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晴るはじめの明日を  作者: 村人X
2/8

2.





 空港内の駅から事前に調べていた特急に乗り、途中で私鉄へ乗り換える。目的の駅へ着くまでには1時間もかからなかった。

 荷物はほとんど空港で預けてしまったので身軽なものだ。自宅への配送サービスなど普段は利用しない。今日はこれから予定がある。


 久々に来た駅前は、記憶にあるものと景色に齟齬があった。新しいビルが建っている。ここ数十年ですっかり不景気が板についても、都市は何だかんだと絶えず変化している。

 胸を張って都会とは言えず、とはいえ地方と呼ぶにも微妙。大学に入学する年まで暮らしたこの街は住みやすい土地だったのだなと、離れてから気がついた。


 小学6年の夏に近所の塾の夏期講習へ放り込まれ、勧められるがまま受験した共学の中高一貫校へ、青音はるとは10代の6年間通っていた。青音の学校では内部生のクラス替えは一度も無く、中高一貫生の大抵がそうであるように、よく共にいるグループ構成こそあれ同級生は皆仲が良かった。

 卒業から10年以上経ってなお同窓会をやろうと呼びかける者がおり、少なくない人数がそれに参加するのだから、これは青音の勘違いでもないだろう。


 周辺地域の中高生は、数十分電車に揺られて東京の中心部へ出るかこの駅前で遊ぶのが定番である。繁華街から離れた所在の青音の学校でも例に漏れず、卒業生にとって駅前は馴染み深い場所だった。

 本日開かれる同窓会の会場はすぐ近くのウェディング施設だ。



 宴会場はよくある古代ギリシャ風の列柱が並んだ外観で、入り口で振り返れば建物の隙間に薄紅が覗いていた。満開にはまだ早い。

 この国の春は、特別名所と謳われる場所へ赴かずともそこここで桜の花と出会う。厄介な話だ。あの色を見る度想起せずにいられない思い出がある他人の事情など、考えてもらえない。


 開始の時刻に先んじて、会場には既に懐かしい顔ぶれが続々と集い始めていた。

 三十路ともなれば学生時代と変わらない者の方が稀なのだろう。真っ先に青音に気づいて声を上げた遣り手ビジネスマン風の男は、坊主頭の朴訥とした野球部員だったし、笑顔で青音を歓迎し子どもの幼稚園がどうこうと話を再開する女2人はスカートの丈で生徒指導とやり合う常習犯だった。


 同窓会は、幹事のあいさつで和やかに始まった。

 あいにく学生時代青音が最も時間を共有した相手は出席者名簿に名前がなかったが、ひっきりなしに話しかけてくれる者たちのおかげで退屈せずに済む。大袈裟なほど再会を喜び、昔とは違った疎遠さで、けれどこれはこれで心地良い距離感の会話に花を咲かせた。


「しかしマサキが英語の先生とか、似合うね。分かりやすく説明するの上手いもんな。生徒にモテモテだろ」

「そりゃもう。ただし高校んときのお前には遠く及ばない」

「部活も見てんの?」

「バスケ部の顧問してる」

「やっぱ大変?」

「今どきサービス残業万歳、労基法クソくらえの楽しい職場だよ。今日500日ぶりの休日」

「想像以上の地獄だったわ」

「こいつらが卒業したら辞めてやる、って思い続けて早6年」

「いい先生だ…」


 学校の中では話題すらふらふらと定まらず、勢いだけで言葉を発していた若者も、10年経つと社会人らしい話し方をするようになる。


「古渡は今なにしてんの?」

「ライターしてる」

「ライター…?取材したり記事書いたりする…あの?」

「その」

「意外ー。つか、あれ、風の噂じゃ飲料メーカーに就職したって聞いてたんだが。大手んとこ」

「あー、合ってはいるかも。営業みたいなことやってたんだけど合わなくてさ」

「なるほど。きついっていうもんな」

「2年で辞めちゃった。ちょっとした縁で編プロ誘ってもらえたのきっかけにそっちへ移った。今はフリーランスでやってる」


 都合の悪いところをすべて飛ばした説明をするのにも慣れてきた。


 昔、同じ教室の中で暮らしていた者たちが、今はそれぞれ全く違うことをしている。

 当時の日常が奇跡的な交錯地点でしかないことを知るまでに、自分はどれくらいかかったものだろうと、上品を装いゴテゴテと西欧風に造られた宴会場の真ん中でふと思った。





***





 それなに、と問いかけてきたのは祐太郎ゆうたろうだった。


「ウォークマン」

「ゲーム機じゃないのか」

「音楽再生するやつ。見たことない?」


 手元を覗き込む友人の素振りに、青音はテレビで見た人間のおもちゃに興味津々なオランウータンを思い出す。


 桜が葉ばかり茂る頃には、教室移動も体育の間もその他の時間も、どちらからともなく重なるのが当たり前になりつつあった。


 入学から1ヵ月も経つと変わった経歴を持つ人間の情報は容易く広まる。高橋祐太郎は最初の英語の授業以来、分かりやすく目立った。なにせみんながハローケンジ、ディスイズペンとカクカク音読する中、祐太郎は先生より流暢に英語を喋るのだ。

 帰国子女だと誰かが言った。青音は帰国子女の子女って女子のことじゃないんだと初めて知った。


 ドイツのハンブルクで生まれたらしい。中学まではブリスベンに、更にその前はブエノスアイレスと川崎にいたという。クラスの皆はハンブルクもブリスベンもブエノスアイレスも、ひょっとしたら川崎すらどこにあるか知っているか怪しい。それでも大騒ぎした。

 なにせドイツ生まれ。ヒーローだ。この間まで2時間目休みに全力でドッジボールしていた素朴な中学1年生は、外国で暮らしたことがあるというだけで尊敬の眼差しを向ける。

 駄目押しに祐太郎は顔がよかった。外国育ちの影響か、妙に浮世離れしたところもあり、これで人気者にならないはずがないというものだ。



 オランウータンはやっぱやめた方が良いな、と青音は反省しつつイヤホンを片方渡した。

 世の中ではワイヤレスイヤホンが主流になりつつあるのは知っていたけれど、青音の愛用は有線イヤホンだ。

 音質にこだわりがあるからなんて洒落た理由じゃない。単に使っていた音楽プレイヤーが旧時代的な代物で、ワイヤレスという概念が存在しなかったのだ。

 ハイレゾが靴下の種類のことじゃないと知ったのは最近だ。


 青音がうっかり顔の向きを変えた拍子に、イヤホンが外れないよう祐太郎は顔を寄せる。下校途中に寄り道する公園は他に人もいないのに、入り口に停めた自転車の隣で突っ立ったまま話すのが何となく恒例になっていた。

 人数がヤバイんだと押しに負け入部した吹奏楽部は弱小校なだけあり18時半に終わる。なぜか釣られて吹奏楽部へ入った祐太郎とは、帰る方向も途中まで同じだった。


「俺いまはこれめっちゃ聞いてる」

「…なんてアーティストなんだ?」


 祐太郎は流行りのドラマも、その主題歌を歌うアイドルグループも、ちょっと歩けばそこら中で流れているような有名バンドも知らなかった。

 最初こそ気まずかったものの、ボクとキミでキラキラな曲を聞かせて、砂利を噛んだような顔をする祐太郎を眺めるのが段々楽しくなってきた。


 それでなくとも、好意的に評して中古のウォークマンを挟み、2人だけでイヤホンを共有するのはわくわくする。

 昼休みの教室や部活の前、帰り道。幸い顔を寄せ合う時間はいくらでもあった。


 いつでもお構いなしに口ずさみリズムを取った。一人っ子の青音はよく母親にマイペースと呆れっぽく小言を言われる。


「じゃ、帰るか」

「……ああ」


 マイペースな青音は世の中の大概のこと対しお気楽で興味がない。ただ時々は引っかかることもある。

 帰ろうと言う度、きまって祐太郎はキラキラアイドルソングを聞いた時と同じ顔をする。




 初めての吹奏楽コンクールは地区大会銀賞で終わった。しかも小編成部門の銀賞だ。シンバルを鳴らすタイミングを間違えた青音に先輩たちも先生も優しかったが、青音は落ち込んだ。祐太郎の出すか細いホルンの音を応援していたら一拍ずれてしまったのだ。

 応援しに来た父は「上手だったな。びっくりした」と笑顔で褒めた。何も分かっちゃいない。まあねと澄ます青音を祐太郎は目を細くして見つめていた。


 コンクールが終われば本格的な夏休みがやってくる。どうせ中高一貫なので、最後の大会となった3年生にも悲壮感などない。そもそも先輩たちは夏どころか3月まできっちりいるらしい。


 勉強の方はといえば、入学前後はきっとみんな頭がいいんだろうと恐々していた青音だが、1学期の定期テストではだいたいの教科で見事10位以内に入った。先生に言われた通りのことをしていただけでこれだ。もしかしたら自分は頭がいいのかもしれないと自惚れ、同じ学区の公立中学へ進んだ小学校時代の友だちに自慢した。

 その2日後、1位ばかり取った挙句順位や偏差値の話にきょとんとする祐太郎のせいで、青音は恥ずかしさで枕に顔を打ちつけることとなった。


「あんたゴロゴロばっかしてないで外でも出かけてきたら」


 母親の助言に従い、夏休み中の青音は毎日のように祐太郎を呼び出し遠征に繰り出した。祐太郎は虫取りも川遊びと言う名のどぶ浚いも喜ばないだろうと見込み、地域のレクリエーション施設で入場料50円のバスケやプールに勤しんだ。図書館でだらけることもあった。ませた女子に習ってコンクリートジャングルのゲームセンターにすら足を踏み入れた。

 ひとつひとつ新鮮に驚く友だちの反応が青音には面白かった。遊ぶ日は必ずどこかでウォークマンを出し、安いイヤホンを分け合った。


 そんな調子で秋も冬も過ぎてゆく。高等部に上がる3年生を見送る頃には、帰国子女の浮世離れイケメンもだいぶ周りと馴染むようになっていた。青音は基礎練習って大切だよなが口癖のパーカッション担当に進化した。勉強は相変わらずだ。



 春休みが終わる間際、祐太郎の家に初めて行った。祐太郎は転勤の多い父とそちらについていった母から離れ、今は祖父母と暮らしている。中学からはもう頻繁な転校をさせるのも気の毒だとのことで、そういう話にまとまったらしい。

 青音が愛想よく挨拶すると祐太郎の祖父母はにこにこ大喜びで迎え撃つ。手土産を渡そうものなら言葉も無く感激して、大量のお菓子で応戦し昼には出前の寿司を取ってくれた。

 あっという間に打ち解けお喋りに盛り上がる青音たちの隣で、祐太郎は終始どこか据わりの悪い顔だった。


「かげおくりのできそうな空だなあ」

「不穏な感想はやめろ」


 帰り路、途中まで送ってくれると言う祐太郎は、長袖シャツを捲って伸びる青音に自転車を押しながら文句を言った。


「俺国語の教科書であの話がいちばん記憶残ってる」

「青音は時々変わってる」

「じゃあお前は?」

「スイミーがいい」


 こいつは意外にベタなものを好むやつだった。日本語を何不自由なく操り、定期試験で青音を負かしたことからも分かる通り、外国育ちであっても祐太郎は青音と同じ教育を受けている。なんでも、世界各国に日本語学校というものがあって、祐太郎のような子どもはそこで学ぶのだと聞いた。


「空が青い!!!」

「急にうるさい、近所迷惑だ」

「そうかそうかつまり君はそんなやつなんだな」

「落ち着けエーミール」


 祐太郎は中2になる男子とは思えないほど精神年齢が高かった。クラスの他の奴なら青音と一緒になって無駄な奇声を発する場面でも、どしりと構えてぶれない。


「はーるがきーたー、はーるがきーたー、どーこにー…春の空っていいよな。いちばん好きかも」

「うん。…俺も春がいちばんだ」

「夏の濃い感じも捨てがたいけど」

「……青音はるとって名前は、ご両親が考えたのか」

「え、名前?」


 かと思えば、いきなり小難しげな表情でそんなことを言い出す。


「そうだって聞いてるわ。キラキラっぽいだろ」

「キラキラ?」

「変な名前のこと。王子って書いてキングって読むとか」

「百歩譲ってプリンスにしろよ」


 黄熊さんや闘女さん、混沌さんに珍子さん、世の中には色々な人がいる。祐太郎に説明しているうちに青音は両親へ感謝の念が湧いてきた。

 自分の名前はまだ安全圏だ。


「初見で読んでもらえたことない気がする。両方小1で習いそうな漢字なのに」

「俺はいい名前だと思う」


 祐太郎は時々変だ。不審げにお礼を言ってもどこかぼやけた反応をするので、今日はとびきり変だと確信した。

 黙って歩いていても何も気にならなくなったのはいつからだっけ、とふと思う。


「あ、桜。綺麗ー、食ってみる?」

「食わない」


 つまるところ、今は普段気にならないものが気になってしまうような空気で。


「……。」

「……。」

「…青音は、桜を見たら懐かしいって感じるのか」

「え?」


 茶化せる機会でないのは、試してみるまでもなく明らかな声だった。


「日本人は皆、桜を見ると懐かしい、綺麗だって感じるらしい」

「分からなくもない」

「そうか。…俺は綺麗なのは分かるが、懐かしい、が分からない」


 かげおくりができそうなほど、祐太郎はじっと足元を睨みつけている。合わせて声も低くなる。青音は内心どぎまぎした。普段2人で話していてこんなに真面目な空気になることなどない。

 ぎこちないなりに青音は続きを待った。気まずいけれど、聞きたくないとは微塵も思わなかったから。


「俺、小さい頃からあちこちに住んでただろ」

「うん。俺はずっとこの街だから、ちょっと羨ましい」

「俺は逆だよ、青音が羨ましい」


 帰国子女の肩書きが無敵の免許か何かだと思っていた青音は驚いた。そしてそれを素直に顔へ出した。


「自分がどこの人間だって感覚がないんだ。どこにいても俺は余所者なんだって思う」

「よそもの…」

「顔が違う、肌の色が違う、言葉が違う。誰かと仲良くなっても、すぐに別れがくる。自分と何かが紐づいている感覚がない」


 青音は黙り込んだ。あまり良い反応ではないが、反射的にそんなことないと答えるよりはマシだ。


「じいちゃんとばあちゃんは…」

「いい人たちだった」

「ああ。小さい頃1、2度会っただけの俺なんかによくしてくれてる。掃除や皿洗いすら頼まれないんだ」


 紛れもない親切だ。愛情だ。青音は母に手伝いを頼まれるといつも嫌々仕方なくやる。でももしお客様みたいな扱いをされたとしたら、それはそれで、きっと寂しい気がする。


「日本人なのに…桜を見ても、懐かしいって思えない」


 祐太郎は視界から何かも締め出すように俯いた。


「恐らく、故郷…帰る場所というのは、生き物にとって必要不可欠に重要なものなんだ」


 青音はハンブルクにもブリスベンにもブエノスアイレスにも住んだことがない。地元以外の土地を知らない。だからその言葉の半分も理解は難しかった。でも祐太郎が言うならきっとそうなのだろうと思った。


「…ただいまって言いまくってればいいんじゃね」


 長い間溜めてきたのだろう、祐太郎が躊躇いがちに吐き出したのは重い告白だった。だから青音も頑張って頭を捻ろうとした。

 無理だった。声だけは真剣な調子で、信じられないくらい浅いアンサーが出てきた。

 ぱっと祐太郎が顔を上げたので青音は固まった。見つめ合う。何か言えよと焦る。

 人生経験なんてペラペラなお気楽中2前に、帰る場所とはなんて悩みに応えるのは、いくらなんでも難易度が高すぎる。


 祐太郎はにこりともせず呟いた。


「……ただいま」

「お、おかえり…?」

「ただいま」

「おかえり」

「ただいま」

「おかえり」

「ただ…」

「なあそろそろ止めない?」


 黙り込む友だちの意図が分からない。動揺して落ち着きなく手を開閉する青音へ、祐太郎ははっとするほど晴れやかに笑った。


「決めた。青音を俺の帰る場所にしよう」


 あっさいアンサーに対して返ってきたのは、それを上回る意味不明な結論だった。


「…はあ……?」

「だから、帰る場所。俺が紐づいてたいのはお前なんだと気付いた」

「どういう意味」

「病める時も健やかなる時もずっと傍にいてくれ」


 本格的に青音は混乱した。大変だ、親友がおかしくなった。

 今度はひどく真面目腐った顔をされて頭を抱える。それから目元に潜む悪戯めいた笑いへ気づく。気づいた青音へ、祐太郎はからりと言ってのけた。


「エイプリルフールだ、ばか」






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