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ぞわぞわさん  作者: 大河 亮
第二章
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3

 生嶋が運転する車の中で島崎は考えていた。倉井歩美とは何者なのか。どういうつもりで“蔵和田想和子”の名前をネットに晒したのか。訴訟を起こされる可能性もあるというのに。名前以上の情報は一切晒さなかったこと。名前を晒した後に怖気づいたからか。それなら普通書き込みを消すのではないか。一度ネットに流れた情報を完全に消すことは不可能なのかもしれないが。生活安全課から渡された資料によると倉井歩美は30歳。実家暮らし。外国語学科の専門学校を卒業後、旅行会社に就職するも一年で退職し以来無職。肯定はしないが不憫には思う。親も辛いだろう。


 コインパーキングに車を停めて雨の降るなかを少し歩くと倉井歩美の家に着いた。早速インターホンを鳴らすと。「はい」女性の声が聞こえてきた。察するに倉井歩美の母親だろう。「朝早くにすみません。警察ですが倉井歩美さんはいらっしゃいますでしょうか」生嶋が警察と名乗ったことで女性は慌てて受話器を置き玄関の扉を開けた。不安気な顔をしながら女性は。「すみません。娘はなにをしたんですか」「いえ、お話を聞きにきただけなんです。歩美さんには会えますでしょうか」生嶋はそう言ったが、母親は不安気な顔のままだった。それでも家に入れてもらい倉井歩美の部屋に案内してもらった。「歩美ちゃん。警察の人が来てるわよ。話を聞きたいんだって」ガチャと部屋の鍵が開いたかと思うと、少しだけ扉が開いて。「どうぞ」眼鏡をかけた色白の女性が小さな声で言った。幸の薄そうな女性。それが島崎が抱いた倉井歩美の印象だった。


 島崎と生嶋が部屋に入ると倉井はまた鍵をかけた。やはり何故島崎達が来たのかは理解しているらしい。ベッドとパソコンと山積みの漫画雑誌以外は何もない部屋だ。カーテンも閉めっぱなし。心なしか空気も湿っているように感じる。「倉井歩美さん。あなたはネットの掲示板に、ある書き込みをしましたよね」三人とも立ったままの状態で生嶋が切り出す。気持ちはわかるが落ち着いて話すべきだと島崎は思った。「汚い部屋ですがどうぞ座ってください」倉井に促され二人が座った後に倉井もベッドの上に座る。「蔵和田(くらわだ)想和子(そわこ)とは小学校から高校二年まで一緒でした」やはり名前の読みはあっていたようだ。だが高校二年までというのが気になる。「想和子は黒いストレートのロングヘアでそれは綺麗な髪でした。でも人と話すのが苦手な子で、次第に仲間外れになっていったんです」蔵和田想和子のことを話す倉井はずっと視線を二人から逸らしたままだ。やましい気持ちがあるからだろうか。島崎は睨むように倉井を見つめる。「でも小学五年ぐらいから下の名前をもじってぞわ子って呼ばれるようになって、黒のロングヘアと相まって幽霊だと言われていじめが始まりました。よく教科書やノートを隠されたり、黒板に悪口を書かれたり、机の中に画鋲を仕込まれたりしてました」凄惨ないじめを受けていたという話だが、恐らく倉井自身も身に覚えがあるのだろう。積極的にいじめに加担するタイプには見えないが、主犯格に命令されたか、やらなければ自分がいじめられると思ってやったかのどちらかだろう。「中学に上がってからいじめはエスカレートしていきました。想和子はどんどん暗くなっていって本当に幽霊みたいでした。その頃から苗字のくらわだももじってぞうわだ。ぞうわだぞわ子。ぞわぞわさんって呼ばれるようになりました」倉井の話を聞いている生嶋は悲しそうな顔をしている。無理もないだろう。島崎も動揺こそしないものの気分のいい話でないことは確かだ。「誰も止める人はいなかったんですか」生嶋がたまらず質問する。「主犯格の人には誰も逆らえなかったんです」想像していた答えが返ってきた。生嶋もわかってはいただろう。「高校に上がってもいじめは続き、二年生になってすぐのことでした。想和子がレイプされたんです。いじめてた人がお金をもらって想和子を差し出したとみんな噂してましたが、証拠はなかったですし報復が怖かったので誰も警察には言いませんでした」生嶋はまた下を向いてしまった。確かに目を閉じ耳を塞ぎたくなるような話だ。それでも島崎は倉井に見えないように生嶋を指でつついて、顔を上げるように促した。「それから2ヶ月後。想和子はマンションの屋上から飛び降りました。パーカーを着てフードを被った状態で発見されたそうです」最悪の結末というやつだ。記憶にはないがニュースにもなったかもしれない。「なんでパーカーのフードを被ったままだったんでしょう」「んなことはどうでもいいんだよ」生嶋の疑問に島崎が苦言を呈す。


「倉井さん。蔵和田想和子さんのことをネットに晒したのは何故ですか。犯罪かどうか以前に人としてよくない行為だとわかったはずです」生嶋に代わり島崎が質問する。「確かに想和子のことを書き込むのは気が引けました。でも連続殺人に関することを黙っておくわけにはいかないと思ったんです」「では何故直接警察にではなく掲示板に書き込むなんて真似をしたんですか」「私は怖くて家を出ることができないんです。あなた達と会うのだってすごく勇気を振り絞ったんですよ」「電話はできたでしょう。もし電話も嫌だったら、メールによる情報提供もできます」驚く程に目が泳いでいる倉井を島崎と生嶋は睨むように見つめる。「幸か不幸かあなたの書き込みを見て訴えた人はいません。だから今私たちに真実を話してください」島崎の言葉に倉井は俯いてしまった。10秒程の沈黙の後。「私は小さな旅行会社に就職したんですが、上司のパワハラやお客さんの酷いクレームを受け続けていました。そのうち仕事だけじゃなくて家から出るのも怖くなって。それでズルズルと今も部屋に引きこもっています」何度か鼻をすすりながら話していた倉井が少し視線を上げる。島崎と目が合うとまた俯いたがすぐにまた目を合わせた。嘘はない。島崎はそう思った。「気づけば今年で30歳になっていてふと不安になったんです。私はこのままずっと部屋から出られないのかなって。警察に知らせないとって思ったのも、想和子のことをネットに晒すことに罪悪感があったのも本当だけど、今皆が知りたがってる情報を書き込むことでたくさんの人に、私はここにいる、存在してるんだよって伝えたかったんです。本当にごめんなさい」遂に堪えられなくなり嗚咽を漏らす倉井。身勝手な奴。島崎はそう思った。確かにパワハラやクレームというのは辛いものだろう。経験はないが引きこもってしまうのも無理ないのかもしれない。だがそれと蔵和田想和子は関係ない。結局こいつも蔵和田想和子をいじめていた主犯格の奴と大差ない。そう思ったがわざわざ説教してやることもない。目的はそこではないからだ。倉井に真実を話させるために今の状況を作ったに過ぎない。泣いている倉井に島崎が話し掛けようとしたとき。「あんた身勝手すぎるだろう。あんたの引きこもりと蔵和田想和子さんは関係ないんだぞ。ネットに晒される人の気持ち考えたことあるのか。それとも死んでたら関係ないのか」「よせ、新」生嶋は優しい奴だと島崎は思ったが、これ以上追い詰めるとせっかくのお膳立てが無駄になると判断した。案の定倉井は声を上げて泣いている。だがまだ大丈夫だろう。「倉井さん。蔵和田想和子さんをいじめていた主犯格の人はどんな人でしたか。卒業アルバムなんかの写真を見せてはいただけませんか」唸るように泣きながらも島崎を見つめていた倉井だったが、すっと身を屈めベッドの下から分厚い本を取り出した。どうやら高校の卒業アルバムのようだ。かなり準備がいい。「この人です」卒業アルバムを捲っていた倉井が一人の人物を指さす。「この小松(こまつ)直子(なおこ)が先頭に立って想和子をいじめてました。でも卒業と同時に引越しちゃったんで今はどうしているかわかりません」顔はぐしゃぐしゃだったがはっきりと倉井は言った。島崎は小松直子の写真をじっと睨みつけた後に。「そうですか。ありがとうございました。これで失礼いたします」そう言って島崎は立ち上がった。しかし生嶋が。「これ僕の名刺です。困ったことがあったら連絡ください」そう言って名刺を差し出す。お前の仕事じゃないだろうと島崎はしかめっ面を見せたが、生嶋は気にせず渡し、頭を下げて先に部屋を出た。島崎も続いて部屋を出ると部屋の中から泣き声が聞こえてきた。思わず島崎が溜息をつく。とことん優しい奴なんだな。島崎は皮肉を思い浮かべていた。


「すみませんでした」車の中で生嶋が謝った。「別に悪いことはしてないだろう」本心だった。事件の真相を探るのには適していない対応だったかもしれないが、人としても警察官としてもやるべきことを生嶋はやっていた。島崎にそう言われ生嶋は少し安心した様子を見せていた。「署に戻って蔵和田想和子の自殺と小松直子のことを調べるぞ」島崎の言葉に生嶋は。「はい」と元気よく答える。生嶋は島崎のような刑事にはなれない。どんな人間でも信じ寄り添うからだ。島崎は逆にまず疑いそして関わらない。島崎自身生嶋と組んだ当初から思うところはあった。それが確信に変わった。それだけだ。それだけのことだ。それでも島崎は少しの寂しさと強い決意を胸に抱いたのだった。

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