第三章 一幕
「ユーリが攫われた!?」
マリアが似合わない大声を上げると、ロイは静かに頷いた。ジンは何も言えずに、唖然としている。季節の変わり目に降る大雨の音が、静けさを際立たせた。
時は遡ること、数時間。雨が降る中、ロイとユーリは傘をさしている。手元には籠があり、食材が詰め込まれている。
第二位の序列を競う決闘から一ヶ月が経っていた。それ以降、マリアたち四人の仲は深まり、三日に一回はユーリの家で食事を共にするのが恒例になっていた。マリアはもちろん大学に顔を出すことは減ったが、その生活はかえって充実しており、研究の成果も増えていった。
「今年の雨も長そうだね」
「そうだね。魔術はやりやすくなるけど、暴発しがちになるから困るね」
ムーリアスでは季節の変わり目に雨が増える。魔術に根差した生活が送られるムーリアスでは、エネルギー源たる水が増えることは良いことである。
「マリアさんは先に家にいってるって話だっけ?」
「そう。大学に行きたくないってさ」
この日もいつもと同様に、マリアは大学に行かずに直接ユーリの自宅に向かっていた。
「そういえば、ユーリさんは実家はどこにあるの?」
「急に何?」
「詮索するつもりはないんだよ」
湿度が上がりそうなユーリの睨みに、ロイは焦って補足した。
「単にちょっと気になっただけだよ。僕は隣の市だし、マリアさんの実家は前に行ったし、ジンくんはアコクだし」
雨がひどく降り始める。
「雨強くなってきたから近道しよ」
ユーリはそう言うと細い路地に入った。雨天の影響で、かなり暗い路地になっている。
「暗いね」
「まぁこっちの方が近いし、雨も入りにくいから」
そう言って歩いていると、前方に人影が見える。細い路地中央に立ちはだかるように、ロイたちを見据えるように正面を向いている。ロイたちは不自然に感じながら、立ち止まる。人影は暗いのではなく、黒かった。全身が黒く、顔を隠すように、口元を布で覆っていた。
「ユーリさん、買い忘れがあるね」
「そうだった、飲み物も買わないと」
聞かせるように大きめの声で会話する。そして振り返るが、元いた方向にも同様の服装の人物が立っている。自分たちの置かれた状況を、ユーリたちは嫌でも理解させられた。
「ごめん、ユーリさん」
「え?」
ユーリへの説明を待たず、ロイは買い物かごを頭上高く投げる。ユーリと不審人物の目線が僅かに上に逸れると、ロイはユーリを抱き抱え、移動魔術で上空へ一気に跳んだ。建物の屋上まで跳べるはずだった。
ロイの思惑とは違い、その勢いはみるみるうちに弱り、加速もできずに勢いよく地面に叩きつけられた。ロイはこの衝撃で気を失ってしまう。
状況を理解しようとしたユーリが、不審人物を見ると、黒い装束の内側でぼんやり光が灯っている。
「魔術師?」
そう言った瞬間、後頭部付近に衝撃を感じ、ユーリの視界が暗くなる。
そしてロイが意識を取り戻した時には、その場に不審人物はいなかった。もちろんユーリも。
「全く不甲斐ない」
ずぶ濡れで手ぶらのロイが、マリアに詫びる。場面は冒頭に戻り、ロイがマリアとジンに状況を説明しているところだ。
「魔術師狩りですか」
「魔術師狩り?」
ジンが問いかけるが、マリアは考えを必死に巡らせている。
「話は道すがら話すよ。まずは警察に行こう」
「私も行きます」
マリアたちは雨の中走っている。マリアは傘をさして走っているが、その動きは男二人に比べれば明らかに遅い。
「すまんが、時は刻一刻を争う。事態の説明もして欲しいから、失礼するぞ」
ジンはそう宣言すると、マリアを抱き抱える。マリアは一瞬驚き、照れもしたが、状況を捉え直して冷静になる。
「この国の治安は決して良いものではありません。表を見るだけではわかりづらいかもしれませんが、表面化しない事件が多数発生しています。そこ右です」
「確かに、この国だけの話ではないかもしれないが、あまりにも人々は戦いとは無縁の生活をしている。いわば免疫がない体のようなものだから、犯罪者にとってはさぞ生きやすかろうな」
ジンの走る速度は凄まじく、ロイが移動魔術を補助的に使ってようやく並走できるほどだ。
「だが、まがりなりにも犯罪が表面化していないということは、警察の能力は高いんじゃないのか」
「それも合ってる。この国はかつて増加した魔術による犯罪を、魔術使用を許可された警察の特殊部隊が一度徹底的に撲滅した歴史がある。だからこそ、凶悪で狡猾な犯罪組織が潜り込んでしまった。次こっち」
道ゆく人々が気に留める暇もなく、二人は高速で走っていく。ジンはともかく、ロイの足がはやるのは、自責の念からだった。
数分後、周りに比べると特別違いのわからない建物の前に三人は立っている。玄関口と思われる出入り口の上には、看板が打ち付けられている。
「レンス市警察署」
この街、市の警察署だ。三人が建物に入ると、窓口がずらりと並び、何人もの人が待っている。一番奥の二つの窓口は赤い色で強調されており、看板に「緊急窓口」と書かれている。三人はそこに走っていくが、マリアは遅れてついて行く。
「ご用件は?」
冷静な青年が淡々とたずねる。
「さっき人が攫われて」
「女性だ、身長は低めで」
「ムーリアス大学の学生で」
「黒づくめの男二人組に。あれは多分魔術師です」
「まだ一時間くらいしか経ってない」
「ユーリ・アナベルって言うんですけど」
三人は動転しながら一斉に喋っている。受付の男は焦点が合わない目で何度か頷き、制止するように手をゆっくりとに挙げた。それを見て三人は糸が切れるように息を吐く。マリアはともかく、ロイとジンは全力疾走してきたばかりだ。
「要するに、ムーリアス魔術大学のユーリ・アナベルという子が、攫われたんだね」
男はそう言いながらペンと紙に取り出し、記録を取りはじめる。三人は息も絶え絶えになりながら頷く。
「なるほど。君」
男はロイをペンで差す。
「はい」
「君が現場にいた人か。相手はおそらくは男二人組。真っ黒な服装の魔術師。顔は?」
「顔も見てないです」
「なるほど」と言うと男は手元の木槌で、机の上の台のようなものをテンポよく叩いた。受付の奥にいた中年の男性と、若い女性が立ち上がり、受付に近づいてくる。
「どうした?」
「拉致です。犯人は二人組の魔術師。かなり手慣れてます。この被害者、身元紹介して」
「はい」と言って、若い女性は紙を一枚受け取りどこかへ駆けていく。男は先輩と思われる中年男性に別の紙を渡し、また別の紙を取った。
「おそらくは魔術師狩りですね」
先輩は何かを思い出すように、眉間に皺を寄せて考え込んでいる。
「この被害者どこかで」
「あぁ、君」
男は目線だけロイに移し、声をかける。
「悪いが今から事件現場に向かう。他の二人も付き添いなら来てもいいが、邪魔をしないこと」
「課長に言ってくる」
立ち去る先輩を見送りながら、男は礼を言う。
「さて、とりあえず」
男は手元の書類をまとめながら淡々と喋る。
「まず迅速な行動感謝する。こういった拉致事件は、残念だがよくあることだ。まず公僕としてそこは詫びよう、申し訳ない。そして安心してほしい。今回に限ってはフィオラが君たちを守ってくれる。
私の名前はカルロ。気軽にカルロでいい」
立ち上がった男の顔には、淡々とした無表情が面のように貼り付けられている。




