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紅茶のおいしいダンジョン  作者: 高野十海
その1 開店編
10/194

10 没落娘はタイトロープウォーカー

 ふよふよと宙に浮かびながら、迷宮写本(グリム)はチュチュを見た。

 彼女は筆を執って、手のひらほどのプレートにせっせと文字を書き込んでいる。


「それは……招待状か?」

「ええ。まずは三人のお方に試してもらおうと思いまして」


 彼の中で思い当たるのは、先日、町へ降りた時に誘った三人にほかならない。


「革の商人と小麦の商人のふたりか」

「そうですわ。話というのは商人から広がるものでしょう?」


 ある種の打算ではあるが、まず人に知られなければ商売は成り立たない。彼女の目ざといところは、グリムにとって頼もしくもある。


「なるほど、彼らを呼ぶのは悪くないな」

「ええ。あの方たちに広めてもらえれば、ダンジョンだって繁盛しますわ」


 つるりと磨き上げた薄い木のプレートは、滑らかにインクを受け止めた。硬い木材を使っているから吸って滲むこともない。

 三枚とも書き上げると、チュチュは予備にもう数枚ほど作りにかかった。名前だけは入れないで、さらさらと飾られていく。


「気に入られるという確信はあるわけだ」

「わたくしが舌で確かめましたもの」


 一休みして、チュチュはミルクの入った紅茶を飲む。先日のものよりも、グレードの上がった味わいになっていた。お菓子と並行してクオリティを追求している。


「それは心強い」

「……あなたの言い方にも慣れてきましたわね」


 それが本心だろうと欺瞞だろうと、猫の舌めいてざらつく言い回しは、彼の癖みたいなものだろう。

 彼女もそれがわかってきたから突っかかることはなくなったが、どうにも飲みにくくはあった。


「ページの底から褒めているというのに、やはり信じてはもらえないな」

「信じてはいますとも。鵜呑みにしていないだけですわ」

「それを信じていないというのだろうに」


 このやりとりも慣れたもので、グリムもまた性分を変えられないから、永遠に引かれた一線であるとわかっている。


「招待状は町へ降りて配るのか?」

「ええ。まさかあの子たちに配って頂くわけにはいきませんもの」


 もしトレントやスライムなんかが町へ降りた日には、町は混乱の渦になるだろう。モンスターが人里に降りるというのはそういうことだ。


「それはそうだが……となると、接客はキスキィ嬢一人でやることになるな」

「開き直って、手伝っていただこうかしら」

「私はそれでもかまわないぞ」


 冗談めかして言うチュチュに、ぺらぺらとページを捲りながら彼は言う。飲食する場所にゾンビを召喚しろという分別のない本だ。

 ぱたりとテーブルに突っ伏して、彼女は恨めしそうに宙に浮く本を見上げる。


「できたらそうしていますわ。グリム……コートになれるのですから、人型にはなれませんの?」


 くるりと宙で回ってから、本はテーブルへ降りてくる。


「なろうと思えばなれるが、私も調理や給仕の経験はないぞ」


 まさか、ほんとうにできるとは彼女も思っていなかった。しかしいまから仕込むのだとしても、人手が増えるのはありがたい話だ。

 テーブルから起き上がって、チュチュはテーブルの本を掴み上げる。


「本の手も借りたい時ですから、やってくださいませ」

「仕方がないな……これもキスキィ嬢のためだ。一表紙脱ごう」


 彼女の手からぱっと離れると、宙を泳いだ本はモンスター召喚のように黒金色の光を放つ。閃光にチュチュが目を閉じた次の瞬間、そこに人が立っていた。

 黄金を溶かしたような金髪の、背の高い男だ。肌は紙のように白く、年月を帯びたように深い琥珀色の瞳をしている。細身の黒い給仕服がよく似合っていた。

 お嬢様然としたチュチュと並ぶのに、これほど適した姿もないだろう。あるいは、ダンジョンマスターに引っ張られてそういう姿になったのか。


「……なかなか恰好よくいらしてよ、グリム」

「ふん。偉大なるキスキィ嬢の好みに合って幸いだな」


 ぽかん、とわずかに反応に遅れた彼女に、グリムは薄い唇でいつも通りに言った。その声は本の時と変わらない。

 姿形が変わっても、なんらかわらないことにチュチュは安堵した。


「拗ねないでもよろしいでしょう。ほんとうに言っていますのよ」

「すこしは私の気持ちがわかったか?」


 本の時には口調だけだったが、人間形態のグリムには表情がある。口調はいつもどおりでも慣れていないのか、感情が剥き出しだった。

 子供のようにそっぽを向く彼のことを、チュチュはかわいらしいとくすりと笑った。


「ええ。疑われるのは悲しいですわ」

「そういうものさ」

「こういうものですのね」


 もうすこしだけ、彼女はやさしくしてあげようと考えた。


「あの子たちはグリムと同じように人になりますの?」

「できるモンスターはいるが、彼らは無理だな」


 予想はしていたから、彼女に落胆はない。むしろグリムが使えるようになって収支はプラスだろう。


「そうですの。……しばらくは二人でどうにかやっていきませんと」

「これほど本使いの荒いダンジョンマスターもなかなか居るまい」


 ふん、と皮肉げに言う顔が似合いすぎて、チュチュは逆におかしくなってしまった。


「稀有な経験ができましたわね」

「そういう言い方もあるな」


 くっくっく、とグリムは笑った。


「試食会の予定日は?」

「七日後を予定していましてよ」


 短いといえば短いが、オーマを早いところ収集したい彼にとっては待ち遠しくもある。先客の予定で前後するだろうが、目安は変わらないだろう。


「七日か……わかった、それまでに仕草を身に着けよう」

「お願いしますわね。それでは町へ招待状を届けにまいりましょう」


 彼女は予備を含めたプレートを小さなバッグに入れた。


「ふむ。コートに変わるか?」

「……いえ。今日はよく晴れていますから、このままで参りましょう。グリムも人間の体に慣れたいでしょう」

「そういうことなら体を動かさないとな」


 頷いて、彼は両手足を動かして感覚を試し始める。宙を飛ぶのと歩くのでは、相当に感覚は違うだろう。

 作業をしているモンスターたちに声を掛けてから、猪革を背負って、ふたりは町へ降りた。




「あっ、キスミーさん! ……と、ど、どなたでしょう」


 店前を掃除していたミルカは、見慣れないグリムを見上げた。見た目はチュチュのお付きのようだが、先日は見なかった者だ。彼女が訝しげに思うのは当然だろう。


「ごきげんよう。ミルカさん。これは……」


 チュチュがグリムと言ってもいいものか迷ったところで、彼は恭しく挨拶をした。

どこから仕入れた知識か、その仕草は様になっている。


「初めまして。私はキスミー様の手伝いをさせて頂いているグリムという者です」

「は、初めましてグリムさん。あたしはミルカです!」

「ミルカ様ですね」


 にこりと愛想良く彼は微笑んだ。あまりの出来にチュチュはおかしくなってしまい、笑いを堪えるのに必死だった。

 その空気を感じているから、グリムもまたそれならやりきってやれと思ってしまう。


「さ、様なんてそんな! あたしなんて呼び捨てでいいですよ!」

「そういうわけにはいきません。お嬢様のご友人ですから」

「あ、あうう……!」


 彼の悪ノリを制して、チュチュは顔を真赤にしてしまったミルカを落ち着けようと試みる。


「ごめんなさいね、ミルカさん。困らせるつもりはありませんでしたの。試食会の日程が決まりましたから、お伝えに来たのですけれど……」

「そそそ、そうですか! それはよかったです!」


 しかしさほどの効果はなく、彼女はいっぱいいっぱいになってしまい、箒でばさばさと同じ場所を掃いている。

 どうも舞い上がってしまった様子のミルカに、この場はさっさと引き上げたほうが良さそうだとチュチュとグリムは目を合わせた。

 バッグから招待状のプレートを二枚を取り出した。


「これ、ミルカさんとアザムさん分の招待状ですの。お爺様にもよろしくお伝えくださいまし」

「は、はい! 絶対行きます!」

「そうしてくれるとわたくしもうれしいですわ。それではごきげんよう」

「ご、ごごご、ごきげんよう!」


 ぶんぶんと箒を振り回しながらミルカはふたりを見送った。


「……グリム、やりすぎですわよ」

「次は控えよう。しかしキスキィ嬢も笑わなくともよかろう」


 わずかに眉間にしわを寄せるグリムは、立派な青年だというのに子供のようだ。そのアンバランスさがチュチュにはおかしく思えて仕方なかった。


「あなたが堂に入っていたから、見惚れてしまいまして」

「私のようなことを言う」


 呆れたように彼は肩をすくめる。


「わたくし、あなたに影響されてしまいましたのね」

「ふむ。しばらく控えるとしよう」

「いつもの通りでよろしくってよ?」


 くすくすと軽口をたたきあいながら、二人は革商人の店まで足を進めた。

 清潔な店先には人が並んでいたが、繁盛しているというよりは、店に入った人を待っている様子だった。

 彼らの態度からしてまだ用事は終わらないようで、チュチュとグリムは行き場をなくしてしまう。

 タイミングが悪かったのか、すこしばかり待っても話が済む様子はない。

 彼女は思い切って、従者たちを取り仕切っているらしき者に声をかけた。


「ごきげんよう。高貴な方がいらっしゃるようですけれど、どなたか尋ねてもよろしくて?」

「ルスカ・ヴィナ・ノワ様が入っていらっしゃる。用事があるのならしばし待たれよ」

「教えてくださって、ありがとうございますわ」


 丁寧に礼をして、チュチュはくるりと振り返った。その額から一筋、汗が垂れ落ちる。

 もどってきた彼女の様子になにかを感じて、グリムはひっそりと顔を近づけた。


「知り合いか?」

「それほど深い仲ではありませんけれど……」


 ルスカ・ヴィナ・ノワ。

 この町に強い影響力を持つ貴族で、没落したキスキィ家とも、当然交流があった。当人とチュチュはそれほど面識がないが、もし彼女がそうであると気づかれれば、ろくなことにはならないだろう。

 すくなくとも、彼女はそう思っていた。


「ふむ……出直すか?」

「その方がよろしいかもしれませんわね」


 そう思っていたところで、革商人の店から豪奢な衣装の男が出てきた。黒い髪を後ろに撫でつけて、がっしりした体をしている。


「ああ、ルスカ様。ちょうどよかった。あの方です」

「ほほう。どうも俺は運がいいらしい」

「おーい、キスミーさん! 皮を売りに来てくれたんでしょう!」


 ギギギ、と錆びついた蝶番のようにチュチュは振り返った。


「珍しいな。その恰好で狩人の真似ごとか?」


 ルスカの目が、いかにも怪しいとチュチュとグリムを睨んでいた。

 ここは紅茶のおいしいダンジョン――前途多難の七日前。

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