ep.2 水茶屋
関所を抜けると、道は険しい登り坂となった。未の刻に入り、陽光が最も高く、容赦なく二人を照りつけている。いつもは道中の景色について陽気に話す弦の、口数がみるみるうちに減っていく。
息は荒く歩くのはやっとのはずなのに、それでも弱音は決して吐かない。歩幅が違う石に、懸命に足並みを揃えようとしていた。
…険しい山道を歩いて来たから疲れてるだろう。早く休ませてやりたい
石は、弦の疲れを感じ焦っていた。少し歩く速度を落として、近くに身を寄せると弦の背中に腕を回して華奢な身体を支えた。
弦の小さな手が触れたので、その手をギュッと握りしめる。いまの石には、それくらいしか彼女にしてやれることがない。
弦は石を見上げ、か弱い笑みを浮かべた。
鼻をスンとする、風が甘い匂いを運んで来た。街道沿いに、一軒の水茶屋が建っている。
石は弦を支えながら歩き、水茶屋へとたどり着いた。
「店の人、悪いが水を一杯もらえねえだろうか?」
腰掛けに弦を座らせ、石は店の奥に向かって呼びかけた。
奥から人の気配がした。もう一度、石は声をかける。
弦の身体が、その間に小刻みに震えだした。
…何か弦の身体に異変が起きている
それを感じても、石には理由が分からない。店の奥に向かい、大声で叫んだ。
「一杯でいいんだ、金は払う。急いでるんだ、水をくれ」
すると、奥から女性が表に顔を出した。女性は、腰掛けに座り震える弦の様子を見ると、すぐに奥に引っ込む。
石が怒って、店の中に入ろうとした。それを、弦が震える手で押し留める。驚くほど手が冷たい。
「私は..... だ、だいじょうぶ ですから」
石は焦りを隠し拳を握りしめ、じっと我慢した。
すぐに女性は、店の奥から現れた。
手に持ったお盆には、ぬるめの水と温かいお茶の入った茶碗をのせている。
薄手の蒼い木綿の着物に、白いたすきを掛け、揃いの前掛けを締めた、切れ長の目をした気の強そうな女性は、腰掛けにそのお盆を置く。そして、弦のそばに屈み、震える弦の背中を優しく擦り「大丈夫」と声をかけた。
女性は、ぬるめの水が入った茶碗を手に取ると、弦に握らせるように渡す。
「冷たいものをいきなり飲むと体がびっくりするから、ぬるい水から飲んで」
弦は、ゆっくりとその水を飲み干した。
「あ、ありがとうございます」
弦は水を飲んで、少し落ち着いたようだ。だが身体はまだ震えていた。
女性は、弦からぬるい水の入っていた茶碗を受け取って、次は温かいお茶の入った茶碗を渡した。器の温もりを感じながら、弦は口に運んだ。
弦の身体の震えが小さくなっていく。
「中暑(熱中症)で倒れる寸前だったね。もう少しで危ない所だったよ、ずいぶん我慢してここまで来たんだね」
女性は、弦の背中をさすりながら、穏やかな表情で声をかけている。
「姉さん、すまねえ」
「それは、あたしじゃなくこの娘に言うセリフじゃないかしら」
女性は、弦の震えが収まってきたのを確認すると立ち上がった。
「ありがとう、み、水の代金はいま払うから……」
石が慌てて、財布代わりの巾着袋に手を入れた。
「馬鹿なこと言わないで。具合の悪い旅人相手に、水一杯で代金を取ったりしないわよ!」
女性はそう言い放つと、怒って、お盆と茶碗を持って店の奥に下がっていった。
石は項垂れて、情け無い顔で、ただ弦の傍らに立つ。弦のそばに居ながら、何も出来なかった自分の不甲斐なさを恥じ、店の女性にも叱られて、自分の浅はかさを恥じる。
…あしは、何にも出来ねえ木偶の坊だ。情けねえ
弦は、落ち込む石を見上げて言った。
「気にしないで、もう随分と楽になりましたから」
そして、しょげている石の手を取った。
石の胸には、まだ少し震える弦の声が突き刺さった。黙って頷いて、弦の手を握り返す。
今の石が精一杯できることは、それだけしかなかった。




