17:定期考査
ナタリーに頑張ってくださあいと定期的に紅茶を淹れてもらったり、クレマンと時折雑談をしたりして、なんとかやる気を保ち、一週間後。
息抜きの編み物をしながら、ぼんやりと考える。
もしも目標の点数、順位に届いたとしたら、どうマノンに謝ろうか、ということを。
自己満足の謝罪は嫌だ。
オルタンスとエロイーズのときのように、結局迷惑をかけたり、気遣いを受けたりするのもよろしくない。
どうしたらいいだろう。
そもそも、謝って済む問題じゃないのよね……。
それが謝らない理由にはならないが、果たしてマノンにとってはなにが一番良い選択なのだろう。自己満足で終わらないためには、どうしたらいいのだろう。……。
思考のドツボに嵌まり、つい時間を忘れてしまった。
アデルがはっと時計を見やると、魔法で動く針は深夜きっかりを指していた。
しょんぼりしながら机に向かう。
「お嬢様。お眠りにならないのですかあ?」
ナタリーにのんびり問われ、ええと肯定を返す。
「今日の分、終わらせたいから。ナタリーはもう寝てて?」
「……暖かいショコラをお持ちいたしますね?」
アデルはそれに、ころころと笑い声をあげた。
「……ありがとうっ」
「ふふふ。こちらこそ、仕えさせていただいて、ありがとうございます」
そんなこんなで、その後も順調に勉強を続け、考査当日。
特に規則はなく、髪飾りもブレスレットもつけることが出来たので、緊張したらとりあえずブレスレットを撫でていた。
開始、の担任の教師の一声でペンを握り、問題文を読み込む。
思いの外、すらすらと解くことができる。初めてだ。
……まあいつも考査前に慌てて詰め込むから……。
予習復習も気持ち程度だった。
マノンの様子をちらりと覗くと、いかにも自信ありげに見えたので、ひっそり笑みを零した。
あれだけ頑張っていたもの。
時間ギリギリながらきちんと解き切ることができ、アデルは小さくほっと息を吐き出した。
その後も集中して考査に臨み、それなりに手応えがあった。
が、その分全教科終えるころ――三日目が終わるころには疲労困憊だった。
最後の最後まで頑張りぬくことが出来た、と自負しているが、どうなのだろう。自分に甘すぎるだろうか?
ともかく解放感と共に考査を終え、寮に戻ると、うっきうきで編み物に手を出した。
最近寒くなってきたので、マフラーを編む。湿り気の少ない、魔法の香水でも染み込ませて、良い香りがするようにするのもいいかもしれない。
などと考えながら、結果が待ち遠しい。……ちょっと怖いが。
そして数日後、廊下に貼り出された紙には。
二百人中百二十位の位置に、アデル・ド・トゥルーズと書いてあったのだった。
ずらりと廊下に並んだ文字列の中の、中央より少し右側だ。右の一番下が最下位で、反対に左の一番上が、学年一位。きっと今回も、ラウル・ド・ルーセヴェルと記されている。
平均以上、という目標はギリギリ達成できなかった。平均点差十点以内。
人だかりの中、こんなもの、と納得させる。穴があきそうなほど、じっと自分の名前を見上げながら。
だってそうだ。いきなり勉強を始めてみて、簡単に成績が上がったら、みんなそうしている。
ぽつんと立ち尽くす。
遠くでどこかの誰かの喜びの声が上がった。
……悔しい。
これ以上ないほど、悔しい。
仕方ないことだ。だから自分に失望したり絶望したりは、しない。
でも悔しい……。
こんなの始めてだ。
アデルはむっと唇をくっつけて、紙を見つめた。
「わー! 学年十位です! 十位入りましたーーッ!」
マノンの、喜びがたっぷり詰まった声が遠くの方で弾ける。
……ギリギリ、届かなかったから。
まだ、謝れない。そのときじゃない。
まだ、まだどう謝るかも考えられていないし。
……いや。
アデルは首を振り、一歩踏み出した。
そんなのはただの言い訳だ。
謝らなければ。
自己満足かもしれないが、それでも。
人ごみをかき分け、マノンのいる方……学年順位が高い方へ歩く。
謝らないと自分は、マノンのことを、幸せに向かわない理由にしてしまう。
一生後悔して、引きずって、ずるずる彼女のことを言い訳にして、不幸に沈んでいこうとする。
そんなの駄目だもの。
心臓が、一歩動かすたび高鳴る。頭が真っ白に燃え尽きる。手足が馬鹿みたいに震えている。目線が下がる。
周りの声はぼんやりとしていた。周りを気にする余裕なんてなかった。
ぎこちなく歩き続けたら、いつの間にか視界の端にマノンのものらしき足が見えた。元々大した距離ではなかったし、不思議ではない。
が、いきなり目の前に見えたので、焦りからか一気に汗が噴き出た。
恐る恐る、顔を上げた。
ぱっと目を引く黄色の瞳は、喜びで満たされている。
入学してからずっと、勉強を続ける彼女を見てきた。
よかった、と口許を綻ばせるゆとりは、生憎アデルの心にはなかったが。
アデルはろくに働かない頭で、それでも言うべきことを反芻すると、息を深く吸い込み、そっとマノンのブラウスの膨らんだ袖をつまんだ。
「……あのっ。マノン・ブーロさん」
「へ?」
からからに乾いた喉から絞り出した声。か細くて話にならない。
静かに唾を飲み干して、丸くした目をこちらに向けるマノンに、続ける。
目を逸らさぬよう、心を砕く。肩が不自然に持ち上がった。
「……い、今更。な、なにを言っても、遅いと分かっていますが。……貴方に嫌なことをたくさんしてしまって、申し訳ございませんでしたっ」
「え!」
声で伝えることは、半ば諦めている。
せめて、頭を下げた。周りからは分からないくらい、軽くだけれど。
アデルがマノンに頭を下げたことで、両親の評判を下げるわけにいかないのだ。
びっくりしたようなマノンの声に、それはそうだ、と思う。
そもそも彼女の記憶にすら残っていないかもしれない。
アデルはおずおずと頭を上げた。臆病に見上げたそこには、マノンがたっぷりと驚愕を込め、立っていた。
「わ、わたくしっ。貴方のこと、応援いたしますわっ。貴方に、憧憬を抱いたから」
ふわりと髪が跳ねるくらいに勢いをつけ、アデルは前のめりに言い放った。胸の前で握られた拳に力が入る。
「にゅ、入学、当初から。貴方の努力を見ていました。きっと、辛い状況でしょうけれど、貴方が」
貴族として、第一王子との恋の成就を祈ることはできない。
だから、祈るとすれば。
「貴方が、幸せに恵まれることを、願います」
マノンがどんな形であれ、幸せになることだ。
呆然と目を見開いているマノンに、アデルは気まずく付け足す。
「……学年十位、おめでとうございます」
それではっと背を向け早歩きをしだしたアデルを、マノンは無遠慮に捕まえた。アデルはびくりと肩を震わせ、振り向く。
「あっ。すみません、つい手が出てしまいましたっ」
肩から、彼女の柔らかな手が離れる。
「少しだけ、わたしの話を聞いてくれませんか?!」
マノンは、それはそれはもう快活な笑みで、言った。
「ありがとうございますっ! わたし、めっちゃくちゃ嬉しいですっ!」
それから少し慌てたように手をぶんぶんと振った。首も揺れていた。
「あ、その、謝罪のことではなくてですね?! 未熟であったわたしを軽蔑することなんて、貴族なんですから当たり前ですし……」
次は、苦笑。へへ、と口許を緩ませている。
本当に、貴族には似合わない、とアデルは内心で少し笑った。こんなにも表情豊かな人を、アデルは見たことがない。
だからこそ、彼女が光系統魔法使いでなければよかったのに、と思い、微笑を作る上で、眉を少し寄せた。
けれどマノンは、日向そのもののような笑顔を浮かべ言うのだ。
「わたし、貴方の憧れに見合うような人間で居続けられるよう、頑張ります! まだまだきっと貴族として不適格な点があると思います! ですからご指導いただけますと幸いですっ! トゥルーズ様も、わたしが言えることではありませんが、どうか幸せになってください! ではっ!」
さっぱりしていながら温度の高い声音。
胸がスカッとするような、気持ちの良い態度。
マノンが背を向け、立ち去っていく様子を放心したように見届け、アデルはドクドクと鳴り響く心臓に目をやった。
気がつけば、周りも順位を確認し終わって、随分と静かになっている。
顔が熱い。緊張が一気に抜けたからだろうか。それとも、強烈な達成感と興奮に包まれているからだろうか。
アデルは魂が抜けたように散漫とした視線を地面に向け、両頬に手を当てた。手袋の心地よい手触り。
……やっぱり、あの御人は、すごいわ。
未だうるさい鼓動の音に、身体が揺れるような錯覚を味わいながら、アデルは思う。
だって、こんなにも心臓が熱いもの。
なんだってできるような気がして、心が躍る。
というか、それよりなにより。
……名前、知っていたの……。
トゥルーズ様、と呼ばれた。嬉しい。なんだか友達みたいな響き。
アデルは地面に向かって頬を緩ませた。
気持ちが落ち着かなくて、そわそわする。
よし、とアデルは決め、熱に浮かされるがまま室内庭園へと向かった。
昼休みは始まったばかりだ。
勢い勇んで室内庭園へと入り、クレマンと挨拶を交わす。
柔らかな表情で本を読む彼と同じベンチに、いつもと同じように座る。
勇気をもって、少しだけ近くに寄ってみる。クレマンは衣擦れの音で気がついたのか、不思議そうな目でこちらを見やった。
アデルはじわじわと頬を赤らめ、そっと告げた。
「……ロレンヌ様。今度。週末。お出かけ、いたしませんか」
クレマンは目を見開いたまま硬直し、そのままじわじわと頬を染めた。
クレマン・ド・ロレンヌ。
彼は、第一王子付きの侍従だ。
薄々気づいては、いた。彼の語る主人が、あまりに好きな人と似ていたから。だからといって、なにか言うわけでもなかった。今の心地のいい関係は終わらせたくなかった。
それでも踏み出す、ということは、それは。
……クレマン様と、もっと、お近づきになりたい……。
自分は今、とても恥ずかしいことを言っている、と身体が訴えかけてくる。汗が噴き出る。
けれども、このまま疎遠になるよりは、まだ失敗して終わった方が良い。そう思ったのだ。
停滞を望みたくはない。アデルが憧れたマノンは、絶えず進み続けていたから。失敗しても、転んでも。
つまり、結局のところ、勢いだ。
彼との終わりについては、クレマンとの会話を楽しみ始めたあたりから、ずっと心の隅に置かれていた。それを、マノンに触発されて放り投げた。
緩やかに息が止まっていくような関係性は嫌だと思ったから。どんな形であれ、進みたいと。そう思えた。
じっと答えを待つ。
クレマンは考えるように視線を遠くに飛ばした。
彼のくすみがかった茶髪が緩やかに吹く春風で乱れる。やがてクレマンは口許を押さえ、笑い始めた。勢いよく笑うものだから、髪がそれに合わせて揺れた。
「あははっ。喜んでっ」
ころころと楽しそうに笑ったクレマンは、なんとも柔らかに目を細め、続けた。
「それで、どちらに行きましょうか、トゥルーズ嬢」
「えっ」
今度はアデルが固まった。
それを見たクレマンはますます大きな笑い声を上げる。アデルは顔いっぱいに含羞を広げ、両頬を手で包みながら俯いた。
頭の中にとんでもない混乱が広がっていた。
クレマンとは違い別段記憶に残る肩書も成績も持っていないのに、まさか苗字を把握されているとは思わなかった。
が、考えてみれば、第一王子についている侍従だ、知っていたとしても不思議ではない。
いえそれは今どうでもいいわ……?
クレマンに『トゥルーズ嬢』と呼ばれた衝撃で何を言おうとしていたのか完璧に吹っ飛んだ。
ええと、わたくし、なんて聞かれたの?
必死に脳内を検索し、ぱっと顔をあげ、きゅっと胸の前で拳を握る。
「べ、ベレニス展っ。展示っ、は、ど、どうですか……?」
「いいですね! では今週末、11月25日にでもどうですか?」
「えっ、は、はい!」
アデルは声を裏返しながら、力強く頷いた。
「か、開館時間に、展示館前で待ち合わせで良いでしょうかっ」
「はい! 楽しみにしていますね!」
にこにこと言われ、アデルはこくこくと頷いた。
緊張を解いてランチボックスを広げる。
……あ、あっさり決まった……。
サンドイッチを手に取り、アデルは手汗が酷いことに気がついた。
ハンカチで綺麗にしてから、手袋を外した手でサンドイッチを持つ。
……楽しみだなあ……。
ちらりと隣のクレマンの横顔を眺め、アデルはくすりと控えめに笑い声をあげるのだった。
晴れやかな春の風が、いつも通りアデルの髪を揺らした。




