3
武井久仁子が殺された翌日、島崎が出勤すると既に本庁から来た刑事たちが大勢いた。普段から楽しい場所ではないがピリピリとした緊張感がある。この緊張感が良い方向に作用してくれればいいが。島崎は生嶋が近くにいないことを確認してから溜息をついた。
会議室は満席を超える人数となったため、本庁の刑事たちが優先的に座り、島崎たち所轄の刑事は立った状態で会議に参加することになった。既にそのことが気に食わないという顔をしている者もいる。前に座っている本田もそれを感じ取ったのか少し跋が悪そうだ。人が揃ったところを見計らって本田が。「起立!気をつけ!礼!休め!」気合いの入った大きな声で号令を掛けて会議が始まる。いつもそんなことしてたか?島崎の頭に若干そんな思考がよぎったが、無視することにした。「おはようございます。課長の本田です。本日より警視庁から捜査協力に来ていただいた方々との合同捜査になります。改めてよろしくお願いします。では今後捜査の指揮を執られる松井警視から一言頂戴したいと思います。お願いします」いつもとは違いかなり気を遣った話し方だったが、無難に挨拶を終えたのではないだろうか。松井警視はゆっくりと立ち上がると会議室全体を見回した。しっかりと固めた髪、度の強そうな眼鏡、綺麗で高そうなスーツ、きっちりと締められたネクタイ。いかにもエリート街道をゆくキャリア組の刑事という印象だ。「皆さん。本日より指揮を執らせていただきます松井です。どうぞよろしく。今やぞわぞわさんと呼ばれる殺人鬼が犯した殺人は三件。しかし未だに足取りが全く掴めない。このままでは警察の信用は失われます。私たちに課せられた使命は捜査をすることではありません。事件を解決することです。皆さん力を合わせて事件を解決しましょう。以上です」いけ好かない奴という印象を島崎は抱いた。恐らく本庁の刑事以外はそう思っているだろう。これから奴の指示に従わなければならないのかと思うと溜息が漏れそうになる。
松井が椅子に座るとまた本田が立ち上がり、これまでに起こった三件の殺人についての説明を始めた。本庁の刑事たちは熱心にメモを取っている。所轄の刑事たちにとっては何度も聞いた情報だが、島崎はもう一度真剣に聞いていた。本田はこれまでの情報を伝えると、武井久仁子殺害に関する新たな情報がないかの確認を始めた。武井久仁子殺害に使われた毒物はニコチンと判明したが、現在のところ注射器等の凶器は発見されていない。事件現場付近の防犯カメラを確認するも犯人らしき人物の確認はできなかった。周囲への聞き込みでも有益な情報なし。武井久仁子が住んでいるマンションの住人への聞き込みによると、地域の活動に参加するということはほとんどなかったが、ご近所トラブルといった話は聞いたことがないとのこと。寧ろ顔を合わせれば笑顔で挨拶をしてくれる、自分の子供にもちゃんと挨拶するように教えている、ママ友同士よく談笑していた等、良い評判ばかりだったようだ。職場での聞き込みに関しても聞かれ生嶋が答える。武井久仁子の上着から検出された八人の指紋については、武井久仁子本人、夫の彰、息子の瑛二、目撃者の斉藤光貴の四人が確認されたが他四人は未だ不明。前科者に該当する指紋はなかった。以上が現在の捜査状況だ。「当面の捜査方針は武井久仁子の上着の指紋が誰のものかの特定と、事件の目撃者を探すための聞き込みです」本田が全捜査官にそう告げる。いやお前が言うのかと島崎は思ったが、周りは特に気にする様子はない。松井も異論はなさそうだ。
「では捜査の振り分けを」「ちょっと待ってください」ずっと黙っていた松井が本田の言葉を遮る。「捜査は二人一組で行ってきたと思います。それは大いに結構です。これからもその方向で進めていくつもりですが、これまでの二人一組ではなく、あなた方所轄の刑事一人につき、我々警視庁の刑事一人の構成でいきたいと思います。あなた方の方が事件についてもこの土地についても詳しいので、合理的配慮としてこの方法をとります」所轄の刑事たちは少しざわついている。これまではよく知る人間との捜査だったが、これからはそうはいかない。それを本庁から来たいけ好かない奴にいきなり命令されたのだから、不安も不満も大きいだろう。だがこう言ってはなんだが別に仲良くする必要はない。最低限のコミュニケーションを取れば問題ないのだから。島崎はそう安易に考えていた。「それともう一つ。蔵和田稔夫に事情聴取を行ったのはどなたですか」自分と生嶋のことじゃないか。島崎は会議中矢面に立たされたことがほとんどなかったので動揺していた。静かに手を挙げる島崎。少し遅れて生嶋も手を挙げた。松井はまるで睨むように二人を見つめる。いつも自分が事情聴取の際に行っていることだが、割と気分が悪いものだと島崎は思った。「名前を教えてください」「島崎秀幸。巡査部長です」「生嶋新。巡査です」松井は何度か頷いていた。品定めされているようだ。「私は今回の事件で度々名前の挙がるぞわぞわさん、つまり蔵和田想和子のことが気になります。捜査資料にも彼女の自殺にはいじめが関係している可能性があるとあります。ずばり私はこの連続殺人はいじめにより娘を奪われた想和子の父、蔵和田稔夫による犯行だと考えています」そのぐらい我々も想像はした。だが話を聞いていて違うと思ったのだ。島崎はそう思ったので。「確かに辛い過去ではありますが、だとしたら何故あの三人が殺されたのでしょうか。蔵和田想和子の自殺とは無関係な人たちに思えるのですが」島崎は無表情だったが、内心では怒りと呆れがあった。そんな島崎に松井は薄ら笑いを浮かべながら。「それはわかりませんね。娘を失ったショックで物事の判断がつかないのかもしれない。この町の全員を憎んでいるのかもしれない。とにかくそれを見極めてほしいのですよ島崎くん」可能性がある以上調べる必要があるのはわかる。だが何故お前の言い方はそこまで不快なのか。島崎は無表情を貫いていたが怒り心頭だった。「わかりました」島崎は短く答えた。松井は嬉しそうに笑みを浮かべている。恐らく懐柔することができたと思っているのだろう。島崎は、安易な考えの持ち主ならそう考えるだろうと思い気にしていなかった。しかし命令の仕方が不快だったことは一旦置いておくとしても、これからまた蔵和田稔夫に会いにいかないといけないのかと思うと気が滅入る。島崎にとって蔵和田稔夫は久々に嫌いだと言いきれる人物だ。それに生嶋のことが少し心配だった。だがよくよく考えると、あいつの方が自分よりよっぽど本庁の刑事と仲良くできるだろうと思い考えるのをやめた。
「バラバラになっちゃいましたねぇ」会議終了と同時に生嶋が話し掛けてきた。「寂しいならそう言えよ」島崎の冗談に生嶋は微笑む。だがすぐに真面目な顔に戻ると、島崎に会釈して新たな相棒のもとへと向かった。頼もしくなったもんだ。ふと島崎の頭にそんな言葉が浮かぶ。自分で思い浮かべた言葉に驚き頭を振る。あいつはまだ半人前だと何度も思い浮かべて、頼もしいという感想を頭から追い出す。そんなことをしていると。「島崎さん!」そんなに離れていない所から大声で呼ばれた。呼んだ人物の顔を見ると、今回島崎の相棒になった若い男だ。島崎がなかなか来ないのであからさまに不機嫌そうな顔をしている。そんなに待たせてしまったか。まぁいい。島崎はそう思いながら新しい相棒の元に向かった。




