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座頭の石 (ざとうのいし)  作者: とおのかげふみ
プロローグ
1/3

石《いし》と弦《つる》

天下分け目の関ケ原(せきがはら)合戦(かっせん)に勝利し、天下統一を()()げた徳川家康(とくがわいえやす)は、江戸(えど)を中心とする幕府を開いて、それから徳川家の支配は二百六十年間続いた。その始まりの頃、家康は強固(きょうこ)な国造りを目指し、江戸を中心とする(いつつ)街道(かいどう)を整備した。


五街道(ごかいどう)のひとつ江戸と京都を結ぶ道は中仙道(なかせんどう)と呼ばれた。


この時の季節は、春から夏へ向かう頃。


その中仙道(なかせんどう)から(はず)れた名も無い脇街道(わきかいどう)を、男女が歩いていた。


中年の男は、茶色の着物と股引ももひき姿、(あし)脚絆(きゃはん)を着け、雨避(あめよ)け代わりの道中合羽(どうちゅうかっぱ)を、着物の上から羽織(はお)っていた。


首から頭陀袋(ずたぶくろ)()げ、帯に腰差(こしざ)しの煙草(たばこ)。背負う網袋(あみぶくろ)に女性物の小さめの菅笠(すげがさ)を引っかけて、(じょう)を左右に振りながら歩いている。


男の名は(いし)といった。


その後ろを歩く女性は、一見すると十五かそこらの娘に見えるが、この時代ではもう行き遅れと言われる年齢だ。


藍色(あいいろ)小袖(こそで)の上に上張(うわば)りを羽織(はお)り、手甲(てこう)(ひざ)下には脚絆(きゃはん)を着け、()(がみ)(たば)ねて団子(だんご)にして巻き上げている。手に巾着袋(きんちゃくぶくろ)を引っ掛けた(つえ)を持ち、ときおり爪先(つまさき)を引きずっているように見える。


女の名は(つる)といった。



(いし)(つる)は、理由(わけ)あって江戸へと旅をしている。人目を気にする旅のため、関所(せきしょ)の取り調べが(きび)しい五街道(ごかいどう)()えて()け、脇街道(わきかいどう)を進んでいる。


幕府の手で整備されていない脇街道は、悪路(あくろ)難所(なんしょ)も多く、木々が鬱蒼(うっそう)として道は薄暗く、勾配(こうばい)はきつく滑りやすい。


二人が歩く道は、竹林が空を(おお)い尽くしている。今にも(けもの)が飛び出してきそうな不気味な雰囲気が(ただよ)っている。


「いっさん、昨日(きのう)の雨が嘘みたいですよ。今日は、よく晴れてますね」


隙間(すきま)から(のぞ)く空を見て、(つる)が話した。


「そうかい、ちょいと寒い気がするが、今日はお()さんは出てるかい?」


「ええ、お陽さまも一緒に、空一面が、いっさんの好きな青空(あおぞら)ですよ」


(つる)勘違(かんちが)いしているようだ。よく青空かどうかを聞くので、(いし)を青空が好きな男だと思っているようだが、見えるわけではない(いし)にとって空の色など、どうでも良い。


(くも)りだといつ雨が降るか分からない。雨は、濡れるし地面は泥濘(ぬかる)み足を取られて歩くのも大変だ、普段より気が疲れる。


それに耳が頼りの(いし)にとっては、激しい雨音(あまおと)でまわりの音がかき消されると、周囲の状況が感じられずに困ってしまう。だから雨が降りそうもない、よく晴れた空かどうかを気にしてるだけなのだが、(いし)にはそこまで説明する気もなかった。


「ああ... 晴れてんならいいやな」


「...なんですか? すごく投げやりな気がしますけど」


(つる)はせっかく教えてあげたのにと、不満そうだ。


....そんなことねえけどなぁ... 


「青空で良かったなぁー」


「わざとらしい」


怒った顔で、(つる)(いし)を見ている。


...なんて言やぁ良いんだ? と思いながら顔を(そら)に向けた。


かすかに木々の隙間(すきま)から(こぼ)れる温かい日差しを肌で感じ、嬉しそうな顔の(いし)。それを見た(つる)も同じように嬉しくなり、自然と機嫌も直っていった。


(つる)(いし)の名を呼ぶときに 『い()』を言わない。何度か注意したのだが、言っても聞かないので、今はもうあきらめていた。


綿雲(わたぐも)が、空を西から東にゆっくり流れてますよ。大きいのと小さいのが二つ並んで、まるで私といっさんみたい」


うれしそうに(つる)が空の様子を話す。見えない(いし)の代わりになって、見える景色を伝えようとしている。


(つる)にはもう、《(いし)が見えない》事へ配慮するような、他人行儀(たにんぎょうぎ)なことは無い。


(いし)もまたそれが当然と受け止めて、(つる)の話を聞きながら頭に思い描いている。


(いし)は、全盲(ぜんもう)ではなく、わずかに光と色を認識できるが、目を開けても(もや)がかった残像(ざんぞう)のようなものしか見えず、またじっと見ていると強い光が差し込んだ時のようにチカチカして頭痛(ずつう)がする。


そのため、普段から目を閉じているのが(くせ)になってしまった。


進んでいくと坂道の勾配(こうばい)はきつくなり、二人は前後に並んで、(いし)が前を歩き(つる)が後ろになった。坂道の傾斜(けいしゃ)が急になると何を言わずとも、そうするようになっていた。


(いし)は持っていた(じょう)を後ろへと伸ばし、(つる)がつかんだ。(じょう)(はし)(はし)を互いに握り、(いし)(つる)を引っ張って歩く。


(つる)は生まれつき右足の力が弱く、普段からよく転ぶことがある。以前(いぜん)に住んでいた下家(しもや)の急な階段を立って歩けず、両手をつき犬のように()って昇っていたこともあった。


(いし)は地面を踏みしめて、(つる)を引っ張り坂道をゆく。


しばらくすると(ふもと)を流れる木曽川(きそがわ)の風が、足元から感じられるようになった。


...やっと終わったか... (いし)は後ろを歩く(つる)を振り返った。


(つる)、疲れただろう、ここで一度、休憩(やすみ)にしようや」


(たま)のような汗をかいている(つる)が、黙って(うなづ)いた。


荒い息づかいで、道端(みちばだ)に建てられた一里塚(いちりづか)と掘られた岩の、台座の上に座り込んだ(つる)。 (いし)はそのかたわらに立った。


「いっさん ... ここ座れます」


(いし)の座る場所を()けようとした(つる)が、台座(だいざ)から落ちそうになる。 (いし)は手を伸ばし素早くその体を(とら)えた。


「何やってんだ馬鹿。 じっとしてろ」


「馬鹿ってなんですか? せっかく座らせてあげようと思ったのに」


(つる)(ほお)(ふく)らませて、ブツブツと文句を言う。


「おまえだけ座ってろ。 あしは立ってるほうが楽なんだ、これで良いんだ」


華奢(きゃしゃ)な体を持ち上げ、台座に座り直させた。


風が(ゆる)やかに吹き、(すず)しい風が汗をかいた後の体に丁度良い。(つる)(ふところ)から取り出した手拭(てぬぐ)いを、途中の小川で()んでおいた竹筒(たけづつ)《たけづつ》の中の冷たい水で()らして、(いし)の手に(にぎ)らせた。


(いし)が「()らねぇや」と返そうとしたが、(つる)は強引に押し付けた。 結局、受け取って顔と首回りの汗を(ぬぐ)ったが、ひんやりした手拭(てぬぐ)いは、…気持ち良かった。


「ほら、気持ちいいでしょ」


気分良(きもちよ)さげな(いし)の顔を見上げ、(つる)が言う。


「・・・」


(そら)を仰ぐと、記憶の残像(ざんぞう)の空を思い浮かべた。



(いし)は、まだ物心(ものごころ)つく前に、盲目の(えん)もゆかりもない夫妻の家に(あず)けられた。その経緯(けいい)は知らない。子がなかった夫婦は、一晩の宿を借りに来た女からまだ赤子(あかご)(いし)を預かったそうだが、それ以上のことを、養父母は話そうとはしなかった。


幼い頃は見えていた記憶があるが、麻疹(はしか)にかかったせいで、目が不自由になった。適切(てきせつ)な治療と栄養があれば、盲目(もうもく)(のが)れたかもしれないが、養父母の家は日々の生活(くらし)精一杯(せいいっぱい)で、治療費を工面(くめん)できず、医者に見せる事すら出来なかった。


盲目(もうもく)となった(いし)不憫(ふびん)に思った養父は、自分の按摩の仕事(しごと)を、子供の(いし)に手取り足取り教えた。


養父は、盲人の互助(ごじょ)組織である当道座(とうどうざ)(ぞく)していて、勾当(こうとう)の階級にあり、盲人(もうじん)として生きる(いし)にも、自分と同じく当道座(とうどうざ)に入れるよう手配(てはい)して、養父のおかげで(いし)座頭(ざとう)という階級を受けられた。


十四の歳に養父母が亡くなり、(いし)はその地を離れた。当道座(とうどうざ)を当てにして畿内(きない)へと出てみたものの、それは上手(うま)くいかずに、(いし)世間(せけん)から冷酷(れいこく)仕打(しうち)を受けた。


社会の底辺(ていへん)(どろ)(すす)って生き抜く日々。


本当の親も知らず、自分の本当の名も知らない。 『(いし)』は、養父がつけた呼び名だった。名というより、呼びやすくする為だろう。


背は人並み、手足が太く体が強靱(きょうじん)で簡単にへこたれない。少し中年腹(ちゅうねんばら)で、(つる)に「お酒の飲み過ぎです」と始終(しじゅう)小言(こごと)を言われている。


その(つる)は二十四になったはずだが、童顔(どうがん)小柄(こがら)で、たまに十四、五の娘に見られることもある。が、体つきは年相応なので、そのアンバランスのせいで変に色気があるようだ。


この間は旅の宿で「まだ子供なのにしっかりしてるわ」と()められて、勘違(かんちが)いしている老夫婦の奥さんにお菓子をもらい、可愛らしく(演技して)、(つる)は受け取った。


「おまえ、あの奥さんは完全に勘違(かんちが)いしてたぞ。 ほんとうの(とし)の事を聞かれたらどうするつもりだったんだ?」


(そば)で会話を聞きながらヒヤヒヤしていた(いし)が、後から聞いたら、


「いっさん、顔は強面(こわもて)のくせに、気が小さいんじゃないですか? くれるというならもらっておけばいいんですよ」


(つる)が答えた。


「・・・」 


休んでいると、かいた体の汗が引いてきたようだ。 じっとしていたら風邪になるかもしれない。旅の病気は厄介(やっかい)だ。


(つる)、そろそろ行こう」 


「はい」


(いし)の差し出す手を支えに、(つる)は立ち上がる。 坂の下から吹いてくる風を感じ、(いし)は風の吹く方向へ顔を向けた。


関所(せきしょ)... 」


(いし)()られて同じ方向を見た(つる)の目には、関所(せきしょ)が見えていた。


「あれ... 往来手形(おうらいてがた)は、どこにあったかな?」


関所(せきしょ)を通るために必要な、常駐役人(じょうちゅうやくにん)に見せるための大事な許可証(きょかしょう)。 (つる)は、肩にかけていた行李(こうり)(小さな荷物入れ)を地面に下ろし、中を探っている。


...大事(だいじ)なもんは仕舞(しま)う場所を決めとけ... と(いし)は言いそうになったが、口にすると()める元なので、黙っていた。


「あった!」 


行李(こうり)ではなく、着物の(たもと)に仕舞っていたことを思い出し、取り出して間違いないか、確認するため開いてみる。


その手形(てがた)には、 この二人、夫婦と書かれていた。


この小説には人の命を軽視したり侮辱するような(特に盲目の人や女性に対して)物言い、または乱暴な表現、人を貶める蔑称や男女問わず人や物、地域に対しても差別的な表現がありますが、作者はそれを良しとしているわけではありません。作品のイメージを大事にするために故意に使っている表現ですのでご了承ください。不快だと思うのであれば読まないようにしてください。読む人の選択に任せるものです。

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