元婚約者の修羅場を特等席で鑑賞しています
「ミラ」
「オーギュスト様」
目の前で元婚約者と、彼の初恋相手が見つめ合っているのを、カタリナは特等席で眺めていた。
メイドたちが新しく用意してくれたティーセットに口をつけながら、事の成り行きを見守っている。
一度は『真実の愛』を認め合った(?)者たち。
けれど、オーギュストは警戒心と敵意を彼女に向け、ミラは困惑している。
『彼は私のことを愛していたはずなのになぜそんな怖い顔をしているの』という反応だ。
ミラはハッと何かに気づく。
「オーギュスト様。あなたの気持ちを踏みにじるような行為をしてしまい申しわけありませんでした」
頭を下げる彼女。
(ミラ視点ではそうなるわよね。オーギュストを裏切る形で別の『真実の愛』を選んだわけだから。けれど、オーギュスト視点では……)
「僕の気持ち? そんなことはどうでもいい。なぜ、カタリナに近づいた」
「え?」
どうでもいいと言われたミラはきょとん顔。
オーギュストの目がさらに吊り上がる。
「君とカタリナに面識はなかったはずだ。それなのに、呼び出し、あまつさえこうして直接会いに来るなんて何を考えている!」
「そ、それは謝罪を……」
「謝罪?」
訝しげなオーギュストに、ミラは怯えながらも答える。
「は、はい。そのお姉……いえ、カタリナ様には大変なご迷惑をおかけしましたので謝罪を。それで、快く受け入れてもらい……それどころかいろいろとアドバイスまでしてくれて。私、こんな素晴らしい人からあなたを奪おうとしていたなんて……と心から反省していたところなんです」
ミラは両手を組み、カタリナに懺悔する。
それを見たオーギュストは何かを言いたそうな顔になったが、結局口を閉じた。
「そうか。ならいいよ」
剣呑な空気は霧散し、ミラがホッと息を吐きだす。
オーギュストとカタリナの目が合った。彼の頬がピンク色に染まる。カタリナの表情は変わらなかったが、ミラには十分微笑ましい光景に見えたらしい。突然手を叩いて笑みを浮かべた。
「お二人。よりを戻したんですね。よかった! これで私も心置きなく彼と結婚できます!」
カタリナが顔を顰め、すかさず「戻していないわよ」と訂正する。
「え、違うんですか?」
若干顔色が悪くなるミラ。カタリナが事実だと頷く。
「そんな……」と、ミラはカタリナとオーギュストを交互に見た。
オーギュストは悲しげに俯いて拳に力を入れている。
カタリナは嘆息する。
「あなたが気にすることではないわ。それより、オーギュスト様」
「なに⁉」
途端にパッと明るくなるオーギュスト。
「いつまでも立ったままではなく、お座りになったらよろしいのでは?」
「う、うん!」
嬉しそうにカタリナの隣に座る。
「……近すぎますわ」
「そんなことないよ」
とにこにこ顔。
そんな二人のやり取りを見ていたミラは「え? 別人?」と呟いた。
その呟きを拾ったカタリナが「どうしたの?」と尋ねる。
「あの、オーギュスト様ってもっとクールじゃなかったですか?」
「クール? フェリックスではなく、オーギュストが?」
「は、はい。少なくとも私が知るオーギュスト様はクールでした。いつも真顔で、笑うこともせず、話しかけられたら答えるって感じで……あれ? オーギュスト様って私のこと好きだったんですよね?」
首を傾げるミラに、オーギュストは「いいや」と返した。ミラは狼狽える。
「え。で、でも、『真実の愛』は? じゃあ、なんで婚約破棄までしたんですか?」
「あれは僕の勘違いだったんだ」
「勘違い?」
ミラは「浮気した時の常とう句だわ」という顔をしている。
至って真面目にオーギュストは告げる。
「そう。未知の生物に出くわした衝撃を『真実の愛』と勘違いしただけだったんだ」
「何、言ってるの?」
今度は「信じられない!」という顔のミラ。しょぼん顔で呟くオーギュスト。
「婚約破棄をしたのも、カタリナを『悪役令嬢』にしたくないっていう僕の勘違い……空回りだった」
ミラの目はもはや点になっている。
無言で聞いていたカタリナは内心「わかるわ」とミラに同情していた。
ミラの行動もなかなかだったと思うが、オーギュストの思考回路もなかなかなのだ。
案外この二人似た者同士だったのでは? という気さえしてくる。
ミラはわなわな震え始めた。
「し、信じられない。私、オーギュスト様には淡い恋心を抱いていたのに。なのに、今の聞いたら全部ぶっ壊れちゃいました!」
「現実って残酷よね」
「本当に! っていうか、恥ずかしい!」と両手で顔を覆う。
数分前にカタリナに優越感を滲ませた発言を嚙ましたことが今になって羞恥心として返ってきたのだった。
――不意に三人の耳に激しい足音が届いた。
廊下が賑やかだ。すかさずオーギュストがカタリナを庇うように立つ。
執事の制止する声と共に扉が開いた。
デジャブ。飛び込むように入ってきたのは、ベルモンド男爵夫人。その後ろから、えっほえっほと男爵が現れた。
カタリナは呆気にとられる。
当初の予定では、娘の暴走を知った両親が迎えに来て、カタリナに謝罪。そして、一件落着。で、終わらせるつもりだったのだ。しかし、その両親の方が非常識だということを彼女はすっかり忘れていた。
カタリナは額を押さえ、ふらつく。咄嗟にオーギュストが支えた。
「カタリナ、大丈夫?」
「え、ええ」
深呼吸してミラに視線を向ける。
「ミラ。迎えがきたようよ」
「あ、はい!」
察したミラが立ち上がって、男爵夫妻に近づく。しかし、このまま穏便に終わらせたいというカタリナの願いは残念ながら夫人によって打ち砕かれた。
「あらあらまあまあ。先日はどうも~」
にこやかに挨拶する夫人。だが、彼女の瞳には嫌な色が乗っている。カタリナとオーギュストを見てわざとらしく声を上げる。
「まあ! お二人復縁したのですね!」
「あ、それは……」
訂正を入れようとしたミラを無視して、夫人は喋り続ける。
「ということはオーギュスト様は元の予定通り侯爵家に婿入りするのね! それなら、ミラ! あなた、このまま彼の愛人になってしまいなさいな!」
「はい?」その場にいる全員の声が重なった。
「お、お母さんったら何を言うのよ!」
「まあ、この子ったら照れちゃって。ふふふ」
と艶やかに微笑み、夫人はなぜか値踏みするように応接室の調度品を見回す。
「お母さん! もう止めて! 私の結婚相手はもう決まっているでしょう!」
「あら、そんなものオーギュスト様の愛人になってしまえばどうにでもなるわよ。なにせ、彼は公爵家の長男で、次期侯爵なんだから」
カタリナは唖然とした。いろいろと間違っているミラ以上の新人類を前に。
オーギュストの目に剣呑な色が乗る。
「夫人はいったい何を言っているのですか」
「何って……愛人の打診よ? 高位貴族の当主ともなれば愛人の一人や二人、いて当然でしょう。執務関係はその真面目そうな小娘に任せて、オーギュスト様はうちの娘といちゃついとけばいいのよ。ああ、他の男の手垢がついたことが気になります? でも、初物よりはある程度慣れている子の方が楽しめますよ? 見ての通り、うちの子は見た目も一級品ですし。もちろん月のものはきちんときましたからご安心くださいな」
笑顔の夫人とは逆に男爵とミラの顔は真っ青だ。
オーギュストの手がおもむろに、フォークへと伸びた。握るその手の甲には血管が浮き立っている。
(ここで流血沙汰はまずいわ!)
カタリナはすかさず二人の間に立つ。
「夫人。あなたは間違えています」
ようやくカタリナに視線を向け、男爵夫人は不快げに眉を寄せる。まるでお前はお呼びじゃないのよとでも言うように。前回も思ったが、彼女はなぜかカタリナを格下に見ているようだ。
(この方、貴族社会を全く知らない上に、女性の価値を『見た目や性的能力』でしか判断しない類の人間ね)
「まず一つ。私とオーギュストは復縁しておりません。次に、仮に再び婚約したとして、次期当主となるのは私です。彼ではありません。故に、彼に愛人を持つ権限はありません」
「なっ!」
「そして、度重なる非礼について。男爵夫人からの謝罪がないのであれば、私は次期当主として、正式にベルモンド男爵家へ抗議いたします」
夫人の顔が怒りで真っ赤に染まった。
「こ、小娘になんの権限があって!」
「お母さん、謝って!」
ミラが必死に彼女のドレスの袖を引く。
「おまえ、はやく謝らないか!」
男爵もハラハラした様子で促す。
「嫌よ! この前もこの小娘に恥をかかされたのよ⁉ それなのに、今回もまた私に同じ気持ちを味わえというの⁉」
(……この方、これ以上話しても無駄そうね)
ミラには悪いが、さっさと見切りをつけようとカタリナが判断しようとしたその時。オーギュストが口を開いた。
「ではいっそ、男爵家を潰してしまおう。方法はいくらでもある。今後、二度とカタリナに暴言を吐けないよう。視界にも入らないよう。夫人には遠くへ行ってもらうことにしよう」
夫人がぎょっとした顔でオーギュストを見る。そして、何か言い返そうとして、口を閉じた。
彼のハイライトのない瞳に、その奥にある殺気に、呑まれたのだ。
「も、申し訳ありません!」
「妻とは離縁いたします。ですから、どうか家だけは!」
床に手をつき、懇願するミラと男爵。夫人はぷるぷると震え、立っているのがやっとだ。
「オーギュスト君。その辺にしときなさい」
「お父様。お母様も」
カタリナはホッと息を吐いた。万が一に備え、一応外出中だった二人にも連絡を入れておいたのだ。
「さ、後は私たちに任せて二人は出ていなさい」
と、オーギュスト共にカタリナは追い出される。扉から出る際、ミラと目があったが、彼女は深々と頭を下げてきた。それを両親も見ていたので多少は温情をかけてくれるだろう。――彼女にだけ。
二人きりになるとオーギュストはガバッと頭を下げた。
「どうしたの? まさか、あなたも何か謝罪を?」
「うん。元はと言えば、僕が婚約破棄したのが原因だから。巻き込んで、ごめん」
「そうね。でも、オーギュスト様だけのせいではないでしょう。ミラがあなたに目をつけたのが先なのだから。それに……あのご両親ではいずれ衝突を起こしていた可能性はあるわ。すでに社交界では噂になっているようだし。救いなのはミラ本人はまだ改善の余地があることね。父親の方はよくわからなかったけれど、あの母親の方はもうダメね」
「……カタリナはあんな無礼な相手にも優しいな」
「別に優しいわけではないわ。ただ、時間を割くなら何らかの利益を生み出したいだけよ。今回のことも今後のためには必要だと判断したから動いただけのこと。それは私の両親も同じ」
(あの家に制裁を加えることで、うちは他家から感謝されることになるでしょうしね)
「カタリナ……」
何かを求めているような目。けれど、今のカタリナはそれを読む余裕がなかった。
未知の人種を相手した疲れと、早く課題に取り掛からないと、という急く気持ち。
それが、オーギュストへのおざなりな対応として出た。彼は眉を下げて、微かに笑みを浮かべる。
「今日はもう、帰るね」
「ええ、お気をつけて。さようなら、オーギュスト様」
「うん……」
肩を落とし帰っていく彼の背を見送ることなく、カタリナは自室へと足を向けた。




