8話
『(南野)お母さん入院10日以上だって』
『(南野)過労もあって、いい機会だからと健康診断で検査したら数値軒並み悪かったみたい』
『(佐藤)まじか、じゃあその間って南野一人? 大丈夫なの?』
『(南野)うん、まぁ元々お母さん帰りは遅かったし……ただ、ご飯とかがね、コンビニや惣菜ばかりだとちょっと飽きるというか』
『(佐藤)わかる、一人だと買ったほうが楽になるよね』
『(佐藤)よかったら食べに来る?』
『(南野)いいの?』
『(佐藤)南野さえ良ければだけど……あ、涼夏さんにもちゃんと言っておいたほうが良いかな』
『(南野)大丈夫だと思う』
『(佐藤)え?』
『(南野)いや、そうだね、お母さんにはうちから言っとくよ。それに、正直ゲームの続きも気になっててさ』
そんなやりとりをしたのが先日の火曜日のこと。
今週は動画編集の作業もあったので、火曜日と土曜日だけがバイト予定だが他の日は家にいる。
そんなわけで夕食に誘ったところ、南野も乗り気だったので、今日は少しばかり張り切って調理をするつもりだった。
だった、というのは現在そうなっていないからだ。
南野との夕食の前に、僕は何故か、再び涼夏さんの入院している病院に一人で来ていた。
朝、珍しくメッセージではなく通話をかけてきた南野の電話に出ると、その声は南野ではなく、涼夏さんだった。
「千夏から話は聞きました。その上で、全然止めるつもりじゃないんだけど、改めてハジメ君とお話がしたくてね。お金もきちんとお返ししたいと思っていたし、本当は呼びつけるような失礼はと思っていたのだけど、聞いての通り入院が思ったより長引いてしまって、ご足労いただいてもいいかしら? 代わりに今日のところはうちで千夏が腕によりをかけてご飯を作るから…………ちょっと失敗していても愛情は入ると思うから、広い心で見てあげてくれると母としては嬉しいわ」
「ちょっと!! お母さん何言ってるの!? 佐藤? ごめん、ちょっとお母さんが勝手に」
――――元気になったようで何よりだった。
そんなわけで、僕は今涼夏さんの病室の前にいるのだが、ノックをしようとして立ち止まってしまっている。
何ということはない、先客がいるのだ。
そして、扉が閉まっているにもかかわらず、少々話している声が外に聞こえてきていた。
ここは病院で、周りが静かとはいえ、閉まっている扉を隔ててまで中の話し声が聞こえることはそうは無い。つまり、中々会話はヒートアップしているようだった。
流石に失礼かと思ったのだが、聞こえてきてしまった話の内容から、僕はつい足を止めてしまっていた。
しばらくして、部屋から一人の男性が出てきた。
きっちりと整えられた髪に実直そうな顔。ピシリとアイロンがかけられたスーツに身を包んでいる。
パーツは母親似なんだな、と思いながら、通り過ぎる時に軽く会釈をした。
会話の内容からも、間違いなく今のは南野の父親だ。
『うち、お父さんっ子だったんだよね』
『中学の時も自由にさせてくれて』
南野の言葉が甦り、そして、今まで聞こえてきていた言葉もまた、僕の心をざわめかせる。
「…………行くか」
その姿が廊下の角を曲がり見えなくなったのを見届けて、僕は扉をノックした。
◇◆
「……いらっしゃい、呼び出したのに、待たせちゃったかしら、ごめんなさいね、ハジメ君」
そう言った涼夏さんは、見た目にはいつも通り――とはいってもお会いするのは二回目だが――に見えた。
ただ、先ほどの声が聞こえていたのもあり、僕の口から出てきたのは心配の方だった。
「いえ、とんでもないです……その、大丈夫ですか?」
ともすれば、体調のこととも取れる僕の質問に、涼夏さんは意図を汲み取ってくれたようだった。
知らないことにした方がよければ体調の事として、そうでなければそのままの心配として、受け取ってもらえれば良かった。
「……聞かれていたのね。違うか、聞こえるくらいの大きな声で話してしまってたものね」
「すみません……僕以外には誰も通らなかったので、他には漏れていないかと……僕も失礼かと思ったのですが」
「いいえ、ありがとう。ごめんなさいね、娘の友人にまで気を遣わせてしまって、本当に親失格ね。あの人に言われた通り……」
そう言って涼夏さんが顔を伏せる。
そう、涼夏さんは随分と強い言葉で責められていた。僕には、正直一度結婚をして離婚するという、男女の機微がわかるとはいえないが、少なくとも聞こえていた言葉は、身体を壊して入院した人に投げかけるような言葉ではなかった。
だからつい、言わずにはいられなかった。
「そんなことはないと思います! ……あ、えっと、何も知らないのにすみません」
でも、咄嗟に僕はそう言葉を出してしまった後、涼夏さんの何とも言えない表情に尻すぼみになってしまう。そんな僕を見て、涼夏さんは悲しげに笑った。
「……本当にありがとう。貴方のような子があの子の傍にいてくれたというのは、本当に安心だわ――その、あの子は演じるのが上手いから」
最後に付け加えた言葉に、やはり南野が学校で無理しているのは勘づいていること、そして、南野のことを本当に想っていることがひしひしと感じられる。
「…………やっぱりその、僕みたいな子供が言うのはおかしいとは思いますけど、涼夏さんは親失格なんかではないと思います。……千夏さんは素敵な女性です。その、外見もそうですけど、きちんと礼儀正しくて、人が悪く言われていることにも毅然と言うこと言えて、内面も」
僕がこんな事を言うのは生意気なのだと思う。でも、この場で、先程の会話を聞いていたのは僕しかいなかった。何より、このままの顔をさせていてはいけない、そんな風に思い、伝える。
「……ハジメ君」
「うちの親が昔言ってたんです。その、子供の礼儀とか、品性っていうのは、どうしても幼少期から共にいる時間が多い、お母さんの影響が大きいって…………まぁ、その時はだからあんた達は礼儀正しくしなさいよみたいな冗談含みだったんですけど、それはその通りだと思ってて、そういう意味だと、きっと涼夏さんは親失格とかじゃないと思います…………ただ」
言葉を切って、扉の外を見る。
その先の言葉は言えなかった。
「…………もしかしたら、父親についても、千夏から何か聞いてた? というか、あの子、そこまで貴方に話しているのね」
「ええ、事情については一通り…………後は、千夏さんはお父さんっ子だったと、少し厳しいけど優しいお母さんと、自由にさせてくれる甘い父親、と」
「……だから意外だった? あの人があんな風に言うの…………何ていうか、そういう人だったのよ。自分にも他人にも甘くて、それでいて細かいとこも世間も気になるのに、自分が悪者にはなりたくない人。あの子が今の高校に行くときも、決して良いとは思っていなかったのに、都合の悪いことは私に言わせて、自分は娘に甘い父親をしつつ、最低な裏切りなんてする人…………いや、ごめんなさい、こんな事、他人に、ましてや娘の友人に聞かせる話じゃなかったわね」
先程のやりとりだと、南野が言っていたようなイメージとはかなり離れた言葉を言っていたのは男性の方だった。正直違う人なのではないかと疑ったくらいだ。
しかし、やはり彼が父親なのだとすると、もしかしたら状況が変わったからなのかとも思ったが、涼夏さんの様子を見ると、元々そういう役割だったということなのだろう。
躾として厳しくする役目と、甘やかす役目。本来それは、きっと話し合ってどちらがとなるものなのかもしれないが――――。
そこまで考えてふと、僕はどこまで踏み込もうとしているのか、そう思って我に返る。
涼夏さんは、先程までの悲しげな笑みはなく、純粋に興味深そうな表情を浮かべて僕の方を見ていた。
「不思議な子ね。何というか、千夏と同世代とは思えないわ…………その、ご家族のことは、簡単に千夏から聞いたのだけど。だからなのかしらね、だとしたらごめんなさい。大人であらねばならなかった貴方に、そういう気を遣わせてしまっていることに」
「…………いえ、正直僕には、高校の付き合いよりもこちらの方が平常で気楽だったりしますので」
「そう、ありがとう――――さて、じゃあそれはそれとして、本題に入りましょうか。私がいない間の千夏を心配してくれていると聞いたのだけど」
「ええ、とは言っても、僕がバイトの無い日にご飯でもってだけなんですけどね。ただ、やっぱり僕は親がいないので、先日のこともありますし、きちんと涼夏さんにもお話しておくのが筋かな、と…………あの、何でしょうか?」
クスクス、と笑う声に、僕は涼夏さんに問いかける。
――――というか、僕が言葉を重ねるごとに、意味ありげな笑みを浮かべるのは辞めていただけませんかね?
そうして、話すごとに、恐らくは本来のペースを取り戻していく涼夏さんにからかわれながら、僕はいくつかの提案と決め事を約束させられるのだった。
意識している女の子の母親にからかわれるというのは、思った以上に恥ずかしいものだったとここに付け加えておく。




