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座頭の石 (ざとうのいし)  作者: とおのかげふみ
第三章

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第三章ep.4 錫《すず》

【仁義‐じんぎ】


「来たな、お前は約束を守る男だと思っていた、わしの目に狂いはなかったな」


部屋に顔を見せた助五郎(スケゴロウ)は、開口一番、(いし)にそう話しかけた。


「オジキ、この目暗(めくら)を連れて来るのには苦労したぜ。こいつは、来た途端に町中をうろついて、まったく話しになんねえんだよ」


「そうか、八助(ハチ)もご苦労だったな」


「へへ、」と、嬉しそうに八助(ハチスケ)が首筋に手をあてる。


助五郎(スケゴロウ)は、悠々(ゆうゆう)と歩いて、(いし)八助(ハチスケ)の前を通り首座(しゅざ)に座った。


手枕(てまくら)を引き寄せ腕を乗せると、(いし)を真っ直ぐ見据える。


「さて、ようやく聞かせてもらえるかな、お前の名前を」


「へえ、・・・あしの名は、」


「おっと、待ってくれ」


意地になって言わなかっただけで、たいした名前でもない。(いし)が名乗ろうとすると、助五郎(スケゴロウ)が手で制した。


...?


「これだけ時間をかけさせられたんだ。普通に挨拶されたんじゃ面白くねえ。・・・そうだな、渡世(とせい)仁義(じんぎ)でも切ってもらうことにするか? 口上(こうじょう)を聞かせてくれよ」


...はあ? ・・・家に招き入れて仁義を切るなんて聞いたことがねえ。こりゃ昼間の腹いせじゃねえか


(いし)は、イライラを抑えるために、 ふう と静かに息を吐いた。そして、ゆっくりと大きく吸って気持ちを落ち着ける。


...あーぁ、だ


「分かりました。では、改めまして、・・・」


石は、姿勢を正し座り直した。


「このたびのお出迎え、親分さまのご配慮いたみ入ります。玄関口を(また)ぎ入ったご挨拶となり、しきたりの順序を、(ちが)えた事の無礼を、お許し頂きたく存じます」


御無礼(ごぶれい)を承知の上で、親分さまにもご納得頂いたということ。これより、この場に(えん)あってお集まりの皆さま、この不肖(ふしょう)の流れ者が、御挨拶をさせて頂きます。お控えなすって」


(いし)は左手を膝に、右手の(ひら)を見せるように前へと突き出した。手の先の助五郎(スケゴロウ)は、手枕に体を預けたまま。・・・ニヤリと笑う。


助五郎(スケゴロウ)一家の、ここにいる唯一の若衆(わかしゅう)八助(ハチスケ)は、初めて見る口上に、口をあんぐり開けて目を見開いてる。


...あーぁ、だ。受ける相手もねえってのに、誰に仁義を切るっていうんだ


と思うが、ここでトラブルを起こすわけにはいかず、グッと(こら)えて、仁義もクソもない、ひとり口上を続ける。


「早速のお控え、有難うございます。粗忽者(そこつもの)ゆえ、前後のこと間違いましたる(せつ)は、ご容赦願います。()()の親分さんには、初お目見えと心得(こころえ)口上させて頂きたく存じます」


「手前、生国(しょううこく)と呼べる国はなく、産まれ落ちて間もなく里子(さとご)に出され、物心(ものごころ)ついた時は筑前(ちくぜん)(福岡県地方)にて、潮風の香りを嗅いで育ち、引き取った養父母が付けられた名を、(いし)と申します」


当道座(とうどうざ)に寄り、『座頭(ざとう)』の()を得たことにより、座頭の(いし)。そう呼ぶ者もおりますが、産まれ落ちてのただの(いし)っころ、親分、子分さまには、(いし)と呼んで頂きたく存じます」


「育ての親はこの世になく、死に水をとり、九州を後にして山陽道(さんようどう)を、風の吹くまま気の向くまま、空を屋根、草を枕にと旅を続けて参りますれば、これと定める家業なし」


浮世(うきよ)から渡世(とせい)までを、ふらふらと行き帰る、浮世(うきよ)のはぐれ者に御座います。御当家の皆様には、しばらくの間のお目汚(めよご)しとなりますが、万事万端(ばんじばんたん)何卒(なにとぞ)、宜しくお願い申し上げます」


(いし)は一通りの口上を述べると、助五郎(スケゴロウ)が返すのを待った。


ばちばちぱちぱち!


目の前で、(いし)の口上を称えるように、助五郎(スケゴロウ)は手を叩いて喜んだ。


...拍手じゃねえんだよ。口上を引き取らねえのか? これじゃただの見世物(みせもの)


(いし)は、拳を握りしめた。


隣には、まだ口をあんぐり開けたまま、珍種の生き物を見るような顔で、(いし)を見ている八助(ハチスケ)がいる。


「いまでは、こんな口上をなかなか聞けなくなったな。それだけじゃねえ」


助五郎(スケゴロウ)は、最近の若い奴は礼儀を知らねえと、あれやこれやと例を上げて、(なげ)いた。


「わしのことは親分じゃなく、多の屋か町代(まちだい)と呼んでくれ。わしが八九三(ヤクザ)だと勘違いしとる奴もいるが、とっくの昔に引退した身だ。ただ、わしを(した)って、昔の手下が集まって来るものでな、それで面倒をみとるだけだ。もう、ただの堅気(かたぎ)の商売人だ」


助五郎(スケゴロウ)が笑顔で言い、(いし)は黙って(うなず)いた。


「そうだ、ちょいと小耳に挟んだ(うわさ)なんだが聞いてくれるか?」


「どんな噂でしょう?」


助五郎(スケゴロウ)が身を乗り出してくる。


「実は、畿内(きない)(京都中心の関西地方)あたりで、"カタテ"を使う兇状(きょうじょう)持ちがいるという噂を聞いたんだが、それが、滅法(めっぽう)腕が立つ男らしい。(いし)、お前は旅先でそんな話を聞いたことがないか?」


「さあ、・・・お役目にあぶれて金に困った(さむらい)でもが、ヤケになって暴れたんでしょうかね? あしはそんな話を耳にしたことがございませんが」


(いし)は、何食わぬ顔で話に耳を(かたむ)けるが、助五郎(スケゴロウ)は、その顔色の変化を(うかが)っている。


「それがな、・・・どうやら、そいつは目が見えねぇって噂があるんだ」


(いし)は、(わら)った。


「ご冗談を、目が見えねぇのに刀を振り回すなんぞしてたら、いずれ自分の腕を斬り落とすのがオチですよ。多の屋の旦那もお人が悪い。そんな話、今まで耳にしたことありません。揶揄(からか)うのは、よして下さい」


「まぁ、確かにそうなんだがな」


その言葉に納得しつつも、まだ凶状(きょうじょう)持ちの"カタテ"使いの話を、助五郎(スケゴロウ)は信じてるようだ。


...これは何の話だ?


(いし)は、助五郎(スケゴロウ)の真意を量る。


パチン と助五郎(スケゴロウ)は自分の首すじを平手で叩き、話し始めた。


「いや、子毛(こげ)に、新しい村が増えることになってな。それまでは、こんな山ん中のちっぽけな宿場町、誰も見向きもしなかったんだが、ふたつ合わせて総家(そうか)で百十(けん)、延べで五百人以上が住むとなれば、数で言えば、あの箱根の宿(しゅく)の半分だ。これだけの規模になれば、周辺から()からぬ輩がやってくる。其奴(そいつ)らを、わしらだけで追い払わなきゃならない」


助五郎(スケゴロウ)は、顔を寄せて来た。


「もし荒事(あらごと)になったときのために、用心棒が必要だ。腕の立つ奴が欲しい。一人で、十ニ分の働きをしてくれるような奴なら、尚更(なおさら)だ。こんな山の中まで噂が届くような奴なら、相当の腕だろう。いくら(カネ)を積んでも惜しくない。そう思ってるんだかな」


(いし)は黙って(うつむ)くのみ。助五郎(スケゴロウ)は目線を落とし、(いし)の腰に差してるものを見る。


「そいつは、長さ1(しゃく)8(すん)(約54㎝)の刀で、暗殺もやるって話だそうだが、おまえが腰に差してるのは、・・・煙草、だな」


(いし)は、(おもて)を上げて苦笑いした。


「ご冗談を。あしも若え頃は、渡世(とせい)青二歳(あおにさい)にありがちな怖いもの知らずの大馬鹿野郎で、裏界隈(うらかいわい)を我が世の春と、偉そうに風切って歩いた事もありました。ですが、上には上がいるもので、それが身に染みました。もうあんな怖い思いはこりごりです」


助五郎(スケゴロウ)は更にズイッと、(いし)に顔を近づけた。


「だがな、鬼造(オニゾウ)を杖ひとつで抑えつけるなんてありゃ普通じゃない。あれを見れば期待もする。どうだ、親子とは言わん、俺と客分の(さかずき)を交わす気はないか?」


(いし)は顔を背けて、困ったように首に手を当てた。


「あしは、とうの昔に足を洗い、いまは、すっかり堅気(かたぎ)の暮らしに慣れて、もう荒事(あらごと)にはお役に立ちやしません」


「そうか?」


意外に、助五郎(スケゴロウ)は簡単に引き下がった。


それから、思い出すように昔話を語り始めた。いつしか"カタテ"使いの話は、隅に追いやられていった。


しばらくは、助五郎(スケゴロウ)のひとり語りが続く。その間、(いし)は愛想笑いを浮かべ、ときどき相槌(あいづち)を打ちながら話を聞いた。


自分が若い頃に経験したこと、くぐり抜けた修羅場、武勇伝を一通り語り終えると、助五郎(スケゴロウ)は酒と(さかな)を運ばせるよう、八助(ハチスケ)を使いに走らせた。


八助(ハチスケ)が部屋を出て、渡り廊下から消える。その後、二人きりになると、助五郎(スケゴロウ)は独り言のようにつぶやいた。


(いし)、おまえがその"カタテ"使いと違うのか?」


(いし)は、知らぬ顔で、ばさばさと木々を鳴らす庭を通り過ぎる風の音に、耳を()ませていた。





【錫‐すず】


御膳(おぜん)に乗せた酒とつまみが運ばれてきて、一緒に八助(ハチスケ)が部屋へと戻ってきた。些細(ささい)(うたげ)は進み、手酌(てじゃく)で飲んでいた酒が回ったのか、八助(ハチスケ)が気になっていたことを助五郎(スケゴロウ)に聞いた。


「オジキ、その"カタテ"ってのは、どんなモンすかね?」


「お前みたいな若い奴は知らんかもしれんな、"カタテ"ってのは、これよ」


助五郎(スケゴロウ)は、(ぜん)の上の(はし)を取り小脇(こわき)に抱えると、箸を刀に見立てて抜き、八の字を書くように回して、(さや)に収めるように、また小脇に戻した。


居合(いあ)い抜きよ」


そう言うと、箸を置き、銚子(ちょうし)に持ち換えて(いし)に酒を勧める。


...こりゃ酔えねぇな


久方ぶりの酒なのにもったいねぇと、(いし)は心の中で舌打ちした。助五郎(スケゴロウ)がすすめる酒を、両手に持った(さかずき)で受けて、注がれた酒をぐいぃっと一気に呑み干す。


...でも、やっぱり酒は美味(うめ)えな


警戒するのを一瞬忘れ、何日かぶりに(のど)を通る酒の味を楽しむ。


「朝夕の飯は出す。普段は、何処(どこ)にいようと構わねえ、好きにすれば良い。うちは、腕の立つ奴が他にも居るが、そいつは気ままにやってる。こっちが頼んだ仕事さえしてくれれば問題ない。どうだ、日割りで(カネ)も出すぞ」


酔いが回り、赤くなった顔で助五郎(スケゴロウ)が誘う。


「いやいや、あしなんて、とてもとても」


...もとから厄介(やっかい)になるつもりはねえが、住処(すみか)(カネ)まで世話されりゃ恩を返さないわけにはいかない。そうなりゃ、どんな汚え仕事をさせられるか分かったもんじゃねえ


助五郎(スケゴロウ)は、何度もしつこく誘ってきたが、(いし)は、のらりくらりとかわし続けた。


そのうち、(いし)(さかずき)を持つ手も覚束(おぼつか)なくなるほど酔っ払ったので、この場はお開きとなった。


...やれやれ、やっと退散だ


(いし)は、腰を上げようしたが、助五郎(スケゴロウ)執拗(しつよう)だった。


「そんなに酔ってるなら、野犬がうろつく夜道を返すわけにはいかねえだろう。心配するな、部屋は用意してあるから泊って行け。朝飯を食った後で、誰かに宿まで送らせる」


助五郎(スケゴロウ)は、用意した部屋に案内するようにと八助(ハチスケ)に言いつけて、部屋を出て行った。最初から、(いし)を帰さないつもりだったのだろう。


残された(いし)八助(ハチスケ)。だが、八助(ハチスケ)は酔い潰れる寸前、座っているのもやっとで、立ち上がるとふらふらと、座り込んだ。


それでも、助五郎(スケゴロウ)の言いつけに逆らえるはずが無く、立ちあがろうとするが、やはり、ふらふらと倒れ込んだ。ついに八助(ハチスケ)は、起き上がるのが面倒になり、声の限りを振り絞って叫んだ。


「誰かあ! らんの部屋・・・来いぃ!」


しばらくすると声を聞いた、奉公人(ほうこうにん)がやって来た。


「その めくらぁ、はや(部屋)につれて(い)け」


八助(ハチスケ)は、そう言葉を振り絞ると、部屋にすっ転びイビキをかきはじめた。


(いし)はスッと立ちあがり、部屋の入り口に居た奉公人に尋ねた。


(わり)いが、飲み過ぎて腹が(いて)え、(くだ)しそうだ。(かわや)(トイレ)がどこか教えてくれ」


「こちらです」


(すず)の声がした。


(すず)の小さな手が、(いし)のゴツい腕を掴み、(かわや)まで連れて行こうとしている。連れられて歩きながら、(いし)は困った。


...参ったな。さっきのお嬢ちゃんか


このままだと、この子が叱られてしまう、と考えているうちに、(かわや)にたどり着いてしまった。


「お嬢ちゃん。あしは目が見えねえから、一人じゃ便所(べんじょ)(トイレ)の穴に落ちちまう。八助(ハチスケ)を呼んで来てくれねえかな」


「あたしが支えます。どうぞおつかまり下さい」


(いし)の脇の下にもぐりこみ、体を支えようとする(すず)。体重をかければ、潰れそうな小さな体だ。


(いし)は慌てた。


...ああ畜生(ちくしょう)、仕方ねぇ


「おい!八助(ハチスケ)、あしはこんなとこじゃクソも出来ねぇ、外でしちまうぞ! そんで、そのまま逃げちまうからな!!」


ビクッ! として目を丸くする(すず)を無視して大声を張り上げる。


...どうせ屋敷の最奥、住人から見放されたような場所だ、助五郎(スケゴロウ)には聞こえやしまい


しばらくするとドタドタと足音がして、寝ぼけ(まなこ)に赤ら顔の八助(ハチスケ)が息を切らして現れた。


「この糞野郎(クソヤロウ)!」


「ああ、たしかにこれからクソをするヤロウだよ、当たりだな。クソヤロウといえば、明日の朝、旦那に言っとかなきゃな、八助(ハチスケ)のクソヤロウが部屋に連れて行ってくれないから、便所の前で漏らしちゃったってな」


(いし)(ワラ)い、クククと肩を揺らす。脇の下の(すず)が、少し嫌そうな顔で(いし)を見上げた。


「コ&$#*P)&$ツはあぁぁぁ‼‼」


呂律(ろれつ)が回らない八助(ハチスケ)が、(いし)に殴りかかった。


(いし)は、(すず)をやさしく横に追いやると、ひょいと八助(ハチスケ)の拳を(かわ)して、そのまま便所に放り込み、戸をバタン! と閉めた。


「くぁー:っ#”%’’せ(ぇ(%ぁ}{」


便所の中で、(わめ)いている八助(ハチスケ)、穴に片足を落としたようだ。(いし)は出れないように、身体をもたせかけて閉じ込めた。


「お嬢ちゃん、もう行きな。できりゃあ、見なかったことにして貰いてえんだがなあ、まあどっちでもいいや」


へへへ、と嗤う(いし)八助(ハチスケ)が喚きながら叩く便所の戸の振動を身体で感じながら、これからどうするかと考えた。


...こっからどう逃げ出すか? それだけなんだがなあ。なにせ、初めて来た場所だ。ここが屋敷のどの辺りかも分からねえと来たもんだ、あーぁだ。


(いし)さんは、どうするんですか?」


...おい、まだ居たのか


「早く行きな、嬢ちゃん。お前さん、このままじゃ叱られるぞ」


さてと・・・。ふと視線を感じて顔を向けると、(すず)はまだそこにいる。


「どうした? 部屋にもどるのが怖えのか? あしは忙しいから一緒に行っては、やれねえんだ。大声で歌いながら帰れば気も(まぎ)れるさ。あしがここで聞いてるから、怖いもんなんてねえよ。元気に帰んな」


見上げる(すず)は、首を振った。


「おじさんが、八助(ハチスケ)を懲らしめてくれたから、ありがとうって言いたくて」


「ん? なんの事」


八助(ハチスケ)は、私に嫌なことを言うから、誰か懲らしめてと、ずっと願ってたから」


「・・・何を言われたんだ?」


(いし)は優しく尋ねた。(すず)は戸惑っていたが、


「わたしの体を触ってきて、『いつか俺が女にしてやるからな』って、意味はよく分からないけど、凄く嫌で・・・」


...この糞野郎


身体中の血が逆流してる気がした。もし、いま八助(ハチスケ)と対峙すれば、半殺しにするかもしれない。


その時、スゥスゥと便所の中から、子供のようなかわいい(いびき)が聞こえて来た。


...人を怪我させずに済んだ


野太い、ゴオゴオという(いびき)だったなら、厠から引きずり出して腕の一本でもへし折ったかもしれないが、可愛げのある(いびき)のおかげで、逆流しかかった血がスッと下がり、冷静になった。


「・・・寝たか。お嬢ちゃんには頼みたくなかったんだが仕方ねえ。この近くに外に出れるところがあるかな? ありゃ連れてって貰いてえんだが」


「どちらでもいいですか?」


「出口の大きさに文句は言わねえよ」


そう言って(いし)はニコリと笑った。



(すず)の小さな手に引かれ、雑草に囲まれた人気のない戸口へと歩く。


「ここなら、誰にも見つからずに外へ出れます」


「ありがてえ、世話になったな」


(いし)は戸口をくぐり、くるりと振り返った。


「戸を閉めたら、真っ直ぐ自分の部屋に帰るんだ。心配いらねえよ、八助(ハチスケ)は酔っぱらって覚えちゃいねえし、旦那に言いつけられたのは奴だ。お嬢ちゃんはなにも言わなくていいし、なにも言っちゃいけねえよ」


(いし)(ふところ)を探り、さっき出された酒のつまみのなかに、なぜかあった金平糖(こんぺいとう)(すず)に手渡した。


(よし)の家に戻って、(たえ)に渡そうと取って置いたものだった。


「あとで食べな」


(すず)は手に取った包みの中の金平糖(こんぺいとう)を嬉しそうに見つめ、大事に懐にしまった。(いし)が消えて、言われたように戸を閉めて歩き出そうとした(すず)は、


目の前に立つ男を見て息を呑んだ。


(すず)、どいてろ」


(すず)は金縛りにあったように一歩も動けない。目の前に立つ男、弥切(やキり)は、立ち尽くす(すず)を避けて、屋敷の外へ出る戸を開ける。その後ろから、数人の男たちが外へ出て行った。


「俺が出たら、戸を閉めとけ」


(すず)は、息をするのも忘れたように固まったままだ。恐怖でポロポロと目から涙がこぼれた。


フゥ・・・と弥切(やキり)がため息をついた。


「心配するな、俺とお前は共犯だ。俺はお前に出て行ったことを黙っていてほしい。お前はあの男を逃がしたことを黙ってほしい、そうだろ?」


弥切(やキり)が静かに話すと、(すず)はしゃくり上げながら大きく(うなず)いた。


「俺が、八助(ハチスケ)のことは上手く処理してやる。もう一度言うぞ、俺とお前は共犯だ。俺は約束を守る奴は必ず守る。いいな」


そう言って、弥切(やキり)は出て行った。(すず)は、閉められた戸口に近づき、(かんぬき)をかけた。


月明かりに照らされた(すず)のまぶたは、赤く()れ上がっていて、もう涙も枯れ果てていた。



...あの嬢ちゃん、正直に言わなきゃいいんだがな。子供が(つれ)え思いをするのは嫌なもんだ。正直者が馬鹿を見る世の中だ、たまには嘘を言ったっていいんだからな


屋敷の外に出て、(よし)の家へと戻る道すがら(すず)のことを考え、夜空に光る見えない星に語りかけた。


夜風が、酒で火照(ほて)った身体を冷やしていく。月が浮かんでいるようだ、まわりが少し暖かく感じる、煌々(こうこう)と輝いているのだろう。


...あーぁだ。


気がかりなことが思い出されて、少し気が滅入っていく。


...(つる)はまだ起きてるかな?


思うと身が震える。


...早く帰りゃ良かったなぁ、あしのせいじゃねえんだがよ


助五郎(スケゴロウ)のしつこさに閉口へいこうしながらも、久しぶりの酒が(うま)すぎて、つい時間を過ごしてしまった。


...(あいつ)は合理的な女だから、阿呆(あほう)みてえに、あしの帰りを待ったりせず早々に寝てるだろう・・・と思いてえとこなんだが、こんなに遅くなるなら、やっぱり一言「先に寝とけよ」と言っとくべきだったか? あーぁ、だ。()っかねえ


見えない夜空を頭に思い描きながら見上げる。冷たい夜風のおかげで、酔いはかなり冷めていた。


...これなら大丈夫だろう


もうすでに、棒鼻(ぼうばな)は過ぎていた。


...世話になる(よし)の家に、厄介(やっかい)なモンを連れて行くわけにはいかねえ


まわりは野っ原。道の途中で、(いし)は足を止めて振り返った。


「いつまでついてくる気だ、お前さん達は? 酒で足もおぼつかねえような男を痛めつけて、(カネ)を取ろうって腹か? あしには銭はねえ。怪我もしたくねえし、させる気もねえんだ。(けえ)んな。あしは、お前らから見りゃしょぼくれたハグレ者だろうが、甘く見てると後悔する事になるぞ」


(いし)が、そう云い放ってから少し間があって、男が三人、暗闇から出て来た。(かま)(ナタ)(かたな)を手に、真っ赤に目を血走らせている。


男達は緊張した面持(おもも)ちで、警戒しながら近づいて来る。それとは対照的に、(いし)はリラックスして、まるで月夜の散歩を楽しんでいるようだ。


...荒い呼吸ともう汗の臭いがする。そんなに緊張してたら、まともに身体は動かねえだろう? 連中(こいつら)慣れてねえな


自然な動作で、(じょう)の先を足元から一歩前にポンと投げ、男達が来るのを待つ。


同時に、三人の背後の暗闇に隠れている奴らの様子も(うかが)う。


...全員をいっぺんに相手するのは骨が折れる。とりあえず三人。あとは出たとこ勝負


三人のうちのひとりが、刀を振り上げて突っ込んで来た。


が、刀を振り下ろす事は出来ず、足元から突然跳ね上がってきた(じょう)の先に喉を突かれて、白目を剥いてひっくり返った。


(いし)は何食わぬ顔で、残りの二人に声をかけた。


「次は?」



(とお)も数を数えないうちに、それは終わった。一段と冷え込んだ風は、ゴゴゴ・・・と(けもの)のような雄叫びを上げ、木々や草原(くさはら)を揺らしながら駆け抜けていく。


風が通り過ぎた後、(しばら)くして雲間(くもま)から月が顔を(のぞ)かせた時には、(いし)の姿はそこになく、地面に倒れうめき声を上げる三人の男の(みじ)めな姿が、月明かりの下に晒されていた。


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