杏華の慢心
日常と言うのは変わることなく過ぎていく。そう思っていたのが一週間前の杏華だ。
そして数日前には、その感想は大きく変動し、そして今、日常とは戻って来るべき日々を示しているのだと教わった。
「やぁああ!」
「一本っ!」
――だからだろう。この日の杏華は祐人と朝早くから学校へと向かい、久々に剣道部に顔を出すことに決めた。
この三年間変わらずに過ごした、家以外の日常を示すものとは、やはり学校生活――そこにおいて最も情熱を注いだのは部活動に他ならなかったからだ。
久々に顔を出した人気者だけあって、杏華の周囲には人が集まり、溜まっていた欲求をぶつけるように女子部員が教えを乞う。それがいつしか「実戦が一番っ!」という流れとなり、杏華は五人目の部員の太刀筋を見つつ、一本を取っていった。
「――あなたは脇が甘いわ。幾つか打ち合うと、力がこもって脇が開きやすくなってるの。何度打ち込まれても、基本を忘れないようにさえすれば守りは大丈夫よ」
打ち取った相手に塩を送り終えると、後に控えていた少女と再び打ち合い、アドバイスを送る。これを何度も繰り返し、集中力が切れていくと、自然と和樹のことが思い浮かんだ。
――そういえば、山を走るとか言っていたっけ、あいつ。結構、体を鍛えることに貪欲みたいね……。
「やぁあああ!」
ばしんっ! と、頭を衝撃が襲い、視界が左右にぶれて、思考が白く染まる。
「え……?」
「面あり!」
どうやら考え事をしていた為に、有効打撃を受けたようだ。
呆けた表情で向かい合う部員――燐を見ると、有効を取った燐自身も実感がわかない、と言う表情をしていた。
「杏華、先輩……」
「……やるわね、燐?」
――いけない、いけない。朝の鍛錬は何のためだ。きちんと集中を保たせるためだろう?
杏華は気を引き締めると、防具に隠れた表情を僅かに笑ませて、竹刀を構えた。
先ほどまで感じなかった、畳の目の荒れた感覚が、小窓から流れる空気の音が、周囲の部員の動く気配が、確かに杏華を包み込む。
「けど、もう打たせないわよ」
それきり余計な考え事は杏華の中から追い立てられ、あるいは邪魔にならないように正座でなりを潜めて、朝の練習試合は続いた。
後にも先にも、部内で杏華が女子相手に有効を取られたのはこれが初めてだった。




