ep.11 陶
また朝が来た。
常に体のどこかしら痛み気だるく、いつも夢の中に居るように感じる。
眠ろうとしても痛みで起きて、寝不足もあって意識が常に朦朧とする。
夫の助五郎は私を避けている。
それはそうだろう、私の体を蝕んでいるのは病気じゃない。
あの男が私を殺そうと用意した『毒』なのだから、情けのかけらもないあの男にも引け目を感じる心はあったのだろう。
ただ、あの男の毒は私の体だけじゃない。
多の屋、そして子毛の町も蝕んでいる。
これはみんな、あの男をこの町に引き入れた私たち親子の責任。
御公儀に提出するための嘆願書はもう書き終えた。
もし、本物が何かの理由で紛失された時ための準備もしてある。
この嘆願書には、この町だけじゃない。あの男が他所で犯した罪も全て書き留めた。
嘆願書を多の屋の印章と財産目録と一緒に御公儀に差し出せば、多の屋は財産を全て没収されて終わり、でもあの男と刺し違えることは出来る。
それでこの宿場町が救われることを願う。
お世話になった人たちには迷惑をかける事になるが、もうこれしかあの男の悪事を止める方法が無い。
多の屋を守れなかったこと、父と母と御先祖さまにはあの世で詫びることにしよう。
でも、ようやく書き上げて気付く。
父の江戸の知り合いで、頼りにしていた御役人さまはもう亡くなっていた。
これでは嘆願書を無事に御公儀に届けることが出来ない。
考えが行ったり来たりで、まとまらない。
どうしたら良いものか? と今日もうつらうつらと寝惚けた頭で考えてみるものの、良策は浮かばない。
錯乱する頭のなかを思い出が駆け巡る。
「そんなに心配しなくても大丈夫だから」
以前は、お医者様に私が診て頂く時には必ず助五郎が一緒にいた。
笑いながら私が「心配性ね」と言うと、助五郎は「妻を心配するのは当たり前じゃないか」と言って真剣な顔で私を見た。
愛されてると私は思った。
でも、あの男の目的はお医者様から渡される薬だった。
「見送りはワシの務めだ。お前は自分の身体を労っていてくれれば良い」
そう言って助五郎は一人でお医者様を見送り、その時に私の薬を受け取っていた。
私はそれを食事の後に飲む。
御膳の隅に置かれた、薬包紙に包まれた薬をきちんと飲む。
それが治るために大事なことだと信じて疑わなかった。今思えば愚かだったと思う。
もっと早く気づいていれば、他の結末もあっただろうに。
ある日お友達が訪ねて来て世間話をしていると、そちらのお母様が診て頂いてるお医者様が私と同じという話になった。
たまたまその友達がお医者様にお薬を頂いてきた帰りだというので、何の気なしにその薬を見させて貰った。
その時、薬を包む薬包紙が違うことに気がついた。
たいした事では無いように普通なら思うかもしれない。
でもその頃にはもうあの男を信用出来なくなっていた私は薬包紙の違いが気になり、薬を密かに残して庭によくやって来た野良猫の餌に混ぜて薬を飲ませてみた。
野良猫は、やがて泡を吐いて死んだ。
猫には可哀想なことをしたが、私は確信した。
これは『毒』
夫は私を殺そうとしている。
その日から、毒がゆっくり身体を壊していくのを感じるようになった。
何もしてないのに皮膚が剥がれて血が滲む。皮膚が水分を失った枯れ木のようにカサカサで痛む。
意識が跳び、自分がどこに居るのか分からなくなった。
死期をすぐそばに感じる。だから助五郎と取引をする事にした。
私を殺そうとしている事、助五郎が今までしてきた悪事を役人に訴えたりしない。
代わりに、子毛の人々を傷つけてたりしないこと、それと由を諦めそっとしておく事。
その約束が守るなら、黙って毒を飲んで死んであげると。
助五郎は今まで見たことがないほど、引きつった顔していた。
今でも思いだすと嗤える。
...そんなに私の事が怖かったのかしら...ね
あの男は一言も話すことなく、まるでモノノ怪を見るように私を見て怯えた様子で去っていった。
この男を愛した事が馬鹿馬鹿しく思える。でもどれだけ憎んでいても、今も全てを嫌いなれない。
嘘と虚勢と暴力しか能のない、芯が一本通ってる所が一つもない。
ただのつまらない男なのに...
あの男が私との約束を守る気がない事は分かっている。
だから私の死後、あの男をこの約束に縛りつける為に私も毒を用意した。
『嘆願書』
これが存在するということが、あの男にとって大きな恐怖になるだろう。
あの男は、自分の犯してきたことが重罪だと分かっているはずだ。
社会的に居場所を失うか捕まり裁きを受けるか、嘆願書の中身が公になる事は助五郎に死を宣告する事になる。
食事の最中も風呂に入っている時も女を抱いていても、ふとした時に嘆願書と私の事を思い出す事になるだろう...
今日は、小鳥のさえずりを聞きながら楽に目覚め、久しぶりに外の景色を見ようと起き上がった。
いつもより身体が楽で、調子が良い。
頭もスッキリして気持ちも落ち着いている。
鏡の前に座り、乾いた唇に久しぶりに紅を塗ってみた。
髪を整え勇気を出して顔を映してみる。
満足できる顔... とは言い難い。
自虐的な私の笑い顔が鏡に映る。
小机の前に座った。
紙を置いて、墨を摺る。
手紙を書くのは何時以来だろうか?
由が屋敷を出ていく日の前に、手紙を書く力が沸いたのは有難い。
父と母が、この力をくれたのかもしれないと感謝した。
筆を墨につける、鼓動がドキドキした。
少し躊躇いがある。
どんな風に書き始めたら良いのだろう?
しばらく考えたが、いま書きだしを悩んでることをそのままに書き進めようと思い、筆を取った。
・・・
・・・
由への手紙は書き終えた。
...この涙は誰の為に流している涙だろう
....自分の境遇を悲しんで泣く涙では無いように願う
...もしそうなら自分が哀れ過ぎる
...哀しいのは、まだ何処かであの男を愛しているからかもしれない。
生涯でたった一人、好きになった人。
陶は、手紙に落ちた涙の雫をそっと拭きとった。




