元婚約者の看病に尽力します
カタリナは廊下を歩いていた。暗く冷たい廊下を。
(あの部屋とは大違いね)
あの部屋――カタリナが監禁されていた部屋は物は少ないが、妙に過ごしやすかった。汚れも少なく、窓がない割に空気の淀みもなかった。もしかしたら、オーギュストが魔道具を使用していたのかもしれない。浴室も同様に。
彼が寝ている間にこの家の全てを一通り確認したが、カタリナが使用する部屋とキッチン以外はろくに使われた形跡がなかった。
(せっかくの一軒家なのに勿体ないわね……)
そんなことを不意に思った自分に驚いた。この家にずっといるつもりはないのに……と。
キッチンで作ったリゾットを右手に、部屋の扉を開けようとした。しかし、それよりも早く中から開けられた。
「カタリナ!」
寝癖がついたまま、靴もはかずに裸足で飛び出してきたオーギュスト。
「オーギュスト、あなたね……」
どうして大人しくベッドで寝てないの、と苦言を呈そうとしたが、勢いよく抱きしめられ言葉を失った。しかも、右手が軽くなっている。せっかく作ったリゾットはきっと床の上。
「ちょっと、離れて……」
「よかったっ。いなくなったかと思った」
声も体も震えている。その様子に、カタリナは何も言えなくなった。
代わりに、彼の背中に手を回し、ポンポンとたたいた。
冷静になったオーギュストは正座し、深々と頭を下げた。カタリナは首を横に振る。
「もういいから。それよりも、片付けるからそこをどいて」
「よくない! 僕がするからカタリナは座っていて!」
「馬鹿言うんじゃないわよ! あなたこそ早くベッドに横になりなさい! まだ治りきってないんだから」
「でも……ねえ、あれってまさかカタリナの手作りなんて言わないよね?」
床にこぼれたリゾットを見て、オーギュストが動きを止める。
「? 私とあなたしかここにはいないんだから、他の誰が作るっていうのよ」
カタリナの言葉にオーギュストは目を見開いた。顔色が赤くなったり、青くなったりと忙しそうだ。
「そ、そんな。カタリナが僕のためにご飯を……それを僕は。待って! 片づけないで、僕が食べるから!」
「ちょ、やめなさい!」
床に這いつくばり、顔ごとリゾットに食らいつこうとする彼を、慌てて後ろから羽交い絞めにして止めた。
しばらくぎゅーっと彼の背中に抱き着いていたが、動きがないのに気づき、そっと離れる。
様子を窺えば、なぜか彼は顔から首までを真っ赤に染め、固まっていた。
とにかく、今のうちに……とカタリナは汚れた床を掃除する。ついでに、新しいリゾットも用意した。
「さあ、オーギュスト。ベッドに移動してちょうだい」
「べ、ベッド⁉」
「当然でしょう。あなたはまだ病人なのだから。なに、歩くのにも介助が必要なの?」
「い、いや……」
よろよろとベッドへと戻るオーギュスト。
カタリナはリゾットを差し出した。けれど、なぜか彼は受け取ろうとしない。皿と、カタリナの顔を何度も見比べている。
(何か言いたいことでもあるのかしら? ……ああ、なるほど)
スプーンですくい、差し出す。
「はい。あーん」
「んえ⁉」
「あら、違った?」
てっきり、まだ指先までは上手く力が入らなくて困っているのかと思ったが、違ったのだろうか。
なにせ彼は重症患者だ。パッと見、そうはみえないがそれは外傷を治癒士がきれいに治してくれたから。中はまだボロボロのはず。
(医師のいう通り、私がきちんと看病して、無理させないようにしないと……)
「はい、口を開けて」
「う、うん。あ、あーん」
顔を真っ赤にし、口を開けたオーギュストにスプーンを運ぶ。きちんと嚥下するところを見届け、同じ作業を繰り返した。
(……雛鳥に餌をあげる親鳥ってこんな気持ちなのかしら)
勝手に犬にされたり、鳥にされたりしているとは知らないオーギュストは、ただただ嬉しそうに口を開閉させていた。
「よし、全部食べたわね。じゃあ、次はこれね」
数時間前に、王太子から派遣された医師が置いて行った薬を渡す。
「これは?」
「造血剤と高濃度栄養剤よ。医師の説明では、外傷は治癒士の治療で完全に治すことはできるけれど、失った血液や、体を修復するために使われたエネルギーはどうにもならないんですって。それを補うための薬がこれ……って聞いてる?」
「それってつまり……この家に僕ら以外の人間が入ったってこと? 勝手に入って、カタリナを見て、会話までしたの?」
オーギュストの低い声色と、アンバーの淀んだ瞳。ゾクリと背中が粟立つ。
努めてカタリナは冷静に返した。
「……仕方ないでしょう。彼らも殿下の命令には逆らえないんだから。そもそも、そんなに嫌ならこんな大怪我をしないでちょうだい」
オーギュストの顔色が『殿下』で変わった。
「殿下って……」
「あなたをここに運んできたのも、治癒士や医師を派遣してくれたのも王太子殿下よ」
「そっか……」と、俯くオーギュスト。
カタリナは嘆息した。
「言いたいこと、聞きたいことはたくさんあるわ。でも、今は完治させるのが最優先事項。さ、早く薬を飲んで横になって」
強引に薬と、水が入ったカップを渡す。
彼は数分も経たずに眠りについた。
(やはり、まだまだ本調子ではないのね)
『治癒士に治療された患者の看病をする際は、見た目にとらわれず、患者の容態をつぶさに観察し、看護するように』
と、医師から口を酸っぱくして言われた注意事項を頭の中で反芻する。
普段、治癒士にかかる機会等そうはない。医師からの事前説明がなければ、カタリナは気づかずにオーギュストに無理をさせていたかもしれない。容易に想像できて、ぞっとした。
「カタリナ様」
背後から急に声をかけられ、驚いた。声を上げずに済んだ自分を褒めたいくらいだ。
突然現れたのは王太子直属の『影』。身なりはどこにでもいる平民の青年のようだが、彼が纏う雰囲気がただものではないことを現している。
『影』とは表で処理できない仕事を裏で処理する存在。その仕事は殿下の護衛から、諜報活動、暗殺と多岐に渡る。『犬』レベルのオーギュストでさえこれほど危険な目にあったのだ。『影』として働いている彼らの仕事の危険度はいったいどれほどのものなのか……。
(これ以上詮索するのは危ないわね)
カタリナは好奇心を抑え、差し出された封筒を受け取った。すぐに『影』は姿を消す。
オーギュストが熟睡している横で、封筒の中を検めた。
「……紙とペンが必要ね」
そう呟いた瞬間にテーブル上に紙とペンが現れる。どうやら先ほどの『影』が差し入れしてくれたらしい。
(彼がついてくれているなら、小型電話魔道具は必要なかったのでは?)
貴重な『影』を二十四時間借りれるわけがないと理解していながら、ついひねくれた思考に走るカタリナ。
封筒の中に入っていたのは、どこの家の物かは分からない帳簿。
(なかなか骨が折れそうな仕事ね)
ただ羅列されてある数字を、まっさらな紙にカタリナ式で記帳し直していく。
手間はかかるがこうすることで、紛れ込んでいた『悪意ある数字』が浮かび上がってくるのだ。
次に、その数字から何が読み取れたのかを別紙に記していく。
ペンは一度止まった。迷ったのは数秒。悩んでいる暇があるなら記すべきだと、もう一度ペンを走らせた。
ここから先はカタリナの憶測だ。この帳簿の持ち主が企んでいるだろうこと。それを阻止するためには何をすべきか。を、記していく。
(殿下はここまでは求めていないでしょうから……『あくまで参考程度に』と追記しておきましょう)
一通りの作業が終わった後、カタリナは満足げにペンを置いた。
「カタリナ? カタリナ!」
いきなりベッドから飛び起きたオーギュスト。
「ここにいるわよ」
近寄れば、腰に抱き着いてくる。
温もりを感じてようやく安心したのか、彼の肩から力が抜けた。
「どうして……逃げなかったの?」
彼からの質問に、カタリナは腰にしがみついているつむじを見下ろしたまま「そうね……」と呟いた。
この部屋から出たあの時。カタリナは『自由』を取り戻したのを、息苦しさがなくなったのを感じた。
けれど……この家から出ようという考えには至らなかった。その案を思いついたのはもっと後だ。
(そういえば、あの時そのまま逃げることもできたわね)
と、他人事のように。
「なぜかしらね」
「え?」
ぽかんとした顔で見上げてくるオーギュストに、微笑み返す。
「私にもわからないのよ。ただ、病人のあなたを置いて出て行こうとは思えなかったのよね」
「……カタリナは優しすぎるよ」
そう言って、幼子がするようにカタリナの腹部に頭を押し付けてきた。彼は顔を隠したまま言う。
「僕は……自分から一方的に婚約を破棄したくせに、カタリナのことを攫って監禁までしたんだよ?」
「ええ、そうね」
(言葉にすると最低ね)
「なのに……」
黙って続きを待つ。
「カタリナは……僕を恨んでないの? 嫌いに、なってないの?」
(恨む? 嫌いになる? オーギュストを?)
カタリナは首を傾げた。
「そんな感情は今まで一度もないわね」
呆れに似た感情を抱きはしたが、それだけだ。怒り、くらいはあったかもしれない。
だが、オーギュストが言ったような激しい負の感情を彼に抱いたことは一度もなかった。
「本、当?」
くぐもった声が聞こえてきた。それに対し、カタリナは柔らかな声色で返した。彼を安心させようと。
「ええ、本当よ。……オーギュストの気持ちに絆されたのかもしれないわね」
「ぼ、僕の気持ち⁉」
ガバッと勢いよく顔を上げる。
「正直、オーギュストがここまでするなんて思ってもみなかったわ。それだけ……本気で再婚約を望んでいるのでしょう?」
あの時はどうしても心が受け付けられなかったが、今は違う。受け入れてもいいと思い始めている。というか、それしか選択肢がない気がする。
覚悟を決めたカタリナだが、なぜかオーギュストの反応はイマイチだ。驚いているのかもしれない。
「あ、ああ、そういう……そうだね。できれば……」
「詳しい話はまた今度にしましょう。まずは完治しないと」
オーギュストの腕を引き離し、横になるように伝える。彼は力が抜けたかのように、抵抗せず従った。
「喉乾いたでしょう? 飲み物持ってくるわね。軽食も……」
「カタリナが作ってくれるの?」
「当然でしょう? それとも必要ない?」
「ううん。いる!」
彼の目に光が宿る。
「ふふ。じゃあ、作ってくるから大人しく待っててちょうだい」
「わかった!」
何度も頷くオーギュストを落ち着かせるため、ポンポンと彼の手をたたいた。
テーブルの上の封筒は……いつの間にか消えていた。それを確認したカタリナは、オーギュストの看病に専念するのだった。




