江戸っ子は貴族のマナーがまどろっこしい
「あああ~! まだるっこしい! 飯なんざ、時間かけて食うもんじゃねぇんだ! 全部一度に持ってきな!」
熊さんは、持っていたカトラリーを両手で高く持ち上げて、後ろに控えている給仕に向かって大きな声を出した。ビクリと体を揺らした給仕がわたくしに視線を寄越す。首を横に振り、待機させた。
「熊さん? マナーを学ぶのを頑張るとおっしゃったのは、嘘でしたの?」
「う…………でもよぅ、俺ら江戸っ子は、時間を無駄にすんのが、いっとう許せねぇんだぜ?」
「ここは、江戸ではございません」
「そ、そうだけどよぅ」
気まずそうに肩を縮こまらせて唇を尖らせている熊さんは、本当に、ベアード様とは違って感情をそのまま素直に顔に出す御方だ。
髪を剃ろうとするのをやめさせてからは、熊さんはなんとか剃りたい気持ちを抑え、顔や体の毛抜きを怠らず過ごしている。だから、お顔なんて、わたくし達女性陣よりもつるつる、産毛の一本も生えていない。これはもう、使用人一同、最初は驚きで凝視していたが、慣れてからはそちらの方がさっぱりしていると、男性使用人達も、ほとんどがこざっぱりした見た目に変化した。わたくしの心の安寧も、保たれている。熊さん様様なのである。
「本日のマナーの授業が終わったら、少し近くを歩いてみますか?」
「いいのかい?」
「何があるかわからないので、あまり長くは居られませんが、ここから馬車で少し移動したところに、商店街がございます。そちらで、気晴らしにお買い物などされてみませんか?」
「するする! するぜ! 使いやすい毛抜きが欲しかったんだ!」
毛抜きは売ってないとは思うけれど。
わたくし達は、万が一迷子になってしまった場合に名乗る名前など、細かいことを確認してから、エントランスに回した馬車に乗り込んだ。
* * *
「木造の家が少ないんだな」
ガルシア侯爵邸を出た馬車は、森に囲まれた街道を走る。
ここは王都のタウンハウス群。街道沿いには、高位貴族のタウンハウスが並んでいる。高位貴族のタウンハウスは、我がガルシア侯爵邸と同じく、煉瓦で造られた建物である。
商店街が近づくにつれ、民家が増えているが、街道沿いに建てられた民家のほとんどが、煉瓦造りの家だ。
熊さんの住んでいた江戸は、木造の住居がひしめき合っていたということなので、煉瓦造りの建物が多いこの世界は、不思議に感じるのだろう。
「そのうち、すべての建物が煉瓦造りになりますわ」
「なんでだ?」
「木造の建物が禁止されたのです。建築が追い付かないので、まだ木造の建物もありますが、今後、取り壊されて、煉瓦造りの建物に造り直される予定ですの」
「ほう」
「昨年、大きな火災に見舞われたのですわ。木造の住居は、他の住居もっ巻き込んで、三日三晩燃え続けたのです」
「そりゃあ、大火事だ」
当時、雨が降らず、この国は大変な水不足だった。前世を思い出したという方が考案したポンプ車というものもあったにはあったのだが、何せ、ポンプ車に使う水がない。運よく雨が降り、鎮火にいたったが、雨が降らなかったらどうなっていたのかと思うと、今でも恐怖がよみがえってくるのだ。
「国は、もう二度とこんなことが起きてはならないと、木造の建築を禁じたのですわ」
「なるほどねぇ」
「…………そういえば、熊さんは、江戸の火消しだとおっしゃってましたわね」
「おうよ」
「やはり、ポンプ車などがあったんですの? 水不足のときなどは、どのように……」
話している途中で馬車が停まった。
商店街に到着したらしい。
わたくし達は、商店街の入り口で降ろされて、ゆっくりと店を見て回る予定だ。馬車は馬車停で待機して、わたくし達が帰るのを侍女が報せに行き、再び商店街入り口に回してもらう。
「おお~! 活気のある街じゃねぇか!」
熊さんは目をキラキラさせて、商店街を見渡した。江戸っ子は、新しいものが好きだそうで、目にしたことのない商品を目指し、駆け出していく。
「…………お話しが途中になってしまったわ」
「仕方ないですわ、奥様。熊さんは新しいもの好きですから……」
「そうですわ奥様。何かやらかさないように早く追いつきましょう」
アンナもアニエスも、呆れたような顔をして、私を前に促した。仕方ない。仕方ないのね。それにしても熊さんの扱いがみんな雑だわ。追いついた護衛なんて、熊さんの首根っこを掴んで説教をしている。みんな、忘れているかもしれないけど、それ、侯爵なのよね。




