第一話 萌香は北海道に向かいます
ここは北海道にある知床五湖だ。北海道北東部にある、知床半島のほぼ中央にある湖群だ。湿地と原生林に囲まれた一湖から五湖と呼ばれる五つの湖が点在する。最大の湖は二湖、最小は五湖だ。各湖の水は、湖底の岩を伝って半島の断崖にしみ出ていると言われる。付近一帯は知床国立公園に属し、世界遺産に登録されている。
季節は夏で青空がどこまでも広がっている。北海道は本州に比べれば気温は低いが、湿度が高い。じめじめした空気が漂っているが、涼しい風が暑さを覚ましていた。だがいきなり黒い雲が水に垂らした墨汁のように広がっていく。そして遠くで雷が鳴り始めた。
うめき声とともに森から何か巨大なものが現れた。それはゴリラであった。だが頭は金髪碧眼の美女というちぐはぐな存在だ。胸と股間は赤い金太郎のような腹掛けが巻かれていた。白字で美と書いてある。
その名もミサキコングといい、魔女が変身したものだ。
森にはヒグマ注意の看板が立てられているが、地響きとともにヒグマは驚いて逃げ出した。野鳥たちも一斉に空へ飛び立つ。土と折れた木の匂いがあたりに漂ってきた。さらに土煙も舞い上がる。
信じられないことに別な巨大な存在が現れた。全身が銀色でてかてかに光っており、右側にサイドテールを垂らした女性だ。
こちらはモエカエース。林萌香が力を得て巨大化したのである。
モエカエースとミサキコング、正規の対決が始まろうとしていた。
その足元に黒ギャルが一人見上げていた。金髪のツインテールにピンク色のブラトップに、レオパード柄のミニスカートにルーズソックスの格好をしていた。少なくとも自然豊かな場所に不似合いである。
「なんでこんなことに……」
黒ギャルは唖然と立ち尽くしていた。なぜこの状況になったのか、本人もよくわかっていなかった。それは三日前に遡る。
☆
「おっはよー、皆の衆、元気にしとったかね?」
ここは広島のとある町にある喫茶店DROPOUT。どこにでもありそうな平凡な造りだ。
そこに一人の少女が乱暴にドアを開けて店内に入る。彼女の名前は林萌香、この店の従業員だ。金髪にサイドテール、黒い服に白地に黒い水玉のスカートを履いていた。
「おいおい、もう昼過ぎだよい。おっはよーはねぇだろうがよい」
文句を言ったのはひげもじゃの中年男性だ。黒い服をきっちり着こなしている。この店の店長で森大地という。彼は頭を掻きむしりながらあくびをしていた。
「おんや~? ソラっちの姿が見えないね~。遅刻かな~?」
「おめぇさんとはちがうよい。ソラは店の中でこけて捻挫しちまったんだよい。それで病院に行ってるんだよい」
「そうなんだ。もうソラっちはおっちょこちょいなんだから~」
大地の言葉に萌香は呆れた風にふるまっていた。彼女は常にマイペースなので、大地も半分諦めていた。そして店の奥に入り素早くエプロンを身に着ける。
そこに一人の男が現れた。40代ほどでぼさぼさの黒髪に整った顔立ちがミスマッチであった。灰色のシャツにだぶだぶのズボンを履いている。サンダルを履いていた。客ではなさそうだ、大地は相手を迎え入れようとしていない。
この店に居候をしている伊達賢太郎である。
「ふわぁ、萌香さんやっときたんですか。ソラさん、かんかんでしたよ。萌香さんは汗水たらして働くつもりはないのかって」
「私は働く気満々だよ!! だって働かないとお金がもらえないし、好きなものも買えないじゃん!!」
「それがわかっているなら、勤務態度を改めたほうがいいですよ。大地さんの怒りがたまって大魔神に変貌するかもしれないし」
賢太郎のたとえ話は理解できなかった。彼はたまに頓珍漢なことを言っては、周囲が首をかしげることが多い。大地は「今時の若い子は大魔神なんて知らないし、俺は変貌しねぇよい」と文句を言った。萌香はそれを見てけらけら笑う。いつもの日常に安どしているのだ。
「こんにちは」
一人の男が店に入ってきた。坊主頭にロイド眼鏡をかけた大男だ。年齢は30代くらいだろう。ディフォルメされた天使の絵が描かれたTシャツを着ていた。こちらは客のようで大地はいらっしゃいませと声をかけた。さすがに客相手に語尾によいはつけない。
「あれ、平さんじゃないですか。おひさしぶりですね」
「なんだお客さんと知り合いか?」
萌香は客を見て言った。ひさしぶりに親戚に会ったような感じである。つまり顔見知りだと大地はそう判断したのだ。
「お父さんの知り合いだよ。秋桜の理事長で西四国を任されているんだ」
「なるほどよい。あんたも蛮狸ってわけかよい」
「初めまして平吾郎と申します」
萌香の説明に大地は納得した。蛮狸とは人に化ける狸だ。おとぎ話に出てくる化け狸を想像してくれればいい。萌香も人間の姿をした蛮狸なのだ。そして秋桜は蛮狸たちが率いる組織なのである。
なぜ萌香はDROPOUTで働いているのか。それは人間社会に興味を持ち、自身の推しであるお笑い芸人、もふもふ王国が活動している広島に引っ越したのだ。家族に何の相談もせず。思い立ったが吉日が彼女のモットーであるが、周囲を巻き込む癖があるので、要注意人物とされていた。
「この店の人たちは事情を知っているようだね。実は萌香ちゃんに頼みがあってきたんだ。君に北海道に向かってほしいのだよ」
「北海道だって? なんで私がそんな所に行かなきゃいけないわけ?」
「実は北海道を拠点とする魔女の組合、八咫烏から連絡が来てね。CEAの北海道支部で支部長を務める屋住三葉という男の襲撃を受けているそうなんだ。君に救援に向かってほしいのだよ」
当然のように不満を言う萌香だが、平は懐から一枚の写真を出した。金髪で日焼けした黒ギャルで、ギャルファッションに身を包んでいる。どう見ても女だ。すると萌香は途端に不快感をあらわにした。理由はわからない。写真を見た途端虫が好かない奴だと思ったのだ。
ちなみにCEAは超能力者が所属する組織で、魔女はその名の通り魔法使いが所属している。どちらも日本各地に支店を持っているが、CEAは内部ががたがたで組織として体裁を保っていない。魔女は蛮狸寄りでCEAは敵対していたがこちらも真っ二つに分かれていた。現実離れした組織でもやっていることは、一般企業と変わらないのだ。
「なにこいつ。男のくせに女みたいな腐った格好しているなんて、許せない!! 根性を叩きのめしてやる!!」
「ちなみにここにはいないようだけど、銀山空をいじめていたって話だよ。これは魔女の美崎葵から聞いたんだけどね」
平はもう一枚写真をテーブルの上に置いた。そこには金髪で青い目の女性が映っている。黒いシックな服装をしていた。30代を超えたばかりに見える。ファッションモデルと言われても納得するほどの美貌の持ち主だ。大地と賢太郎は覗き込み、ふぅんと気のない声を出した。あまり興味がないのだろう。
萌香はやる気満々になっていた。銀山空はこの店の店員であり、萌香の友人だ。彼女をいじめる人間が大嫌いなので、余計に屋住に対して敵意をむき出しにしていた。
「彼女が魔女の美崎葵だ。北海道では彼女と合流して屋住を倒してほしいんだ」
「オッケーまかせて!! ソラっちをいじめたやつなんか私がぶちのめしてやるから!!」
萌香はなぜかやる気満々であった。賢太郎はさりげなく屋住の写真をスマホで撮影した。たぶん何も考えていない。なんとなく写真の主が気に入っただけだろう。
「でもなんで萌香さん一人だけで行かせるんですか? 普通はオタクらの仲間と一緒に当たるのが筋じゃないんですか?」
「萌香ちゃんの強さは折り紙付きだからね。悲しいことだけどうちらは弱体化していてね。応援をよこせない状況なんだ。代わりに北海道には千狐がいてね。彼らの協力を得るようにしているんだ」
平の言葉に賢太郎はなるほどとポンと手を叩いて納得した。大地は胡散臭そうに平を見ている。そもそも萌香の知り合いなのは確かなようだが、あまりの無茶ぶりに、萌香が反発しないことに疑問を抱いた。あまりにも唐突な話であり、魔女が何をしでかしたのか、その理由すらはっきりしていないのに。
「そうと決まればいざ北海道へ!! ソラっちに連絡しなくちゃ!!」
「それだが、足をひねった際にソラはスマホを壊しちまったんだよい。だから連絡はつけられねぇんだよい」
「ええ!? それじゃ店長はソラっちが帰ってきたら、お土産は何がいいか聞いてよね!!」
大地の言葉に萌香は露骨にがっかりした。だがすぐ前向きになる。平は北海道行きの飛行機のチケットと金が入った封筒を渡す。萌香はすぐに店を飛び出した。自分の役目を終えて安堵したのか平はコーヒーを注文した。詳しいことは封筒に指示書を入れたという。あまりに用意周到すぎて、大地は平に問いただそうとしたが、肝心の萌香がいなくなってはどうにもならない。大地は注文のコーヒーを淹れ始める。湯気が立ち、熱々のコーヒーを平の前に置いた。彼はミルクと砂糖を入れて、おいしそうに飲んだ。
「あのイノシシ、いや狸娘め、店をほっぽいで飛び出したよい」
「あはは、萌香さんらしいや」
「笑ってないでお前も働くよい」
大地にこずかれて賢太郎は愛想笑いをした。空が帰ってきてからこのことを伝えようと思っていた。それが萌香を死地に送ることだとは二人とも気づかなかった。
林萌香:綺羅めくる。
伊達賢太郎:伊達賢治。
森大地:フェニックス大。
平吾郎:アビゲイル後藤繁。
美崎葵:秋本美咲。
屋住三葉:玄姫やすむ。
ミサキコングは秋本美咲が直接着ぐるみを着て演技しています。大学時代に河井一美監督がミサキコングの映画を撮っていたためです。
モエカエースも河井監督が大学時代に撮ったヒーロー物で、頭の部分にサイドテールをつけただけの代物です。
モエカエースのスーツアクターは漫画家の南利子で、裏返りのリバスでは第16話に出演しています。




