資本主義という怪物
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共産主義社会のより高い段階において、個人が分業に隷属するという状態、ひいては頭脳労働と肉体労働の対立が消滅した後、労働が単なる生活の手段ではなく、生活の第一の欲求となった後、 個人の全面的な発展に伴い生産力も増大し、協同による富の泉がすべてより豊かに湧き出るようになったとき――そのとき初めて、ブルジョア的権利の狭い視野 を完全に乗り越え、社会はその旗印にこう掲げることができるのである。
「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る!」
『ゴータ綱領批判』(著;カール・マルクス)
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「買いだ! AIもエネルギーも全部買いだ、資金を全部、中国関連に回せ!」
「ダメです! ニューヨークも、ロンドンも、東京も、世界中で買い注文が殺到していて指値だと約定成立しません!」
「成行でいい、どんなに高くても成立させろ! おい、今、回せる金いくらある!」
「うちの分と、投資家から預かっている分併せて、700億はあります!」
「それ、全部、突っ込め!」
「全部ですか、それはちょっと……銀行からの融資を待った方が……」
「馬鹿野郎! 今は時間が最優先なんだよ! 今日のうちに買わなきゃ、明日はもはや手が届かない値になっちまう! 今日だ、今日のうちに、買えるだけ買うんだ! 買って買って買いまくれ! 今日は世界の勢力図が変わる日だ! いよいよ中国が世界最強の国家となる日だ!」
血走らせた眼でキーボードをたたきまくる部下たちに囲まれながら、俺は、数字が目まぐるしく変わる、目の前の大型ディスプレイを凝視しながら叫んでいた。
18世紀後半にはじまった産業革命は、従来の生産様式を根底から覆し、資本主義時代到来の引き金となった。蒸気機関の発達により動力効率は飛躍的に発展し、鉄道や船舶の大型化が進み、長距離移動、大量輸送を可能とするようになった。その結果、ヨーロッパ諸国は、外へ外へと勢力を拡大し、19世紀末には、世界のほとんどを支配するに至り、終いには互いの領土を奪い合う争闘に明け暮れた。それは、世界大戦の引き金ともなり、戦場となったヨーロッパ諸国はその力を大いに減じたが、その中で、新たな大国が出現した。唯一本土での戦いがなかった新大陸に出現したアメリカ合衆国とヨーロッパの世界最大の版図を有するソビエト社会主義共和国連邦だった。
一攫千金を狙う移民たちが創りあげた、まさに資本主義の権化たるアメリカと、帝政ロシアを人民革命によって打倒した共産主義を奉じるソ連の冷たい戦争は、半世紀近く続いたが、結局は、ソ連の内部崩壊によりアメリカの勝利に終わり、世界は資本主義一色に染まることとなった。
だが、資本主義という怪物の飽くなき欲望は、いつか、アメリカという国家すら飲み込んだ。資本は利益を貪欲に追い求め、軽々と国境を越え、がん細胞のように無限に膨らみ続けた。もはや、この怪物を統御できるものは誰もいなかった。国家すら資本の機嫌を伺いながら、政策を立案することが求められ、その結果、資本の増殖スピードは加速し、資本を有するものたちに、一国の予算にも匹敵するほどの富をもたらすようになった。
資本論という本がある。共産主義者にとってバイブルともいえる本で、カール・マルクスというドイツ人が書いた。マルクスは、労働者は資本家に搾取される存在であると説いた。労働が生み出す剰余の価値を投資家が奪い、その価値から得られる利益を再度生産に回すことで、資本は膨らみ続け、富の配分は極度に偏り、貧富の格差が増大すると断じた。
マルクスの共産主義社会の試みが成功したとはいえない。
それは、ソ連の崩壊を見れば明らかだ。
ソ連が崩壊した理由は多々あるが、経済的視点で捉えれば、国家が管理する計画経済は、市場の需給原理を全く無視したものであり、非効率で無駄が多く、常に慢性的な物資の不足に悩まされた。
経済学の父とも言われる、イギリスの経済学者アダム・スミスは、各人が自己の利益を追求しようとする行動は、結果として、最適な需給バランスを生み、モノの価値は最も妥当なラインに落ち着くと説き、それを『神の見えざる手』と呼んだが、ソ連が行った計画経済はその市場メカニズムを全く無視するものであった。
さらに、共産主義の悪弊としてよく取りざたされるのは、労働者の権利を優先するあまり、各人の能力の差を無視し、どれほど労働の成果に差があっても、報酬は常に同一であるという点がある。いわば、頑張るものが馬鹿を見る社会であって、そうなれば必然的に誰も彼もがサボることを覚えてしまい、結果的に、生産効率は著しく低下していくことになる。
であるから、現在においても共産主義を奉じている国は多いが、多かれ少なかれ、一部資本主義を取り入れているのが現実であり、ソ連が崩壊した今、最大の共産主義国家となった中国もまた同様であった。
その中国は、雌伏しながら、時代が到来する機をずっと伺っていた。
長い歴史を持つ中華とも呼ばれるこのアジアの国家は、自分たちが世界の中心であるということにいささかも疑いを持たなかった。
文明が生まれてから19世紀の終わりに至るまで、常に中国は世界の大国として君臨し、ユーラシア大陸の西から東まで兵を送り、版図を拡大しながら、あくなき領土欲を満たしてきた。
だが、19世紀末、産業革命を経て近代化したヨーロッパ諸国を前に、あまりにもあっけなく膝を屈した、そして、あまつさえ、東の果てにある、かつては媚びを売って貢物を捧げに来た小さな島国にすら国土を蹂躙される羽目になった。それは中国という国にとって、屈辱以外の何物でもなかった。
だが彼らは、自分たちを蹂躙したものたちの力の源泉を冷徹な目で分析していた。
資本主義という名の怪物、それこそが、中国という国の真の敵であった。イギリス、フランス、日本、アメリカ、これまで中国の頭を押さえつけてきた国は、全て、資本主義によって、力をつけてきた国であった。
中華人民共和国という名をもつ現在の中国は、共産主義の理念をもって、国を打ち立てたが、本家のソ連と違い、イデオロギーに心中するような青臭い思想などかけらも持たなかった。彼らが共産主義を国家の理念としたのは、それが政権を維持する上で最も効果的であったからに過ぎない。
中国共産党のみが政治を掌握し、共産党員のみが権力を保持する体制。いわば、現在の中国は、共産党書記長という肩書をもつものが皇帝であり、それを取り巻く政治局員たちはかつての皇族であり、貴族であり、太守に過ぎない。
日本による侵略と国共内戦により全土が焼野原となった中国は、大戦以降、長らく発展途上国という地位に甘んじてきた。それは彼らの自尊心をいささか傷つけはしたろうが、遠大な目的を前にすれば、そんなことはごく些細なことであり、逆に、その地位を利用して、先進国から援助を受け、技術を取り入れ、国力をあげることを最優先にして政策を進めてきた。
そうした中においては、人民の権利など取るに足らないものであり、民主化を叫ぶ若者たちを押さえつけ、異民族を弾圧し、イギリスから返還された香港を共産党一色に染め上げた。それらは全て、再び最強の国家となるための準備行為であり、この国の指導者たちに代々受け継がれてきた遠謀の一環であった。
そして、21世紀初頭、ついに中国は、目障りだった日本を抜き去り、アメリカに次ぐ世界二位の経済大国となった。そして、このころから、中国は、超大国としての態度を世界に明確に示すようになり、その野望を隠そうとしなくなった。あらゆる分野で現代最強の国家であるアメリカと熾烈な争いをするようになっていった。
原子力空母の建造や最新鋭戦闘機の開発など核戦力を含む軍事力の増強、月探索を始めとする宇宙進出、AI分野における苛烈なトップ争い、レアアースや農産物を武器とした容赦のない経済戦争。
そして、2035年、いよいよ中国は建国以来の野望であった台湾統一を企図し、空母5隻を含む陸海空100万の大兵力を送りこみ、台湾を海上封鎖した。
ヨーロッパ諸国や日本は、中国を非難し、即時撤退を訴えたが、既に形骸化していた国連は機能せず、肝心かなめのアメリカは、言葉では中国の行動を非難し、一応、近海まで送り込んだが、結局、そこから動くことはなかった。
そんな状況でも台湾政府は耐え続けていたが、海上封鎖が一年に及ぼうとする頃には、石油や食料は枯渇し、怨嗟の声が巷に広がり始めた。そして、2036年9月11日、すなわち今日、台湾政府は、中国の軍門に下り、属州となることを承諾する旨の声明を世界中に発したのであった。
俺は、この日が来るのを予想していた。
というか、この日が来ることを確信していた。
共産主義を信奉していたわけではない。ただ、資本主義の行きつく果てに輝かしい未来などないということだけははっきりと感じていた。
資本論で書かれた、資本主義の果てにあるもの、すなわち、極度の富の集中とそれによって引き起こされる貧富の格差、それは現実に起こっていた。
世界の富の95%を0.001%の人間が所有する世界。それが現代であった。
自分が、その0.001%側の人間であることは理解していたが、それがこの世界を肯定する理由にはならなかった。
こちら側にいるのは、ただ単に、誰にも負けたくないという生まれながらの信念の強さと、明晰な頭脳、決して臆することのない胆力によって成し遂げられたからであって、いわば、結果に過ぎなかった。所有資産が1000億を超えてもなんの感慨も湧かなった。逆に、儲ければ儲けるほど、この世界の矛盾を強く感じるようになっていった。
マルクスは暴力による革命こそが、資本主義を打倒する手段であると説いたが、その理論に陶酔にも似た共感すら感じていた。
この資本主義という怪物に、環境だ、モラルだ、社会貢献だなどと、そんな上っ面の具にもつかない言葉を並べたところで、何の役に立ちはしない。この怪物を屈服させるものがあるとすれば、こいつを上回る怪物以外にない、そう信じていた。
その可能性を俺は中国という国家に感じていた。
昔から歴史が好きだったが、とりわけ中国史が好きだった。春秋戦国の群雄割拠、秦の始皇帝の中華統一、項羽と劉邦の楚漢の戦い、魏、呉、蜀による三国鼎立、世界一と謳われた盛唐時代、世界最大の版図を持ったチンギスハーンとその後継者たち、英雄、豪傑、智謀の将たちがあの広い大地で自分の才能を頼りにぶつかり合う、それを思うと心が震え、目が冴えて仕方がなかった。だが、恐ろしくもあった。中国は、日本に大きな影響を与えたが、どうしても日本人が受け入れなかったものもあった。宦官の制度や、身も凍るような恐ろしい死刑制度、易姓革命ともいわれる王朝交代の正当化の理論、それらを受け入れなかったのは、それぞれ様々な解釈がなされているが、俺は、そんな解釈よりも、その背後に蠢く何か異質なものが日本人の性格に合わなかったに違いないと思っていた。それがなんであるかしかとは分からなかったが、この国の奥底には何か恐ろしいものがあると感じていた。だがそれこそが、資本主義という怪物をも打ち倒すことができる化け物ではないかと感じていた。
その中国が、ついに、世界の頂点に立った。
世界は変わる、その思いが俺を興奮させ、愛車のフェラーリをさらに加速させた。行き交う街のネオンが、疾走する車のフロントガラスに次々と煌めいたが、それはさっきまで見ていた全世界の株式相場を映しだすディスプレイのようであった。それを見ているだけで、アドレナリンがさらに分泌され、自然とアクセルを踏む足に力が入った。ゆうに150キロを超えていたが、そんなことは頭から飛んでいた。
世界は変わる。
だが、どう変わる。
中国という国は、世界をどう変えていく。
そもそも、中国の奥底にあるもの、それはなんだ。
それを知りたい。
あの国の大地に立って、それを探してみたい……
目の前に中国の黄色い大地が果てしなく広がった。
はるか彼方まで続く、黄色い大地の上を、俺はラクダに乗って進んでいた。
絹の道と呼ばれたシルクロードを旅するラクダの小隊を率いていた。
物音ひとつない、静寂な大地の中を、ゆっくりゆっくりとラクダが歩いていた。
目の前にいたラクダにも誰か乗っていた。
そいつが、顔をこちらに向けた。
俺は、そいつの顔を見ようとした……
その瞬間、物凄い衝撃が俺を襲った。
体中の細胞が押しつぶされて、空気も血液も行き場を失った。
一瞬、重力が消えて、俺は空に飛んでいるような心地がしたが、次の刹那、とんでもない音と衝撃が俺を襲った。
それが、最後だった。
もはや体を動かすこともできなかった。痛みを感じる感覚も失ってしまったようだったが、意識だけが妙にはっきりしていた。
どうやら、対向車と正面衝突しちまったらしい……
昔から、妄想癖があったけど、運転中にやっちまったか……
体が動かない……
これが死ぬってことか……
……そう言えば、昔読んだ小説にこんなのがあったな……野心に燃えた若者が妙な枕で寝ると、栄耀栄華を極め、年老いて死ぬってときに、はっと目が覚めたら、半日も経っていなかったって……
これも夢じゃねえのか……
起きたら、あの貧乏学生の頃に戻ってるってさ……
そんなわけねえか……
壊れたクラクションの音がうるせえしな……
ったく、こんなことで死ぬのかよ……世界が変わったとんでもない日だというのに、こんなくだらないことで、死ぬのか、俺は……
中国か……
俺が世界を変えてみたかったな……
もう一回だけチャンスあったらさ……
俺が世界を変えてやるよ……
もう一回、一回だけでいいからさ……
頼むよ……




