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座頭の石 (ざとうのいし)  作者: とおのかげふみ
第一章
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第一章ep.3 助五郎《スケゴロウ》と石《いし》

助五郎は石から一二歩後(いちにほ、あと)ずさる。


石が吹かした煙草の煙は、助五郎の顔をかすめて空へ消えた。吹かす(たび)に、まるで狙ったように煙は助五郎めがけて向かって行く。助五郎は煙を()けながら、険しい顔で石を見る。


「なあ御主人、(それ)、わしは煙草が嫌いでな。吸うのを()めてくれないか?」


...もっと言ってほしいな、嫌いじゃなくて体に悪いからって止めろって言ってくれないかしら..。


煙草を止めろという助五郎の言葉に、弦は同調した。周囲の者達は助五郎の怒りを感じて生唾(なまつば)を飲むくらいに緊張してきたが、弦は平静そのもの。


石は()める気配がない。まだ煙草をくゆらせている。近寄り過ぎた助五郎を自分から遠ざけることは出来たが、そこまでが限界らしい。煙程度では此処(ここ)から追い払うのは無理なようだ。


「聞こえてるか?そこの・・。煙草を()めろと言ってるんだが聞こえないのか?」


周囲は静まり返っている。石は煙管(キセル)の灰をコンコンと叩き落とすと、またタネを詰め直しながら口を開く。


「どこのどなたか存じませんが、御主人ってのはこそばゆい話じゃありませんか?あしは、御主人と呼ばれるようなものでは御座いません」


「じゃあ、あんたはなんだ?この娘の主人じゃないのか?」


石はその言葉に(ワラ)いながら、チガウチガウと片手を振る。


「旦那は、妻は夫に(つか)えるもの、そうお望みかもしれませんがね。あしは常々、妻とは助けあいながら暮らしてまして、旦那にとっちゃ女は見下す相手かも知れませんが、あしにはカミさんですよ。一緒にされちゃあ迷惑千万(めいわくせんばん)で御座んす」


助五郎の言う『主人』の言葉にそれほど深い意味など有りもしないと分かっているが、なぜか反論したくなる。ここは、上手くやり過ごすのがベストだと分かっているが、自分を止めらなかった。


...こりゃこの世に生まれ落ちて、最悪の相性の相手のようだ...。


見なくても分かるようだ、助五郎から熱気が伝わって来る。相当怒りを買ったらしい。


...爆発すりゃあ、山一つ吹っ飛びそうだな...。


杖を持つ石の手に力が入る。


「てめえ、誰にモノを言ってるのか分かってるのか?」


野太い声と共に、石と助五郎の間にヌッと割って入る、身の丈、六尺(約182㎝)の大男。この時代の平均身長が155㎝前後だから現代でいえば2m近い身長に感じられるだろう。


肩幅広く肉厚もあり、熊のような体つきで目の前に立たれると視界が男の体で覆われてしまうほどだ。


男は腰掛けに座る石の前で、四股(しこ)を踏む力士のように中腰になって構えると顔をズッ!と前に出し、真っ正面から石を睨みつける。並みの人間なら震えあがってしまうだろう。


男は目を伏せている石が(おび)えていると思ったのだろう。ほくそ笑み首を回すと、同じく腰掛けに座る弦を見た。


.. イイ女だ。あとが楽しみだ…。


(おんな)を自分の寝床(ねどこ)に連れ込んだ後のことを想像して一人興奮する。アドレナリンが全身に駆け巡って来て、男は前に向き直った。


「偉そうに能書(のうが)き垂れてんじゃねえぞバカヤロウ。旦那が困ってらっしゃるじゃねえか、ああ!バカには考える力がねえのか?おい!」


と、ブチギレる男の名は、鬼造(オニゾウ)という。


大八車を囲む男達がニヤニヤと(ワラ)っている。相手は可哀想だが鬼造(オニゾウ)が本気になれば、もう終わり。狙われた奴が、這いつくばって頭を下げ「殺されないでくれ」と懇願(こんがん)する姿を何度見てきたことか。


ただ石はさほど気にする様子もない。見えて無いという事もあるかもしれないが...


... こいつの吐く息は(ひど)(にお)うな、近づいてもらいたくねえんだがなあ...。


息がかかるほど、石は顔を近づけてくる鬼造に閉口(へいこう)した。


...ヤレヤレ、どうしたものかね...。


まわりからみれば人喰い熊の前の衰えた獲物。いつ食い殺されてもおかしくないよう見えるが、獲物は呑気に煙草を吹かしている。あまりにも自分の置かれた状況を把握してない石の様子に、ニヤついていた男達も表情を変える。


... こいつは、(おつむ)が足りてない、可哀想なバカなんだ...。


助五郎が連れて来た連中は、石を哀れむ目で見ている。


..このままでは、鬼造が石さんを殺してしまう...


鬼造が暴れるところを何度も見た事がある(よし)は、気が気じゃなかった。鬼造を止めることが出来るのは助五郎しかいないが、助五郎と関わり合いになりたくない自分が心のなか居て、由のなかで葛藤(かっとう)していた。


しかし、このまま放置(ほお)っておくわけにはいかない。...助五郎と話すのは気が重いが、なんの罪もない旅人を見殺しにする事はできなかった。


由は一歩前に踏み出した。その腕を(つる)が腕を伸ばして掴む。


由は振り返り弦を見る。弦は(たえ)を手元に引き寄せ腕に抱えながら、視線を鬼造の背中に向けていた。いや向けているように見えたが、よく見ると鬼造の巨漢のせいで姿が隠れている、その向こう側の石を見ていた。


弦は、顔を石に向けたまま由にだけ聞こえるようにささやく。


「他の方は分かりませんが、いっさんは大丈夫です。こんな人達には負けませんから」


(よし)鬼造(オニゾウ)を知らない(つる)に、鬼造の恐ろしさを伝えようと口を開いたが、言葉は出て来なかった。


由の目に映る弦は、いまの状況に全く不安も感じてないようだ。さっきまでお互いに笑い合って話していた弦となにも変わらない。その落ち着いた表情を見てると不思議なことに、由の心も落ち着いてきた。


だが、状況は好転したわけでもない。どちらかといえば悪くなる一方だ。


鬼造は(しび)れを切らし、石の口から煙管(キセル)を奪い取ろうと手を伸ばす。石はその手を掴むと、くいっと引いた。


ドスン!


鬼造がバランスを崩し地面に両膝をついた。勢いで両手を地面につき四つん()いになった鬼造の首根っこを、石は手に持っていた杖で抑えた。それだけで鬼造の動きがピタリと止まり、全く動かなくなった。


(はた)からは、鬼造の首筋に持っている杖をただ当てただけのように見える。だが、地面に四つん這いの鬼造は顔を真っ赤にして、額からダラダラと大量の汗をかいていた。


いま鬼造は巨大な岩を乗せられ身動きできなくなった孫悟空のように、身動きひとつする事も出来ずにいる。


..なんだ、どうなってる?


今日まで(おのれ)の力に絶対的な自信を持ってきた鬼造。自分が誰かに力で抑えつけられるなど信じられない。それも、こんなしょぼくれた生きてるだけのおやじに。


このおやじに(うらや)む所を探せと言うなら、若い女を妻にしてることだけ。大八車を囲む連中の中から飛び出すまでの鬼造は、腰掛けに座るその妻と言う器量良しの女を妄想で上から下まで舐めまわしていた。


...そろそろ行くか。


と、大八車(だいはちぐるま)を囲む集団から意気揚々(いきようよう)と出て来たのも、夫だというこのおやじを脅して女を()ってやろう。遊び感覚のゲームに過ぎなかった。


...すんなり女房を差し出せば一発平手打ち。抵抗すれば半殺し。


自分の熊みたいな(てのひら)で殴ればそれだけで大怪我だろうが、興味があるのは女で、おやじなんかどうでもいい。ただのお遊び、まさか自分がこんな事になるとは考えもしてなかった。


鬼造はいま、両手両膝を地面についておやじの前で土下座させられ藻掻(もが)き苦しんでいる。仲間の前で(さら)醜態(しゅうたい)に、恥ずかしさと(あせ)りの混ざった汗が止まることなくドクドクと噴き出していた。


...おいおい、汗も臭うのか、勘弁してくれ...。


もう二週間はまともに風呂に入ってない鬼造のヘドロのような汗が地面に(したたり)り落ちると、耳だけじゃなく臭いにも人一倍(ひといちばい)デリケートな石は閉口する。そんな事は知りもしない鬼造は足掻(あが)くたびにヘドロ臭を発する汗を落とし、地面にその汗溜まりが広がる。


...クソ跳ね返せねえ!、なぜだ?俺は力じゃ負けねえ! 跳ね返せ!俺に恥をかかせたことを、このおやじに後悔させてやる!‼


だが、自分を奮い立たせる心の声と体は裏腹(うらはら)で、石に抑えられた体はまったく動かなかった。



いまでこそ鬼造は、この山の中の小さな宿場町(しゅくばまち)子毛(こげ)で、助五郎に買われて用心棒(ようじんぼう)のような仕事をしているが、昔は将来を有望視(ゆうぼうし)された江戸で名の知れた力士だった。


その頃の鬼造は、圧倒的な力相撲で負けなしの連勝を続け、将来は大関も夢ではないと期待されていた順風満帆(じゅんぷうまんぱん)な人生。それがある日の稽古で、師匠から「天狗になってる」と、酷く叱責(しっせき)されたことで人生がガラリと変わる。


弟弟子(おとうとでし)達が見ている前で恥を欠かされたことを根に持った鬼造は、師匠が愛妾(めかけ)の家から帰る所を待ち伏せ、物盗(ものとり)(強盗)と見せかけて痛めつけるつもりが、力を加減できず殺してしまう。


それからしばらく捕まるのではないかと震えていたが、事件は物盗の仕業(しわざ)で処理された。うまく逃げ切れ安堵して気が大きくなった鬼造は、師匠の愛妾宅を襲撃し、愛妾(めかけ)を力で押さえつけ暴行する。何度も関係を強要して愛妾がもう自分の女になったと勘違いした鬼造は、寝床で自分が師匠を殺害したことをぶちまけた。


愛妾(めかけ)から奉行所へその話が伝わり、バレた事に気付いた鬼造は指名手配のなかを搔い潜り命からがら江戸を脱出して、子毛(こげ)まで流れて来た。


だが子毛でも鬼造は、おとなしくなることはなかった。五人相手の喧嘩(ケンカ)で助五郎の子分を半殺しにしてしまう。普通なら助五郎に殺されても仕方ないところだったが、その粗暴(そぼう)な性格と掴んだだけで相手の腕をへし折るような怪力を助五郎に気に入られ、用心棒として雇われた。


だがその尋常ではない怪力も今はなんの役にも立っていない。石の足下(あしもと)で自分の巨体(からだ)が潰れないようただ耐えている。鬼造も助五郎も大八車を囲む仲間も、鬼造の暴力の凄まじさを知る者たちは、この状況が何が起きてるのか分からず唖然としていた。


石は鬼造の様子など気に留めてないようで、()いている手でまた煙管(キセル)の灰を叩き落とした。その灰は、地面に手をついている鬼造の手の(こう)にポトリと落ちた。


「ウ,ガ%ゲガガ$ガ グガ!」


鬼造が言葉にならない悲鳴を上げる。手の甲に乗った灰が(くすぶ)る火種となり鬼造の手の皮膚を焼く。それでも鬼造は地面についた手を動かすことができず(うめ)くしかない。


石は片手だけで器用に煙管(キセル)にタネを詰め、火打ち石を腰掛けで擦り火をつけると、また煙草を吸い始めた。


吹かす煙が、ぷかり‥ゆらゆら、と輪っかになって宙を漂う。その煙の輪は、助五郎の頭の上で一瞬留まり、助五郎をあの世に旅立つ死者のように見せた。



「いい加減にしろ!鬼。てめぇは何やってんだ、面倒かけやがって... 」


大八車(だいはちくるま)を囲む()から、スラリとした体躯(たいく)で紫の着流(きなが)しに、長ドスを手に持った男が現れた。着物からはだけた胸を掻きながら、急ぎもせず、だらだらと鬼造と石に向かって来る。


「ア、アニキ...」


「バカな義兄弟(おとうと)を持つと苦労するわ、...そこのお前、俺が相手だ。長ドス(コイツ)でぶった斬ったるわ」


目の()わった男は、長ドスを真一文字(まいちもんじ)に持つと、両腕に力を込めた。

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