そして少女は足を踏み入れる
辿り着いた一般家庭の住む二階建ての民家だ。玄関口のポストには家族構成として四人の名字が記されている。子供二人に夫婦だろうか。手袋をはめた手でインターフォンを押すと、中から『はぁ~い?』と最低限の警戒心は持っていそうな、けれど基本的に一般家庭の人と変わらない声が聞こえてきた。
「ごめん下さい」
『なにか~?』
間延びする、気勢の削がれるような女性の声が機械越しに聞こえる。
冷え込む空気の中、杏華は和樹の隣で目を丸くしながら和樹のことを眺めていた。
「ご迷惑をおかけしますが、少々お時間を取らせて下さい。世論調査です」
「……わかりました~」
和樹の言葉に、玄関の扉は意外なほど素直にその口を開ける。そのあまりの呆気なさに、今度は杏華が口を開ける。
「え? えっ?」
「ほら、入るぞ」
和樹は開いて間もない――まだ相手も姿を見せていない――扉の奥に杏華を引っ張ってするりと収まる。あまりに自然で、けれど隙がない動作だ。
「えっ?」
「岡崎組です。旧来の約束、果たして貰いに来ました」
突然の登場に驚く奥方に、簡潔に用を述べる。漏れ聞こえる声を拾うと、どうやら狩野組を攻め落とす時は、この家を利用する――と言う約束をしていたらしい。――紙ではなく、口頭のみで。
「……子供二人は?」
「えと~。今はリビングで遊んでいます」
「父親は?」
「まだ仕事です~。帰るのは多分八時以降でしょうか~」
分かった、と呟くと、和樹は手招きで杏華と奥方を呼んだ。
「じゃあ、しばらくは自由にさせてもらう。時間までには、全員を縛らせてもらう。あるいは、眠っていて貰う。子供たちに関して言えば、起きているとトラウマになりかねないから眠っていて貰いたいんだが……。睡眠薬はあるんだ。二人に飲ませてくれるか?」
「わかりました~」
和樹の提案に少し目を泳がせた奥方だが、すぐに同意する。
よしっ、と頷くと、リビングへと入り、驚く二人に軽く手を挙げながら、ドッカと椅子に腰かけた。設定は、ちょっとした知り合い――らしい。
そしてすぐに、奥方は夕食作りに取り組み、杏華はその手伝いをしつつ、岡崎組についてを軽く二人で教えて貰った。その間に和樹は二人の年端のいかない子供と遊び、見事なまでに懐かれたことは完全な余談だ。
その後、少し早めの夕食に粉末の睡眠を混ぜ込み、遊び疲れもあって育ち盛りの二人を見事に撃沈させた。
「……これで、後はあんたを縛ればいいわけだ」
「私は睡眠薬じゃないんですか~?」
流石に全員が眠っていると怪しいだろうと笑い飛ばし、その後四方山話に花を咲かせていた三人だが、六時半を過ぎると和樹は鞄から取り出した縄と一万円札を数枚、テーブルの上に置いた。
「はした金だが、またどこかに食いに行ってくれ。今回の詫びだ」
そのまま奥方が何かを言うよりも先に、反応するよりも早くに拳でその意識を刈り取った。
杏華は一瞬驚いた表情をしたが、そのまま無言で和樹が手首を縛りあげるのを見つめた。
和樹は無言で作業を終えると、杏華と向き合い、無表情のままに見つめ、これからしていくことを、順を追って説明した。
それが終わり、確認やイメージトレーニングを済ませた頃には、すでに七時が近づいてきていた。
「……いくか」
玄関から靴を持ち、あらかじめ決めていた窓へと張り付く。彼方から取引相手が来たと言う連絡が来れば、すぐに動けるようにする為だ。
「…………」
またしても無言を言い渡された杏華も、小さく頷くとその背中に張り付いた。
和樹の温もりを感じ、和樹の冷たさも知ったその背中をからは、息をつくような心地良さと、心臓を掴まれたような心苦しさが、同時に流れ込んでくる。
この人が好き――この想いが変わらない自信はあった。
ただ、和樹と言う人間を見る目が変わってしまう不安もあった。
「っ……」
首を小さく横に振り、頭の中の雑念を追い立てる。
全ての結果が出るのは、全てが終わった後なのだとは分かる。
けれど、消えることのない不安に、杏華はそっと和樹の服の先をつまんだ。
和樹はそれに気づきながらも、何も声を掛けることはなく、ただ全ては結果のみに委ねようと決めた。
すでに、打つべき手は打ち、やるべきことは今からやるのだ。後は、生きて、知ってもらうのみ――そう考えていた矢先、電話が鳴った。考える時間は無くなった。




