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ぞわぞわさん  作者: 大河 亮
第一章
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2

 閑静な住宅街を歩いていると、新しく綺麗な三階建ての一軒家が並んでいる。30年以上住んでいると景色というのはこれほど変わるのか。そんなことを考えながら島崎はいつもの帰り道を歩いていた。世間は少子化だと言われているが、この地域にはどんどん子供が増えている。老人が多いのも事実だが。自分も世間的に見ればもう老人の仲間なのだろうか。少し歩くと綺麗な家と家の間にポツンと一軒くたびれた家がある。27年前に近くのアパートを出て建てた家は、どうしようもなく古びているとは言わない。寧ろ大切に使ってきたつもりだ。しかし両隣の家がこれだけ新しいと、最早廃屋のように見えてしまう。


 玄関の鍵を開けて家に入ると島崎は大きな溜息をついた。自分の家のことを悲観したのではなく、一件の現場検証と一回の事情聴取だけで、これほど疲れてしまっている自分自身を悲観したからだ。10年前なら1日寝ずに仕事をすることも余裕だった。それが今ではこの体たらく。島崎はまた一つ大きな溜息をつきながら台所の電気をつけた。「おかえり」「どわぁぁ」笑顔で台所の椅子に座っていたのは、元妻の奥田(おくだ)江美子(えみこ)だった。「お前ぇ。俺はいつか心停止するぞ」冗談であるかのように島崎は言ったが、内心本気で驚いていたので照れ隠しのためだ。江美子はまだケラケラと笑っている。驚かすことに成功しただけでなく、島崎の言葉の真意を見透かしているからだろう。島崎はいたたまれなくなったので、黙って普段は洗わない手を洗いに洗面所に向かった。


 島崎が台所に戻ると、二人分の夕飯がテーブルに並べられていた。島崎は黙って椅子に座ると、小さく頷くぐらいのお辞儀をして食べ始める。これが島崎流のいただきますだ。その姿を見た江美子も小さく微笑みながら手を合わせて。「いただきます」と言って食べ始める。「忙しいの?」江美子が島崎に聞く。二度も溜息をついていたことが気になっていたらしい。「ん?まぁ」気のない返事だが江美子は小さく頷く。「島崎巡査長は本日も難事件を捜査しておりましたか」そう言いながら江美子が味噌汁をすする。「巡査部長だよ」島崎は顔をしかめ、わざわざ箸を置いて間違いを訂正する。出世を強く望んで仕事をしてきたわけではなかったし、今の階級に強いプライドを持っているつもりもなかったが、間違えられても構わないとは決して思えない部分でもあった。それを聞いた江美子は顔を横に逸らしながら含み笑いを浮かべた。島崎はまたからかわれたらしい。島崎はフンと鼻を鳴らして食事を再開した。


「そういえば近くの公園で殺人事件があったらしいけど、その捜査をしてるの?」「なんで知ってんだ」「あ、ほんとに殺人事件なんだ。高橋さんが噂してたから」やられた。報道陣にはまだ詳細を話していなくても、ご近所からの噂話ぐらいなら回ってくる。「高橋さんって向かいの人だろう。あんまり噂回さないように言っといてくれ」変に噂話が先走るとろくなことがない。高橋さんが噂好きなおばさんというのは、近所では有名な話だ。なので残念ながら高橋さんのいい噂話が回ってくることはない。というのは全て江美子の受け売りだ。「わかった伝えとくよ。向かいは井上さんだけど」江美子はまた含み笑いを浮かべる。島崎はしかめっ面のまま味噌汁をすすった。


 そこからは江美子が、母親の話、近所の話、パート先のスーパーの話、甥っ子の話をして島崎は「うん」と相槌を打つだけの会話が続いた。食事が終わると、島崎はまた小さく頷くぐらいのお辞儀をしてから居間に行き寝転がった。すると江美子が。「お風呂入れとくね」島崎は寝転がったまま、江美子の方を見ずに小さく頷いた。内心湯船に浸かるのは面倒だからシャワーで済ませたいと思っているが、過去に、シャワーだけじゃ疲れは取れないと江美子にしつこく言われてからは、湯船に浸かる生活を余儀なくされている。もちろん江美子がいない時ぐらいは、湯船に浸からないということもできるはずだが、それでも島崎は江美子の言いつけを守っている。


 居間で寝転がっていた島崎は、今日の殺人事件の目撃者である、小林琳人が言っていた言葉を思い出していた。『ぞわぞわさんがやった』『パーカーを着てフードを被ってた。おじさんをグサグサ刺した後消えちゃった』ぞわぞわさんとは誰だ。そんな奴が人を殺しそして消えた。そんなことありえない。ばかばかしい。この世に幽霊や妖怪などいない。全てはそういった得体の知れないもののせいにして、自らの都合の悪いことを押し付けるために人間が作り出したものだ。怪談、怖い話、都市伝説、ホラー全て作り物、フィクションだ。大体幽霊が人を殺すのに何故フードを被って顔を隠す必要がある。いや待て、何故今幽霊がやった前提で考えたんだ。ばかばかしい。小林琳人はぞわぞわさんという幽霊を本気で信じているのだろうか。だとしたら漫画やアニメ、そしてテレビゲームに影響された現代っ子というものなのだろう。あの子は嘘をついたつもりはないのだろうが、捜査を撹乱しかねない発言を普通にしてしまう子がいるというのは由々しいことだ。そんなことを考えていた。


「じゃあ秀ちゃん、私帰るから。お風呂ちゃんと入って、水分ちゃんと取って、お布団で寝てね。お腹出して寝たら駄目だよ」洗い物を終えた江美子が手を拭きながら島崎に言った。「ああ、気をつけてな」時刻は既に22時50分。泊まっていったらどうだと島崎は思うが、決して口には出さない。どうしても照れくさかった。江美子は島崎に笑顔を向けると、スーパーの制服が入った鞄を担いで玄関に向かった。寝転がっていた島崎も玄関まで江美子を見送りに行く。「ではでは」そう言いながらおどけて敬礼をする江美子。島崎は何も言わずに小さく頷いた。そして江美子は玄関を出ると島崎が近くにいるのに、わざわざ鍵を閉めて帰っていった。


 一人になった島崎が、鼻から大きく息を吐くと同時にピピピとアラームが鳴った。風呂の準備ができたようだ。島崎は敢えて無視して下着を取りにいき、服を脱いで風呂に入ってから蛇口を閉めた。風呂から上がりパジャマにしているスウェットを着ると、台所に行き江美子が作り置きしてくれている麦茶を、容器から直接飲んだ。しかし傾け過ぎたために口の端から麦茶が漏れて床に零れた。せっかくコップを使わないことで洗い物をしなくて済むようにしたのに。島崎は眉間に皺を寄せた。仕方なく洗面所から雑巾を取ってきて床を拭く。労力的にも精神的にもコップで飲んで洗った方が良かったとは思う。こんなことは過去にも何度かあった。だが明日以降もこうするだろう。その後居間に布団を敷くと。「おやすみ。加奈」部屋の隅に置いてある仏壇の、娘の遺影に言って戸を閉めてから、部屋の電気を消し布団に入った。布団に入ってからも少し殺人事件のことを考えようとしたが、一瞬で島崎の意識は遠いところにいってしまった。

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