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呪華の詩  作者: 葵(あおい)
歪んだ愛、道化と復讐
22/62

復讐の対象

「これでいつかの借りは返したよ」


 橋に風穴が空いた日、自身を背負って泳いでくれたライア。心からの感謝がその言葉に込められていた。


「そうね、返されちゃったわね。五倍返ししてもらおうかと思っていたのに残念ね」


 戯けながら背を向けるライア。そんな小さな背に、儚い表情が向けられた。


「ねえ、ライア。強がらなくていい。貴女は今、母を失った時の事を思い出していた。今の道化狸の親子と、自分達の過去を重ねて……違う?」


 深い海を連想させる蒼い瞳が見開かれる。口元に浮かんだ皮肉の笑みが、投げ掛けられた問いを言わずと肯定した。


「私ね? 貴女と初めて魔導研究室に行った時、ラルに言われたんだ。過去を振り返るのはいいが、過去に囚われ過ぎるのはやめておけって、いつか自身の身を滅ぼすぞって」


 黙ったまま聞く姿を見、セリカは更に続ける。そんな二人を打ち付ける雨が、熱を主張する心を僅かに鎮める。


「正直、返す言葉が見つからなかった。言葉って無責任だよね。言われた事を頭では解っていても……心が、身体が、ついてくる訳ないのにね」


 あはは、と切なげな顔で視線が落とされる。


「でも」


 そんな彼女に応えるように、背を向けたまま短く紡いだライア。


「でも……?」


「でも、それでも……人は前を向いて進むしかないの。遺された者として、先に逝った人に恥じぬように。大切な人の心を、その時代に置き去りにして」


「……違う」


 振り返ったライアは、否定したセリカの瞳を見据えた。


「心は、此処に在るの」


 何かを訴えるように、ライアの胸に優しく手が添えられる。雨で濡れて乱れてしまった繊細な茶髪、その隙間から覗く金色の瞳が微かに潤んでいた。


「ねえ、ライア? 貴女の気持ちが解るとは言わない。けれど、解ってあげようと寄り添う事は出来る。死んだ人の心や魂は、その時代に置き去りになんてならない。ずっと遺された者の心の中で共に在り続ける……忘れない限り、永遠にね」


 暫しの沈黙の後、小さな微笑みが浮かんだ。


「ふふ、確かに貴女の言う通り。母はいつだって私の心の中に居る。貴女の心の中にカヤが居るように。ありがとう、私は大丈夫だから。だから()ずは……」


 目付きが変わる。逸らされる視線、鋭い眼光は近くの建物へと向けられた。


「出て来なさいよ、レディーの会話を盗み聞きとは感心しないわね」


 吐き出された言の葉と同時に、水たまりを踏む足音が木霊した。それはこの場に居る両者から発せられるものでは無く、第三者の来訪の報せ。


「気配は、消していたつもりなんだがな」


 低いがよく通る声色。姿を見せたのは黒いフードを纏う男。頭部は露わになっており、切れ長の黒い瞳に、右目の下から口角まで続く大きな傷が目立っている。下唇にはリング状のピアスがいくつも開けられており、男はゆっくりと二人の元へと歩んだ。


「アルデア……!!」


 名を呼ぶや否や、セリカの表情が殺意に蝕まれる。軋む身体を無理矢理に起こし、抉るようにアルデアと呼んだ男を睨み付けた。


「あら? 知り合いなの?」


 静かに頷くセリカ。だが、視線がアルデアから逸らされる事は無い。


「アルデア・ヴァインバック。知り合いもなにも……こいつが私の仲間を殺した毒蜘蛛と呼ばれる呪術師の一人」


 そんな事実を知り、興味を含んだ蒼い瞳が男へと向けられる。


「アルデアああああああ!!」


 虚空に尾を引く瞳の残光。ほぼ同時に飛び出したセリカは、血の大鎌を躊躇い無く振るった。


「ほう。腰抜けだと思っていたが、まさか戦えるとはな」


 アルデアは一歩も動かず、そして瞬きすらする事なく大鎌を受け止めた。


 否。受け止めたと言うのには語弊があった。眼前の何かに引っ掛かり独りでに止まった大鎌。その際、何かが擦れるような嫌な音が響いた。


「ライア、気を付けて!! こいつは視認出来ない魔力の糸を使う!!」


 同時に何かを感じたライアは身を捻る。その一瞬のち、自身の頬の違和感に気付き手を当てた彼女は、出血している事に気付いた。


「なるほどね……」


 手のひらに付着した血を眺め、今のが魔力による糸での攻撃であった事を察する。だからこそ、あくまで冷静に、小さな息が吐き出された。


「おっと、無闇に動かない方がいい」


 試みかけられた反撃を制止するアルデア。


「もうこの街は俺のテリトリーだ。糸が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。半端な刃物じゃ斬れない魔力の糸がな」


 へえ、と紡いだライアの表情に影が落ちる。


「なら貴方は、早く動いた方がいいわ?」


「なに……?」


 問い返したアルデアは自身の行いを後悔する。未だ振り続く雨が凍結し、鋭利な氷柱へと姿を変えて自身に降り注いだ為だった。


「別に貴方に恨みはないけれど、私のお友達がそうじゃないみたいなの」


「餓鬼が小癪な真似を」


 地を蹴り後方へと飛んだアルデアは氷柱を難無く回避。その際に辿った跳躍の軌道を追うように、氷柱は地に突き刺さった。


「セリカ!!」


 そして、腹の底から絞り出された声が響く。意味を理解したセリカは追撃、大鎌はアルデアを僅かに捕らえた。風に煽られて巻き上がる鮮血、セリカの手には肉を引き裂いた感触が残る。


「何故、見えない糸を恐れずに動ける」


 傷は浅いが胸部の出血を手で押さえるアルデア。彼はそのまま手のひらに舌を這わせて舐め取ると、興味を含んだ眼差しを向ける。


「貴方が移動した場所をそのまま追って追撃しただけ。さすがに、自分の移動範囲にまで蜘蛛の巣は張らない筈だからね」


 発せられた言の葉、それはライアの意図通りだった。


「なるほど、その大鎌……レスティアの魔導師には裏切り者の死神姉妹が居ると聞いた。その片割れという訳か。以前殺し損ねた奴が、とんだダークホースだったな」


「さあ、何の事? さっさと地獄へ堕ちろアルデア!!」


 再び大鎌を振り上げたセリカが制される。後ろから腕を掴んだライアは首を横に振った。


「セリカ、駄目よ!!」


「え……?」


「今振り下ろしたら腕を持っていかれてたわよ。怒りで我を忘れちゃ駄目」


 驚愕と訝しみが混ざった視線が向けられる。


「ライア、もしかして見えてるの……?」


 小さく首を横に振ったライアは、何かを確かめるようにして周囲を大きく見回す。


「今の私じゃ完全には視認出来ない。けれど、辺りを自身の魔力で満たす事で、その中に存在する不純物をある程度認識する事は出来る。大まかにだけれど」


 空間の温度低下により薄い霧が漂い始める。そんな中、アルデアは二人から距離を取った。


「少しは出来るようだな。お前等二人の能力を知らない分、こちらの分が悪いか」


「逃げる気?」


 低俗な挑発に対し、アルデアは鼻で笑う。


「逃げる? 笑わせるな」


 言い、アルデアは腕を突き出す。反射的に刀を振ったライアではあるが、何かと衝突した刀は真っ二つに折れ切っ先が宙を舞った。


「ライア!!」


 続く第二撃。咄嗟に身体を低くし、ライアに覆い被さったセリカ。地に倒れ込んだ二人の背後で、建物の上半分が徐々に傾き崩れ落ちた。切り口が水平な事から、今のが魔力の糸による仕業だという事は安易に推測された。


「極限にまで研ぎ澄まされた魔力の糸は、鋼鉄やダイヤモンドでさえも容易く斬り裂く」


 魔力の糸を操っているであろう指が、感覚を確かめるように不規則に動いた。


「セリカ、ありがと」


 泥に汚れてしまったセリカを綺麗にはたくと、ゆっくりと立ち上がる。


「とうとう私の刀が折れちゃったわ。長く使った方だけれど」


 柄を握り、真っ二つになった刀を儚げな表情で見つめるライア。切っ先を無くした刀は夜闇を反射して雨に濡れ、まるで哭いているような悲しい色をしていた。


「今使える刀といえばこのくらいしか……」


 妖刀に視線をやったセリカは目を見開く。背負っていた筈の妖刀は存在せず、発せられた短い声が彼女の胸中を代弁した。


「捜し物はこれか?」


 豪華に装飾された白い鞘。見慣れた妖刀はアルデアの手中にあり、取られた事にすら気付かなかったセリカは苦虫を噛み潰したような顔をする。

 

「糸はこういう使い方も出来るんだ。悪いが、俺の目的はお前等と戦う事では無い。こいつの回収だ」


「一体何に使うのかしら?」


「実験だ、百の生命を媒体とした生命体を生み出す為のな」


「悪趣味ね」


「何とでも言え。だが、まだこいつは使えない。お前等のせいで今年の生贄が助かってしまったからな。この刀の厄介な所は、所持する者が自身の意思で心の臓を貫かなければ生命を吸収しない事だ」


「なるほど、それを手に入れた街で聞いたわ。ちょうど百年前、ある男がその刀を街に持ち込んだと。その話が本当なら、今その刀に宿る生命の数は九十九ね」


「残り一つ。これからどんな手を使ってでも成し遂げてやるさ」


「これから? これからなんて無いよ」


 ふいに響く、抑揚の無いセリカの声。会話に意識を向けていたアルデアは目を細める。


「お前は此処で堕ちろ」


 俯いていたセリカは顔を上げる。瞳に宿る狂気が、雨と混じり合って形容し難い色をした。

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