燐の言葉(こころ)
公園でブランコに腰掛けた燐と向かい合うように、ブランコを囲む鉄パイプのガードレールのようなものに腰掛ける和樹。杏華は燐と同じくブランコに座り、祐人はそんな杏華の横で、ブランコの支柱に背中を預けている。
燐が何かを言うのを待っていた一同だが、時間が経つごとに夜の気配が染みついた金属の冷たさが、それぞれの体にまとわりつく。その冷たさは熱を奪って、余分な思考を与えた。
先ほどの現実を思い起こす時間が生まれ、杏華と祐人の落ち着きが、目に見えて失われていく。そんな中で、和樹は焦れたように口を開いた。
「……で? どうしたんだ?」
焦れたように――とはいっても、責めるような口調はない。言葉を発したのは、ただ余計な思考を起こさせないよう、気を逸らすためだ。
「……好きに言え。お前の憤怒も、恐怖も、あるいは、嫉妬も。オレに向けているものが在るなら、何でも好きに言えばいい」
やがて根負けをしたように肩の力を抜くと、空を仰ぐように光のちりばむ暗闇を見つめて、燐から視線を外してそう伝える。
その言葉で踏ん切りがついたのか、あるいはその仕草で同じく肩の力が抜けたのか、いずれにしても、無言を貫いていた燐はようやく本題に入ることが出来た。
「……杏華先輩は、あなたに助けられたと言いました」
その言葉に、和樹は少し驚いたようだ。目を丸くして、一瞬杏華の様子を眺めた後、続きを待つ。
「先ほどのあなたを見るまでは、杏華先輩が助けられるような場面なんて、想像もできませんでした」
「…………」
ぱちぱちと、公園の中央にそびえる電灯が瞬く。古臭い電灯から注ぐ灯りは薄汚れていて、やや冷たく感じられる。それ以上にブランコの冷たさに燐は僅かに身震いをした。
「けれど、違うんですね。あなたは、あたしとは……いえ、あたしだけじゃなく、杏華先輩とも違う。だから、助けられた」
「…………」
いや、違うのか。
燐が震えているのは、和樹の底知れなさが原因なのか。
燐の悲壮な叫びに呑まれたように、杏華と祐人は言葉を失っている。
冷たい。寒い。……寒さに、震える。
今になって、現実が襲いかかる。
その重圧をそのままぶつけるように、責め立てるように想いをぶつけた。
「……恰好よくて、強くて、優しくて! それも、どれも、並みの格好よさでも、強さでも、優しさでもないっ!」
――本当は、こんなことを言いたかったのではない。
ただ、感謝したかったのだ。
敬愛する先輩の杏華が、助けられたらしい。――ありがとう。
先ほど自分たちを助けてくれた。巻きこみもしたが――ありがとう。
助けてくれた後に、優しく送り届けてくれようとしている――ありがとう。
ありがとう――ただ、そう言いたかっただけなのに。
空回りする思考が、自分の言葉を否定する――けれど、口は思考の電気パルスを拒絶するように、感謝の言葉は口から出てこない。
「――一体、何がしたいんですかっ! どうしてそんな風にいられるんですかっ?」
あぁ……自分は一体、何を言っているのだろう。
どうして彼を、責めるようなことを言っているのだろう。
この言葉は、誰の言葉だろう。やっぱり自分の言葉だろうか。
自分は、こんなにも礼儀知らずの恩知らずだったのだろうか。
空回る頭では自分の言葉を否定し続けるが、口はそれでもまだ批難を喋り続けた。
「あなたは一体、何なんですかっ!」
――言ってしまったと思った。
彼を――彼のような存在を、否定するような言葉を、言ってしまった。
言い終えた直後に、顔を伏せた。――いや、途中からすでに、顔は下を向いていた。
言い終えてからは、どんなに顔を上げようとしても無理だった。
「…………」
無言で沈黙する彼を、真っ直ぐに見られない。
和樹は――恩人は、どんな顔をしているだろうか。絶望? 諦念? それとも怒り?
本当に、自分たちとは全く違う存在だと言うのなら、あるいはまったく違った反応を見せるかも知れない。
けれど、そんな妄想は、本当にただの妄想だ。ないものねだりだ。――彼の優しさは、紛れもなく人間のものなのだから。
「……燐」
小さく呟いた杏華の言葉が、風に乗って届く。
温もりの孕んだその声もまた、震えている。
体をびくんと震わせて、燐は恐る恐る杏華を見つめた。
その目は、優しい。籠められているものは、同情と言うよりも、さみしさと言うよりも、共感だった。
けれど、その瞳は紛れもない、優しさに満ちていた。
「そうかも知れない。和樹さんは、私たちとはきっと、違っている」
「ぇ……」
その言葉に、燐も、祐人も、言葉を失う。
ほかならぬ、彼を想っている彼女から、そんな言葉が聞けるとは思ってもみなかったのだろう。ただ和樹だけは、意外感を露わにすることもなく、黙って耳を傾けている。
「…………」
その表情には、何も浮かんでいない。寂しさも、優しさも。
ただ、何も浮かんでいないと言う事実だけが、彼の中にある寂しさを表しているように思えた。
「――けれど、それでも和樹さんは、私を助けてくれたし、私たちを助けてくれた」
「え、……ぁ」
困惑する燐に、杏華の優しい言葉が、ゆっくりと注ぎ込まれる。
「彼が何でも構わない。私は、あなたが言うような、格好良くて、強くて、優しい彼に、感謝してるの」
――だから、ね。
――そう、無言のバトンが渡された気がした。
優しさに満ちた杏華の目を見て、言葉を聞いて、燐の心が凪いでいく。
燐はそっと和樹に向き直ると、何も浮かべていないような表情で、実際は少し驚きを見せている和樹に向かい、零れるように言葉を伝えた。
「……和樹さん。あたしたちを――そして、杏華先輩を助けてくれて、ありがとう――ございます」
「……おぅ」
小さく響いた柔らかな言葉は優しく届く。和樹も素直にその言葉を受け取った。
そして不意にカラカラと笑う。まるで全く気にしていないかのように。
「……ま、気にすんな」
もう用件は済んだと言うことなので、和樹を先頭に公園を後にしたが、四人の居たブランコには、確かな温もりが残っていた。
ようやく物語が佳境に入ります・・・
すでに完成しているのを転載するだけでも、結構疲れますね・・・




