティ。




