少女のお風呂
その時浴室は、言わずもがな杏華が使用していた。強い白色の電灯ではなく、落ち着ける淡いレモンクリーム色の電灯が湿度満タンの狭い浴室を優しく包む。
「ふぅ……はぅ」
だが、使い慣れた浴室の数々も、あの男の使用直後と言うことで妙に新鮮に感じられていた。使用されたであろうせっけんやシャンプーは、全て丁寧に元の位置へと戻されていると言うのに――だ。
――オレのだし汁に浸かってこい。
和樹のあのセリフが、ぱしゃりと波打つ浴槽と共に胸の奥で反響した。
「ううぅうー!」
彼女の知り合いが見たら、何事かとギョッとしかねない唸り声が上がる。
思わず湯船に口まで沈みたい欲求に駆られたが、『だし汁』というフレーズが反響し、ぴたりと動きが止まった。
けれど、気分を入れ替えたいという欲求は収まらず、結局両手で掬ったお湯をパシャッと自身の顔にぶつける。
「……はふ」
……陶然とする。してしまう。
杏華は自身の肢体を眺め、それを包むお湯を見つめた。おなかの傷はもうほとんど見えないが僅かに筋張っている。だが、そんなものよりも胸の奥の方がよほど気になった。
「……ぅぁー」
胸がうずく。
剣道の試合で強敵と出会ったような、ゾクリとする興奮ではない。
いたずらで誰かに驚かされた時の、動悸の激しさとも違う。
むしろ、いたずらをしてその結果を見つめている時のわくわく感に近いが、それが根源とも思えない。
「……あいつが、浸かっていたお風呂、ね」
言葉にすると、ゾクゾクと何かが体の奥から這い上がってくるようだった。
精神を集中させようとするが、できない。
怖い。
怖いくらいに、自分の体が自分の言う通りに整わない。
きゅっと、締め付けるように身を縮こまらせると、杏華は膝を抱えて体を温めた。
こうして温まっていると、体の奥から背負われていた時に蓄えられた和樹の体温が、体の奥から滲み出てくるようだ。
「……はふ」
力なく熱い息が漏れる。
――落ち着けない。
いつもは三十分以上もお風呂に入る杏華だが、今日でいえば二十分で限界かも知れない。
杏華はぼんやりとした頭で、お風呂に入り続けた。
自身に生じた感情の名前に、心当たりもつけないまま。




