和樹の家のこと
会話を初めて二十分ほどで、玄造はようやく手に持つお酒をくいっと傾けると、喉奥へと流し込んだ。
いつもはあまり飲まない酒が、喉で熱を放つかのように体内を刺激するのを感じて、それだけでほんのりと酔った気分になる。
「お、ようやく一杯目か」
「私は酒があまり好きではなくてね」
「オレは好物だけどな……酒の席で酒を飲まなきゃ、何のための酒だって感じだ」
そう言ってまた一気に残った酒を煽ると、四杯目の酒を注ぐ。
少しだけほんわりと緩んだ思考で、まだまだ飲み足りないとばかりにまた酒を注ぐ和樹を眺めた。心なしか、一杯目の玄造よりも和樹の方が素面に近いように見える。
「まだ若いのに……」
「今時十八にもなりゃ、酒を試すもんさ」
適当に言うと、また喉奥に流し込み、夜の自然を眺めた。
それは違法だろう、と呆れる玄造を無視して周囲に気を配る。
動物の気配はない。ただ、自然の息遣いが感じられた。
「…………」
風に揺れる木々の音、木々に含まれていた水気、深い地面に蓄えられていた温もり。
――杏華はまだ風呂だろうか。だが、いつ戻ってきてもおかしくない。
ふぅ、と一息漏らすと、月を仰いだ。
闇の中でも全く衰えることのない月の光は、きっと闇の手の届かないところにあるのだ。
和樹は玄造の方を見ると、無表情に杯を傾けて二杯目をちびちび飲んでいた。
「……なぁ、そろそろオレのことについて聞かねえのか?」
「……む? あぁ、必要ない」
「はぁ? ……いったい何のための話し合いだよ? オレの素性を知る為だろう?」
思わず素っ頓狂な声が上がる。
いきなり抱きかかえられた鶏のような情けない声だ。朝ならさぞ周囲の目覚ましとして役に立っただろう。
そんな和樹の驚愕もさらりと流して、玄造は口を開いた。
「岡崎、和樹。君の名字には憶えがある。そして暴力団と言えば、岡崎組だろう?」
「……知ってたのか?」
まあな、と渋い声を吐き、お猪口を置いて、和樹に向きなおる。
その目は揺らぐことなく和樹を見据える。対して和樹は、急にばつが悪そうにして頭を掻いた。
「……ま、その通りだ。オレは岡崎組の、組長の息子だ。つっても、養子だがな」
「あそこの話はよく聞く。仁義に則る、任侠の組だ、と」
「親父が良い人過ぎんだよ、あそこは」
「……なら、問題もないだろう」
うんうん、と頷きかけたところで、ばっと顔を上げて「いやいや!」と首を振る。
「良くねえだろっ! オレが人格者かどうかも分からねえ。たとえオレが人格者でも、オレに関わったことで妙な因縁が出来るかも知れねえ! そんな相手に、何でそう簡単に許可出すんだよっ!」
まるで自らを追い出せとも取れる和樹の行動に、玄造はゆっくりと首を左右に振る。
「人柄については、今日一日である程度分かった。因縁が出来るのは、仕方のないことだ」
「何が仕方ねえだっ! その所為でガキどもが妙なことになるかも知れねえんだぞ?」
――たとえ追い出されたとしても、和樹は今回の件が終わるまで、この家――杏華の持ってしまった因縁との関わりを閉ざすつもりは無かったが。
和樹は感情に任せる一歩手前で、強く玄造に反発した。
だが、その光景は、玄造の目には少し辛そうに見えた。
「……明確に、自分たちと私たちとを分けたいのか、君は?」
「っ! ……あぁ、そうだよ」
突然の玄造の指摘。その的確さに、和樹の言葉は思わず躓いた。
「……どんな理由があれ、オレたちは本来、表の人間に関わるべきじゃない」
和樹の切実な言葉に、玄造は溜息を吐いた。
全くその通りなのだろう。だが、今の玄造はその言葉を受け止められなかった。
この溜息は、頭でっかちな和樹に対するものか、感情に揺れ動いている自身に対するものか――その判断は玄造自身にもついていない。
「それは君が決めることではない。無論、私が決めることでもない」
だが、と続ける。
その瞳は月の光を僅かに湛え、真っ直ぐだ。
「私は今、君にまだここに居て貰いたいと思っている」
「……はぁ」
今度は和樹がため息を漏らした。力ない、やや冷たいため息。諦めたような溜息だ。
真っ直ぐだ。こうも真っ直ぐに向かわれたら、どうしようもない。
和樹は、人間だ。そして玄造も。
真っ直ぐ――少なくとも今この瞬間は――生きている人間相手に、真っ直ぐ答えないのは人間のすることではない。
そして、自分は弱いのだ。知ってしまった人の心を無視できるほど強くはない。
「……あぁ、分かった。その代わり、オレの所為で厄介ごとがあれば、容赦なくオレを捨て石にしてくれ」
――力なくそう言うだけしか出来なかった。
もちろん、感情で動いていた玄造は、この嘆願に対する回答は無言のままだった。
「祐人へは、私が伝える」
そう言って玄造はリビングへと戻って行った。
「……はぁ」
夜の風が、体を冷やす。熱は冷め、体が震える。
話し合いを終えてリビングへと戻る。ちょうど、風呂上がりの杏華に遭遇した。
のぼせたようなぼんやりした顔で、和樹のことにふと気付いた。
「ひゃっ!」
急に飛び上がる杏華を見て、濡れた髪が艶やかだと思えたことは覚えている。
だがそれ以上に何かを気にするつもりは無く、テーブルに座ると、「オレもまだまだガキだなぁ」と苦笑しながら徳利に残ったお酒を一人で消費した。
気が付くと独りで、十二時を過ぎるまでお猪口を傾けていた。




