ep.10 手紙
よしさま
あなたにはどんな風に伝えたら、良いかしら
手紙を書くのは慣れているほうだと思うけど、あなたに手紙を書くのは初めてだから、緊張するわ
おそらくあなたがこの手紙を読む頃には、私はこの世にいないでしょう
その時、少しは悲しんでくれるかしら
あなたに泣いて欲しいと言ってるわけじゃないのよ
ただ、ほんの少しでいいから誰かに私がこの世に生きていた事を心に留めていて欲しい
それだけだから
こんなちっぽけな存在の私でも、この世に生きていたことを誰かに覚えていて欲しい
誰からも忘れ去られてしまう
それがとても怖いの
あなたがこの家にやってきた頃は、私の具合が急に悪くなった時と重なってしまったから
あなたには随分と苦労をかけたわ
家の内向きの仕事を任せきりで、まだ家に慣れてないのに大変な思いをしたでしょう
ついついあなたに甘えてしまったの、許してね
あなたが来た時は、私の体はもうダメだったけど、幼い頃は元気いっぱいで奉公人の子達と山を駆け回って柿をとったり、いつも泥だらけで帰って来て母に叱られたりしてたわ
かなり御転婆な娘だったのよ、あなたには信じられないかもしれないけど
あまりにやんちゃなものだから、父も母も嫁ぎ先で嫁の仕事が務まるような慎み深い女性になれるのかと、心配していたものよ
私が男に生まれてたら、そんな心配なんて必要なかったのにね
もっと自由で、もっと縛られずに生きられたらと思った
これがお嫁入り前の最後の旅と、十五歳の時にお伊勢参りに連れて行ってもらったの
その道中で助五郎に出会った
旅先でのトラブルを解決してくれて、一緒に居るうちに父も私もすっかりあの男を信用するようになって、そのまま町に連れて来てしまった
初めて人を好きになったの
いま思えば、すべてあの男の狙い通りだったと分かるけど、夢中になっていた私には何も見えなかった
多の屋を手伝うようになった助五郎は、父に誠実に仕えて、仕事熱心で商いを懸命に覚えているように見えた
助五郎が多の屋の養子になると言って私が求婚を受け入れた時、それを知った父のあの大喜びした顔は今でも忘れられないわ
一人娘を外に出す寂しさから解放されて、あまり助五郎のことを良く思っていなかった母も喜んでくれた
私も好きな人と結ばれて、老いていく両親の支えになりながら生まれた家で生きていける幸せで、言葉にできないくらい嬉しかった
結婚してから、家の内向きの事は私が、外向きの事は助五郎がして、店の業績も右肩上がりに伸びて、和久家のお役人様だけではなく尾張家の方々にまで認知してもらえるような家になった
子供はできなかったけど、幸せだったわ
夫婦仲も最初は良くてね、助五郎は私たち家族に献身的に尽くしてくれた
本当に幸せだったわ
それから何年か経って、町に悪い噂が流れるようになったの
賭博があるとか誰かが居なくなったとか、私は理解できなくて助五郎に話したけど、気にする事は無いと言われるだけ
でも私はどうしても納得がいかなかったから、父のツテを頼って、江戸からそういうことを調べるのが得意な人を寄越してもらった
その人の名前は伏せておくわ、あなたは知らないほうがきっと幸せだと思うから
それから父が急に亡くなり母も後を追うように亡くなって、重なるように私も体の具合も悪くなって、寝込むことが多くなったの
あれだけ元気だった私が、日に日に起き上がる事さえ億劫になって
お医者様も不思議がって、原因は分からないとおっしゃっていたわ
私達は店に来るお客様や奉公人の手前、上辺だけ仲の良い夫婦を装っていたけど、本当はお互い顔を会わす事すら難しくなって
その頃、助五郎が呼び寄せた人相の悪い人たちが多の屋に集まって来て、頼りしていた奉公人が理不尽に辞めさせられたりするのを止められなくなっていたわ
みんな黙っていたけれど、裏では夜な夜な賭博の場が開かれているとか、女性が囚われて売られているとか、それが誰の仕業なのか、町の人達は誰も言わないけど薄々知ってたんじゃないかと思う
私は助五郎ときちんと話をしたくて、でもあの男は私に会うのを嫌がって逃げ回って
落ち着いたら話すからと、そんな気もないのに返事だけが人を介して戻ってくる
本当はそんな辛い毎日だった
そんな中で、あなたが居たことは私の唯一の救いだった
話し相手が居て、あなたは遠慮していたけど一緒に食事もしてもらって
一人で取る味気ない食事の虚しさから解放された
嬉しかったの
あなたが来る前の日々は退屈でしかなかったから
あなたが助五郎に酷いことをされて何日か経って、私はその事を知ったけど
私は怒りも心の痛みも感じなかった
ごめんなさい、なんて謝れば良いのかわからないわ、ただあなたに申し訳なくて
ごめんなさい
私の毎日に張りを与えてくれた、有難くて優しいあなたが、苦しんでいたことを想像できたはずなのに、何も感じない
私の病が治ることはなく私の命はもう長くないと気付いた日から、私は死ぬ日を待っていた
この酷い生きる苦痛から逃れるのは、死しかないと思ったから
でも私は気付いたの
全てを諦めて死を待っている私は、もう死んでるのと同じだって
そんな人が誰かの痛みなんて、感じられるはずないわ
でも、あなたに子供が出来たことを知って、私のなかで生きる希望が見つかった
何かを、この世に生きている間にしておきたい
あなたとあなたの子供が生きていくこの世に、私ができる限りのことをしておきたい
きっと、それが私がまだ生かされてる理由だから
あなたにこの手紙を、私は渡せてるかしら?
それが出来てたら、私を褒めてね
この手紙が渡せてるなら、もう一つ封書を渡せているはず
それは御上へ上申するつもりだった嘆願書
内容をあなたが知る必要はないわ、こんな事に巻き込みたくない
子供は生まれた?
元気な子供かしら
あなたはその子に、なんて名前をつけたの?
私が知ることはきっと無いわね
あなたに話したことがあったかしら
昔、私が母に貰ったお人形につけていた名前のこと
どうして、その名前にしたのか忘れてしまったけれど
いつの間にか無くしてしまって、子供心にとても辛かったのを覚えてる
だからいつか私が子供を授かって、もし娘だったらその名前にすることだけは決めていたの
結局、私には叶わない夢だったけど
たえ
生まれてきてくれたら、どんな母親よりも甘やかして育てる
そう思ってた
さようなら
今日まで、本当にありがとう
あなたは
絶対に幸せになるのよ




