15話
『ハジメくんは、千夏のことを本当に大事に想ってくれているのね。ちょっとこちらが照れてしまうくらい』
『……いや、そんな風に言葉にされると僕も恥ずかしいんですけど。でもそうですね、千夏さんは僕がしんどかった時に、助けてくれて、救ってくれて、代わりに泣いてくれて――――何というか、少しでも返せるものならばと思います』
『そう。…………ねぇ、本来高校生である貴方にお願いするようなことではない、お願いをしてもいいかしら? きっと、何事もないとは思うのだけれど』
『何でも……僕にできることであれば何でも言ってください』
『もしも……もしもあの子の父親が、あの人が急に千夏の前に現れることがあれば、千夏が望まない流れになりそうであれば、そばにいてあげてほしいの――――ちょっと、手続きで揉めていてね。あの子に聞かせたくないのも、貴方にこうして曖昧な頼み方をしてしまっているのも、全て私たち、いえ、私の責任なのだけど』
『わかりました……いえ、事情は分かったとは勿論言えないですが。何かある場合、僕は千夏さんのために動くとお約束します――――ただ、僕の方からも一つだけ、涼夏さんにお願いをしていいでしょうか?』
『あら、結婚の許しならあげるけど……そうじゃないみたいね』
『……もう、揶揄わないで下さいよ。えっと、千夏さんと話す機会があったら、きちんと話してあげてください。子供には話せないことがあることもわかるくらいには、僕らは大人です』
『…………ふふ、わかったわ、その機会を、きちんと作る。本当にありがとうね』
そんなやり取りを涼夏さんとしたのは、千夏と呼び始めたあの日のことだった。
まさか、そのやり取りからこんなに早く、しかもこんな形で涼夏さんの言っていることがわかるとは思いもしなかったが。
◇◆
僕が見せたスマホの画面に千夏は驚いて、言葉を発する。
「え? お母さん? 繋がってるの?」
「ええ、そうよ。そっちの声もきちんと聞こえていたわ……ごめんなさい、貴女にも、ハジメ君にも辛い思いをさせたわね。まさか、彼があんなに強引なこと考えるなんて」
聞こえる涼夏さんの声に、改めて千夏が僕を見る。
「……話の途中で、お父さんにメッセージを見せるようにスマホを出してみせた後、ポケットにしまう時に咄嗟に、ね」
今回、僕がしたことと言えば大したことではない。
泥棒かもしれなかったので、いつでも逃げ出せるように、タクシーを待ち時間も支払いするからと、呼んで待機してもらった。
父親の様子を見て、念のため涼夏さんに電話をかけておいた。
それだけだ。
うまく逃げられたのも、涼夏さんが無言電話を切らずにこちらの状況を把握してくれたのも、ただ運が良かったと思う。でも、あのままにはしておけなかった。
「……それだけって、そんなこと。それにあんな酷いことを、うちの、お父さんが……ごめん」
「いいんだ。とりあえずさ、うちに行こう。涼夏さんも、一旦切って、家に着いたらまたご連絡しますね」
涼夏さんにも一言告げる。
「本当にありがとう、すまないけど少し千夏をよろしく。千夏、すぐやらないといけない事をしたら、後でちゃんと全部話すから、電話、持っててね」
そう言って涼夏さんとの通話は切れた。
「ハジメ……」
「大丈夫だから」
千夏のこんなに不安そうな顔を初めて見る。
握ったままの手を、包むようにして、走ってもなお冷たいままの手を温める。
よく笑ってよく泣いて、でも僕の心を凛とした言葉で救ってくれる千夏。
でも当たり前のことだが僕らは、高校生だった。子供扱いされることに反発しながらも子供の立場にいて、そして、大人の言う言葉も理解できる程度には大人な心を持って。
あの父親は、一体千夏が何歳の子供のつもりで言葉を発したんだろう。
あんな風に千夏に聞かせるべきではなかった。
そっと、千夏が手を握ったまま僕の肩に寄り掛かる。
車内は僕の家につくまで、無言だった。
◇◆
家の前に着いて、お金を払って二人で降りる。
正直、こんな怪しい二人を咎めることなく乗せてくれたことには感謝しか無かった。
「……実はね、僕も妻とは駆け落ちだったんだよ…………他人事には思えなくてね、またのご利用の際はよろしくね」
そう思った僕がお礼を言うと、その初老の運転手さんは小さな声でそう言って僕の肩をぽんと叩き、タクシーは去っていった。
完全なる勘違いだが、確かに靴も履いてない高校生の男女がタクシーで逃亡って、とは思う。
少なくとも、運転手さんから父親に家が知られる可能性はなさそうな気がして、こんな時だったが、少しだけ運とやらに感謝した。
無言で、少し呆然としている千夏の手を引いて、家に入る。
僕もまた、ほっとしたのか腰が抜けたように座り込んでしまった。
とりあえず、今すぐに僕に、僕らにできることは多くはなかった。
暖かい飲み物を用意して、ただ、一緒にいる。それくらいだった。
「千夏、とりあえずこっち、涼夏さんから連絡もあると思うから、それまで飲み物でも飲んで、一緒にいよう」
「……うん」
哀しみ? 怒り? 戸惑い?
千夏の中で色んな物が渦巻いているのがわかった。
それから少しして、千夏のスマホが着信を知らせる。
「……お母さんからだ」
「じゃあ、僕は少しだけ外しているね……でも呼ばれたらすぐに来るから」
「うん、ごめん……ホント、ごめん」
「良いんだ」
そこから、話し声は日付が変わるまで続いていた。
僕は静かに、邪魔をしないように、でもすぐに駆けつけられるようにして、ただ待っていた。
スマホが震える。それを読んでいる間にも次々とメッセージが続いた。
『(涼夏さん)千夏と、娘と話をすることができたわ』
『(涼夏さん)きちんと、子供扱いしないで、話せたと思う。私の考えも、あの人の考えも、今がどんな状態なのかも』
『(涼夏さん)本当は、そこに行って、抱きしめてあげたい、でも、そうしてあげられないから』
『(涼夏さん)最後まで好意に甘えっぱなしでいいかしら?』
『(ハジメ)任せてください、約束だからではなくて、千夏さんは、僕にとっても大事な人なので』
その全てを読んで、僕はそれだけ書いてスマホを閉じると、千夏がいる部屋をノックした。




