第四話 真実に触れる
瀞具教授は、自分の研究室で、満足げに資料を読んでいた。
「はっはっはっ、分かった、ついに分かったぞ」
助手の揺木野が顔を上げる。
「何がですか?」
「あの木像の人物だよ。観音丸という童行者を知っているかな」
「知っていますよ。白衣と緋袴と胴丸を着て、薙刀を片手に厄災を鎮め怪異を退治したという……」
そこまで言って、助手は口を止めた。
「分かったかな?」
教授は満面の笑みを浮かべている。
木像に絡め取られた人物と、伝承の観音丸。
色こそ失われているが、確かに、その姿はよく似ている。
だが、
「違うのは、像に薙刀がないことくらいですが、観音丸の伝承には、自裁したという話がありませんよ?」
トン!
教授は机を指で叩いた。
「その通り。だから我々は、観音丸の伝承を重視してこなかった」
助手は首を傾げた。
「神仏の化身だから、生き返ってもおかしくない、ということですか」
教授は呆れたように助手を見た。
「神仏の化身が、自裁などすると思うかね?」
助手には、観音丸が引き合いに出された意図が分からなくなった。
「詰まるところ、何をおっしゃりたいのですか?」
トン!
教授が再び机を指で叩いた。
「習合だよ」
「習合?」
「観音丸伝承と海女の珠取伝承が混ざり合い、新しい伝承に生まれ変わったのだ」
教授はニヤリと笑った。
エキセントリックにも程がある。さすがに助手は諫めようとした。
「いや、あまりに無理……いや、強引……いや、拙速な説ではありませんか?」
教授はやれやれと首を振った。
「強引だのと拙速だのとはなんたる偏見。考古学というのは、先入観で物を言ってはいかん学問だぞ」
「えぇー……」
助手は二の句が継げなかった。
ほどなく教授は、一冊の新書を書き上げた。
題名は「廃寺から出土した大型木彫像とその伝承的背景」。
完全な独自解釈で、論拠は脆弱ではあったが、説得力のある文体は、読む者を幻惑した。
『木像は、海女の珠取と観音丸伝承が習合して生まれた物語を彫ったものである。
意図するところは、
「一人の勇敢な若者が、残虐非道な海の怪異と対峙し、悲劇的な最期を遂げた。若者は敗北を悟ると、自らの肉体を贄として捧げ、怪異を調伏した」
である。』
「うわぁ、書こうと思えば、書けるものなんですねぇ……」
その著作物の実態を知る助手は、素直に驚嘆した。
「はっはっはっ、研究成果を魅力的に伝えるよう努力した。渾身の一作だ」
その独自解釈を真実と信じる教授には、助手の真意は伝わらない。
刊行したことに上機嫌だ。
学問への冒涜も甚だしい内容だが、それを知らない世間は真に受けた。
この著作物はそこそこ高い評価を受けたのである。
そんな状況が許されるほど、この木像を研究する者は少なかった。
理由はあった。
タコとも人ともつかぬ怪物の部分が、見る者に得体の知れぬ不安感や恐怖感を与えていたのである。
他の研究者は寄り付かず、教授は自ずとこの木像研究の第一人者になった。
そんなある日、教授は助手を連れ、木像が安置されている廃寺を訪れていた。
管理事務所を出た教授は、ブツブツと怒りながら、木像のある石室へ向かっていた。
「木像は石室に据えたままにするそうだ。実にけしからん。木だぞ? このままでは腐ってしまう」
助手が不安そうに聞いた。
「あの……どんな説明を受けましたか?」
教授は憤懣やるかたない様子で答えた。
「石室の出口が狭すぎて、外に出せんそうだ。あの木像は木材を矧ぎ合わせて作られておる。分解すれば可能なはずなのだ」
石室の入り口に着くと、内部へ続く緩やかな下り坂があった。
「見ろ、雨が降ったら、石室に水が流れ込んでしまう」
通路と奥の石室は電灯で照らされている。
教授はズンズンと進んだ。
そんな怒れる教授の後を、助手がおずおずとついて行く。
木像の前まで来た。
教授は手袋を嵌めると、その細部を観察し始めた。
口数の少なかった助手が言った。
「教授……あまり、それには、触れられない方が……」
教授は振り返った。
「なんだね。さっきから随分と元気がないな。何かあったのかね?」
「ええ、実は、ここにいる職員さんから、それを外に出せない理由を教えてもらったんです」
教授が助手に近寄って聞いた。
「私が聞いたのとは違うのか?」
「はい。ここの方々も、最初は像を分解して、外に出そうとしたそうなのです」
「ほうっ?」
管理事務所での話とは随分と違う。
「ですが、その日のうちに作業員全員が、転落やら転倒やらで負傷したそうなのです。しかも、素手などで直接触れれば、強烈な幻覚を見るそうで……」
教授は呆れながらも、助手の話を聞いていたが、たまらず言った。
「典型的な祟り伝承じゃないか。君は、そんな戯言を信じたのかね?」
教授は首を振り、手袋を外した。
「あっ!」
助手が小さな叫びを上げたが遅かった。
教授は、ポンと素手で木像を触って見せた。
「見ろ、何ともな……」
教授の言葉が途切れた。
今、教授の目の前には、水晶の輝きも絢爛たる、巨大な宮殿があった。
だが、そこを我が物顔で歩く化物の群れを目にすると、教授は恐怖と驚きのあまり叫び声を上げた。
「静かにせい!」
野太い声が、教授の脳内に響く。
そして、脳内を覗かれているような、底知れぬ不安感に襲われた。
「おぱぱぱぱぱあ……」
気づけば、言葉にならない言葉を発していた。
やおら、野太い声が、脳髄を震わさんばかりに響いた。
「この大馬鹿者が! 正しき悪しきを取り違えるとは何事か! しかも、そのような妄言妄説を流布させるなど言語道断! 教育! 教育してやる!」
「おっ、ぼあぁぁぁぁぁ!」
教授は叫びにもならない叫び声を上げて意識を手放した。
数日後、教授は出版社に新書の増刷停止を申し入れた。
理由を問われると、「考古学というのは、先入観で物を言ってはいかん学問だ」とだけ答えた。




