♯68
そして週明けの五人揃っての最後の合わせ練習。
凛々子は、帰り際にとある思惑を瑞香と智花に打ち明けて……。
その日の千鶴の帰り道は、いつになく賑やかだった。志之を始めとしたバレー部の女子たちは、千鶴の他に未乃梨や凛々子にも興味津々のようすだった。
夕陽に照らされて薄紅に染まりつつある、紫ヶ丘高校の校門の外でバレー部員に囲まれてスマホで撮られている千鶴を見ながら、未乃梨は志之に苦笑いをしていた。
「ねえ、結城さん、女バレの子たち、千鶴のこと好き過ぎない?」
「中学から地味に注目されてたからねえ。高校で一緒に試合出られるかもって思ってた子もいたみたいだけど」
「ま、残念だったわね。吹部に引っ張り込んじゃって」
「文化部に入ったらしょっちゅうみのりんとか仙道先輩と一緒だもんなあ。そういや先輩、千鶴っちとはどうやって知合ったんです?」
はしゃぐバレー部員に囲まれる千鶴に目を細めながら、凛々子は志之に答えた。
「新学期始まってすぐの放課後かしら。私もヴァイオリンをやってるから、弦楽器つながりで練習を見てあげることになって、ね」
凛々子と未乃梨を当分に見ながら、志之は「へえ」と溜息をついた。
「上級生の美人さんに吹部の美少女とつるんでたら、難攻不落だよなあ」
「あら、千鶴さん、本当に人気なのね?」
くすくすと笑う凛々子に、未乃梨はもう一度苦笑いを見せた。
「……まさか、女バレとか女バスで千鶴を狙ってる子とか、いないよね?」
「あらあら、気になるのかしら?」
「いえ、そういう訳じゃなくてっ」
面白そうに微笑む凛々子に、未乃梨は慌てて打ち消した。
週が明けた次の火曜日の放課後、紫ヶ丘高校にそれぞれの楽器ケースを担いでやってきた瑞香と智花を迎えて、前回と同じ空き教室で本番前の最後の合わせ練習が始まった。
チューニングのAの音をフルートで吹きながら、未乃梨は周りの弦楽器の面々を見回した。
未乃梨の左隣にいるヴァイオリンの凛々子から音域の高い順に、ヴィオラを弾いている井泉野高校の黒いブレザーの制服の瑞香、今日はカーディガンにパンツルックのチェロの智花、最後にコントラバスの千鶴と時計回りに弧を描く形で並んでいる。
まるで小さなオーケストラのような楽器の並びの中で始めたばかりのコントラバスを調弦している千鶴は、経験を積んでいる凛々子や瑞香や智花と前回の合わせよりも馴染んでいるように思えたし、その佇まいは吹奏楽部の分奏や合奏に始めて参加した時と同じように、特に緊張したりも気負ったりしないでいるように、未乃梨には思えた。
(私だって、千鶴に振り向いてもらえるように、頑張らなきゃ)
前回よりは明るい気持ちで、未乃梨は調弦を終えた四人の弦楽器奏者を改めて見回した。
練習は凛々子に見立てられた通り、前回よりずっとスムーズに進んだ。
最初に合わせたパッヘルベルの「カノン」で、千鶴のコントラバスは余分な音量を出さずに他の四人を包んで支えてくれる低音を響かせていた。
繰り返しが続く通奏低音の譜面を、千鶴はもはや見ないでアンサンブル全体を見回しながら弾いていた。
「カノン」の合わせを終えてから、智花はチェロを構えたまま満足そうに千鶴を見上げた。
「また一段と、バス弾きらしくなったね。『カノン』をやるには、理想的な低音だよ」
「智花、コントラバスがいると楽しそうだね? 星の宮ユース、コントラバス足りないもんね」
ヴィオラを顎に挟んだまま、瑞香も納得のいった様子で智花と千鶴を見た。
「でも、千鶴さんがコントラバス始めて一ヶ月経ってないのにここまで弾けるなんて、自信持っていいと思うよ」
「えへへ……ありがとうございます」
思いがけない高評に、千鶴ははにかんでリボンで結った伸びかけのボブの髪の根元を掻いた。その時、千鶴の髪を結っていた紺色のリボンが解けて床に落ちた。リボンの下で髪を束ねていた茶色いゴムもずれてしまい、千鶴の髪が崩れた。
「ありゃ。しまったなあ」
千鶴はコントラバスを教室の床に寝かせると、リボンを拾ってからずれたヘアゴムを髪から外した。真っ直ぐな伸びかけの黒髪が自由を経て揺れた。
「もう。千鶴、ちゃんと結び直さなきゃ」
「未乃梨、ごめん。今日は自分やったんだけど、結びが甘かったみたいで」
未乃梨の前で恥ずかしそうに髪に手をやる千鶴に、凛々子は「しょうがないわね」と口角を上げた。
「ちょっと休憩しましょう。未乃梨さん、千鶴さんの髪を結び直してきてあげて。鏡のある場所でやってあげた方がいいわ」
「分かりました。ほら千鶴、お手洗い行くわよ」
未乃梨に手を引かれて空き教室から出ていく千鶴を見送りながら、瑞香は「やれやれ」と微笑した。
「あの二人、仲良過ぎでしょ。にしても小阪さん、なんだか江崎さんに甲斐甲斐しいねえ」
「まあ、大親友ですものね。……ところで」
凛々子は、瑞香と智花に改めて向き直った。
「今度の養護施設の本番が終わってから、なのだけれど」
「ふむ? また何か考えてるの?」
「千鶴さん、うちのユースオケの練習に誘えないかしら。六月の本番の前ぐらいに、見学だけになるけれど」
相槌を打った智花は、思わず瑞香と顔を見合わせた。
(続く)




