第三章ep.4 錫《すず》
「お、来たか」
部屋に顔を見せた助五郎は、明るい口調で石に声をかけた。
ゆっくりと歩いて石と八助の前を通り首座に座ると胡坐をかいて、手枕に片腕をのせじっと石を見る。
「さて、名前を聞かせてもらおうか。..そうだな、ただ聞くんじゃ面白く無えな。..仁義の切り方は知ってるか? 口上を聞かせてくれよ」
...やれやれ口上か、人の道を外れた者ほど裏社会のしきたりやルールにこだわるもんだ。
石は、ふう と大きく息吸った。
「このたびの、わざわざのお迎え親分さまのご配慮痛み入ります。すでに招き入れられた上での御挨拶となり、渡世のしきたりの順序を違えた事の無礼をお許し頂きたく存じます。御無礼承知、ご納得頂いたということで、この場に縁あってお集まりの皆さま、これより不肖の流れものの私が挨拶をさせて頂きたく存じます。みなさま、お控えなさって下せえ」
石は左手を膝に、右手の手の平を見せるように前へ突き出すが、助五郎は手枕に体を預けたまま石を見てるだけ、助五郎一家の若衆、八助は口をあんぐりと開いているだけ。
挨拶を受ける相手もいねえのに、仁義を切るのかと頭に来るが仕方ない。またトラブルを起こすわけにはいかないと、ここはグッと堪え仁義もクソもない、ひとり口上を続ける。
「早速のお控え有難うございます。粗忽者ゆえ、前後間違いましたる節はご容赦願います。子毛の親分さんには、初お目見えと心得口上させて頂きたく存じます。手前、生国と呼べる国は御座いませんが、産まれ落ちて間もなく里親に出され物心ついた時には筑前にて潮風の香りを嗅いで育ち、引き取った夫婦が付けた名前は石。当道座に倚り懸かるに掛かり、『座頭』の四官の位を得たものにより、座頭の石と呼ぶ者もおりますが、産まれ落ちてのただの石ころ、親分、子分さまは石と呼び捨てておくんなせえ。育ての親は既にこの世になく、死に水をとり九州を後にして山陽道を通り風が吹くまま気の向くまま、空は屋根、土を枕に旅を続けて参りました。旅がらすなればこれと定める家業なし、浮世から渡世までふらりふらりと行き渡る世俗のはぐれ者に御座います。御当家の皆様には、しばらくの間のお目汚しとなりますが万事万端、何卒宜しくお願い申し上げます」
石は一通り口上を述べ、助五郎の出方を待つ。助五郎は手を叩いて喜んだ。
...挨拶は返さねえ、口上を引き取らねえ。 これじゃただの見世物じゃねえか..。
石は手を引っ込め黙って俯き、拳を握りしめる。隣には石の口上に口をあんぐり開けたまま、珍種の生き物を初めて見たような顔で八助が座っている。
「最近では、こんな口上はなかなか聞かれなくなったもんだ。それだけじゃねえ...」
助五郎は、最近の若い者たちが礼儀を知らないと、あれやこれやと例を上げて嘆いて逆に石を褒めちぎった。
「わしのことは多の屋か町代と呼んでくれ。わしを慕って昔の手下が集まってしまって面倒をみとるだけだ。もう堅気の商売人だからな」
助五郎は念を押すように言い、石は黙って頷いた。
「そうだ、ちょいと小耳に挟んだ噂なんだが、知ってたら教えてくれ」
「何のことでしょうか?」
俯いてる石の顔を、下からのぞき込むように身を乗り出す助五郎。
「実は、畿内〔京都中心の関西地方〕の裏界隈で"カタテ"を使う兇状持ちがいるという話を聞いたんだが、滅法腕が立つらしい、石、おまえ聞いたことはないか?」
「さあ...お役目を取り損ねて落魄れた、どこぞの浪人でしょうかね?」
助五郎は石を見つめ、顔色に変化がないかを窺っているようだ。石は何食わぬ顔で助五郎の話に耳をかたむけている。
「それがな...どうやら、目が見えねぇって噂があるんだがな..」
石は嗤う。
「へぇ?目が見えねぇのに刀を振り回すなんぞしていたら、自分の腕を斬り落とすのがオチですよ。多の屋の旦那そんな危なっかしい話をあしは耳にしたことが御座いません。揶揄うのはよして下さいよ」
「まぁ、確かにそうなんだがな」
と石の返しには納得しつつも、まだ凶状持ちの"カタテ"使いの話を助五郎は信じてるようだ。
...これは何の話だ?
石は、助五郎の真意を量る。
パチン と助五郎は自分の首すじを平手で叩き、話し始めた。
「いや、子毛に村がひとつ増えることになってな。それまではこんな山ん中のちっぽけな宿場町に誰も見向きもしなかったわけだが、二つ合わせて総家で百十軒、延べで五百人以上が住んでるとなれば、数で言えば、あの箱根の宿の半分だ」
「これだけの町の規模になれば、周辺から好からぬ輩もやってくる。其奴らを、わしらだけで追い払わなきゃならねえ、でだ、荒事になったときのためには人手が必要だ。特に一人で十二分の働きをしてくれるような腕の立つ奴は、何人だって欲しい」
「だからだ、こんな山ん中の町まで噂が届くような腕の立つ奴なら、いくら銭を積んでも惜しくない。そう思ってるんだかな...」
助五郎は座り直し、じっと石を見据えたが、石は黙ってずっと俯くのみ。助五郎は目線を落とし、石の腰に差してるものを見る。
「そいつは長さ1尺8寸(約54㎝)の刀でやるって話だそうだが、おまえが腰に差してるのは・・煙草?か」
石はようやく面を上げる。
「失礼ですが、旦那はあしを買い被っておられるようだ。若い頃は怖いもの知らずの大馬鹿で、裏界隈を我が世の春と偉そうに歩いた事も御座いましたがね。上には上がいるもので散々怖い思いをいたしましてからは、日の当たる場所の隅っこを歩くようにしております。もう怖い思いはこりごりですよ」
「だがな、鬼造を杖ひとつで抑えつけるなんてありゃ普通じゃねえな。あれを見れば期待もする。どうだい、親子とは言わねぇ、俺と客分の盃を交わす気はねぇか?」
また助五郎が身を乗り出してくる。
「あしはもう長らく裏界隈を歩いておりません。もうすっかり堅気者でござんす、もう荒事には役に立ちやしませんよ」
いやいや、と手を振り石は苦笑いしながら答えた。
そうか?・・と助五郎はこれ以上の押し問答を止め、思いついたように自分の昔話を語りはじめた。いつしか"カタテ"使いの話は遠くに追いやられていく。
助五郎のひとり語りが続く。その間、石は愛想笑いを浮かべ黙って話を聞いた。
自分が若い頃にくぐり抜けた修羅場や、武勇伝を一通り語り終えると、助五郎は酒と肴を運ばせるように八助を使いに走らせた。
八助が部屋を出て渡り廊下から消える。その後、二人きりになると助五郎は、独り言のようにつぶやいた。
「石、おまえがその"カタテ"使いと違うのか?」
石は、その独り言は聞こえなかった様で、外の風の音に耳を澄ませている。
「親分、そのカタテ?ってのはなんなんですかい?」
お膳に乗せた酒とつまみが運ばれて来て、部屋に戻ってきた八助。手酌で飲んでいた酒が回ったのか、思ったことを助五郎に聞く。
「おまえくらいの若い奴は知らねぇだろうな、"カタテ"ってのはこれよ」
助五郎は膳の上の箸を取り小脇に抱えると、箸を刀に見立てて抜く動作をして、八の字を書くように回すと鞘に収めるよう小脇に戻す。
「居合いだよ」
そう言うと、箸を置き銚子に持ち換えて石に酒を勧める。
...こりゃ酔えねぇなぁ。
久方ぶりの酒なのにもったいねぇと石は心で舌打ちした。助五郎がすすめる酒を両手に持った杯で受けると、注がれた酒をぐぃっ一気に呑み干す。
...久しぶりの酒は美味え。
助五郎を警戒するのを一瞬忘れ、何日かぶりに喉を通る酒の味を楽しむ。
「朝夕の飯は出す。昼間は何処にいようとも構わない、好きにすりゃあ良い。うちは他にも腕の立つ奴を飼ってるが、其奴らだって気ままにやってる。こっちが頼んだ仕事さえしてくれりゃあ何も問題ねえ、どうだ日割りで銭も出すぞ」
酔いが回り、赤くなった顔で助五郎が石を誘う。
「いやいや、あしなんてとてもとても」
...どんな汚え仕事を押し付けられるかと思うと、眉唾もの。石は、無理だ無理だと手を振る。
助五郎は、何度もしつこく誘ってきたが、石はのらりくらりとかわし続けた。そのうち、石もろれつも回らないほどにしたたかに酔ったようで杯を受ける手も覚束なくなり、とりあえず助五郎への挨拶は終わった。
...やれやれ、これで退散。
と石は思ったが、助五郎は執拗だった。
「そんなに酔ってるなら、案内も付けず野犬がうろつく夜道を一人で返すわけにはいかねえな、心配するな寝床は用意してるから泊って帰りゃいい、朝飯食った後で誰かに送らせる」
助五郎はそう言って、用意した部屋に案内するよう八助に言いつける。おそらく、最初から石を逃がさないつもりだったのだろう。
少しゆらゆらと揺れながら助五郎は、渡り廊下を去っていく。残された石と八助。だが、八助は酔い潰れる寸前で畳の上に座っているのもやっと。
それでも助五郎の言いつけには逆らえるはず無く、立ちあがろうとしたが、すぐにふらふらと倒れこむ。
ついに八助は、起き上がるのも面倒くさくなり、声の限りを振り絞り奉公人を呼んだ。
声を聞いた奉公人がやって来ると「目暗を連れて行け」とだけ言って部屋に寝転び、ひと眠りし始めた。石は、すっと立ちあがると、部屋の入り口に立つ奉公人に尋ねた。
「悪りぃが久しぶりの酒で腹が痛ぇ、下しそうだ。厠はどこか教えてくれ」
「こちらです」
錫の声がする。
錫は、石の手を引くと厠まで連れて行こうとした。連れられて歩きながら、石は困った。
...ありゃ参ったな。さっきの嬢ちゃんか。
このままだと、この子が叱られてしまう。そうこうしてるうちに、厠にたどり着いた。石は思案する。
「嬢ちゃん。あしは目が見えねえから、一人じゃ便所の穴に落ちちまう。八助を呼んできてくれ」
「あたしが支えます。どうぞおつかまり下さい」
石の脇の下にもぐりこみ支えようとする錫。体重をかければ折れそうな華奢な体だ。
...いや、そういうことじゃねぇんだ。
石は慌てる。
...ああ畜生、仕方ねぇ。
「おい!八助、あしはこんなとこじゃクソも出来ねぇ、もう外でするぞ!、そのまま逃げちまうからな!!」
どうせ屋敷の奥の奥、住人から見放されたような離れた場所だ、助五郎には聞こえやしまいと大声を張り上げた。
しばらくするとドタドタと足音がして、寝ぼけ眼に赤ら顔の八助が息を切らして現れた。
「この糞野郎!」
「ああ、たしかにこれからクソをするヤロウだよ。当たりだな。クソヤロウといえば、明日の朝、旦那に言っとかなきゃな、八助のクソヤロウが部屋に連れて行ってくれないから寂しかったってな」
石は嗤い、クククと肩を揺らす。
「コ&$#*P)&$ツはあぁぁぁ‼‼」
呂律が回ってない八助が、石に殴りかかっていく。
石は、錫をやさしく手で横に追いやると、ひょいと八助の拳を躱して、そのまま便所に放り込み戸をパタンと閉めた。
「くぁー:っ#”%’’せ(ぇ(%ぁ}{」
便所の中でなにか喚いている八助。
「嬢ちゃん、もう行きな。できりゃ見なかったことにしてくれりゃ有難えんだがな」
石は、八助が中で喚いて叩く便所の戸を片手で押えながらこれからどうするか考える。逃げ出すことは決まっているのだが‥‥。
「石さんはどうするのですか?」
...おい、まだ居たのか。
「早く行きな。お前さん叱られるだろう」
さて… ふと目線を感じて顔を向けると、錫はまだそこにいるようだ。
「どうしたのかい?部屋にもどるのが怖いのかい?」
「はちすけを懲らしめてくれたから」
「ん?」
話を聞くと、いつも八助に体を触られ、「お前の初物は俺がもらってやるからな」と耳元で言われたりしていたそうだ。
...糞野郎。
石は便所に顔を向ける。カッとして全身の血液が逆流したようだ。このまま八助と対峙すれば、⚪してしまかねないくらいに。
その時、便所の中から鼾が聞こえて来た。
すうすうと悪たれにしては子供のようないびき。オッサンのゴオゴオといういびきだったら、腕の一本でもへし折っていたかもしれないが、可愛げのあるいびきのおかげで、石の体の血液はスッと下がり、冷静に考えられるようになった。
「阿呆は寝たか …嬢ちゃん、この近くに外に出れるところがあるかな?」
小さな手に引かれ、雑草に囲まれた人気のない戸口へと歩く。
「ここからなら誰にも見つからずに出れます」
「有難てえ、世話になったな」
石は戸口をくぐるとくるりと振り返った。
「あしが出たら戸を閉めて、黙って自分の部屋に帰るんだ。心配いらねぇ、八助は酔っぱらって覚えちゃいねぇだろうし旦那に言われたのは奴だ。嬢ちゃんはなにも言わなくていいし、なにも言っちゃいけねえよ」
石は懐を探りさっき出された酒のつまみのなかに、なぜかあった金平糖を錫に渡した。由の家に戻って、妙に渡そうと取って置いたものだった。
「あとでこっそり食べな」
錫は手に取った包みの中の金平糖を嬉しそうに見つめ、大事に懐にしまった。石が屋敷から外へと消えて、錫は言われたように戸を閉めて歩き出そうとして、怯えた表情で目の前に立つ男を見た。
「錫、どいてろ」
錫は、金縛りにあったように一歩も動けない。目の前に立つ男、弥切は、立ち尽くす錫の脇を抜けて屋敷の外へ出る戸を開ける。その後ろから数人の男たちが現れ外へ出て行った。
「俺が出たら、戸を閉めとけ」
錫は息をするのも忘れているように固まったままだ。恐怖で涙が目に浮かんでいる。
スゥ...と弥切がため息をつく。
「心配するな、俺とお前は共犯だ。俺はお前に出て行ったことを黙ってほしい。お前はあの男を逃がしたことを黙ってほしい…だろ?」
弥切が穏やかに話すと、錫はようやく身体を動かし大きく頷いた。
「じゃあ、そんな顔するな。俺が八助のことも上手く処理しておいてやるから心配するな。俺とお前は共犯だからな、俺との約束を守る奴は、俺が守る、いいな」
弥切たちは、外に出て戸は静かに閉められた。錫は、戸口に行ってもう一度、閂をかけた。
濡れている頬を拭う錫の顔は、この短時間で泣き腫らしたようだった。
...あの嬢ちゃん正直に言わなきゃいいんだがな。あしは何言われたって構わねえが、幼い子が辛え思いをするのは嫌なもんだ。正直者が馬鹿を見る世の中だ、たまにゃ嘘を言ったっていいんだからな。
屋敷の外に出て由の家へと戻る道すがら、錫のことを考え何もない宙に語りかける。
夜風が酒で火照った身体を冷やしていく。夜空には月が浮かんでいるようだ、まわりが少し暖かく感じる、煌々と輝いているのだろう。
...やれやれだ。
気がかりなことが思い出されて、少し気が滅入っていく。
...弦はまだ起きてるかな?
思うと胸がチクッと痛んだ。
...早く帰りゃよかったなぁ、と後悔する。
助五郎がしつこいのには閉口したが、久しぶりの酒が旨すぎて、つい時間を過ごしてしまった。
弦は合理的な女だから、阿呆みたいに自分の帰りを待ったりせずに早々に寝てるだろうとは思うが…。
...こんなに遅くなるなら一言、「先に寝とけよ」と言っとくべきだったかなぁ。
見えない夜空を頭に思い描きながら、宙を見上げる。夜風が体にあたる、酔いはかなり冷めていた。
...これなら大丈夫だろう。
もうすでに、子毛の宿の出入り口にあたる棒鼻は過ぎていた。
...さて、弦が世話になる由の家に、厄介事を連れて行くわけにはいかねえな。
まわりは野っ原、冷えた夜風が通り過ぎる。道の途中で石は足を止め後ろを振り返り、《お前たちに気付いているぞ》と暗闇に向かい声を投げる。
「お前らが酒で足もおぼつかねぇ、あしをずっと追っかけてくる理由は分かんねぇが、物盗りなら他をあたりな。あしに金はねぇ。怪我もしたくねぇしさせる気もねえんだ。帰んな。あしはこの通りのしょぼくれたハグレ者だが、甘く見てると後悔するぞ」
石がそう云い放ってから少し間があって、暗闇から鎌や錆びた刀を手に持った男たちが三人出て来た。黙りこくり目を真っ赤に血走らせ、血の気の引いた青ざめた顔で石を睨みつけている。
男達は緊張した面持ちで一歩ずつ警戒しながら近づいて来る。それとは対照的に、石はリラックスしていてまるで月夜の散歩を楽しんでいる人のようだ。
特段に緊張するでもなく自然な動作で、杖先を足元から一歩前にポンと投げ、男達が仕掛けて来るのを待つ。
そして同時に三人の背後に居る、人数は把握出来てないが数人はいる者達の様子も伺う。
...全員をいっぺんに相手にするのは面倒だ。とりあえず三人。あとは出たとこ勝負。
三人のうちのひとりが刃の欠けた刀を振り上げ、石に向かい突っ込んで来る。
一人目‥ その男は刃を石にとどかせることも振り上げた刀を下ろす事もなく、足元から突然跳ね上がってきた杖の先に喉を突かれ白目を剥いてひっくり返って倒れた。
石は何食わぬ顔で、目の前の二人に声をかけた。
「次は?」
.....一段と冷え込んだ風は、ゴゴゴ‥と獣の雄叫びでまわりの空気を振動させ、同時に木々や草原を揺らしながら駆け抜ける。風が通り過ぎた後、地面の上には打ちのめされた三人の男が倒れていた。
雲間から出てきた月が、うめき声を上げる三人の男たちをじっくりと照らしてゆくが、そこに石の姿はもう無かった。