89. 暗転
王宮に戻ってすぐリーンを錬金術室へ運ぶと、夜だというのにラセット副室長を含む四人がまだ居残っていた。
「魔力切れを起こしていますが無事です。どこか寝かせる場所はありますか」
「奥に仮眠室がありますのでそちらへ」
ベッドへ寝かせると、誘拐が発覚した際に温室で気を失っていた女性が、泣いてリーンにすがった。彼女もずっと気が気じゃなかっただろうな。
「本当にありがとうございました」
あらためてラセット副室長に頭を下げられた。
「いえ、俺が一人で助け出したわけじゃありませんから。それに俺は礼を言われる立場じゃありませんよ」
「ああ、それもそうですね。もうお二人が一緒になって半年以上、いや、もうすぐ一年になりますからね。立派な旦那様にこのような言い方は失礼でした」
「いえいえ、俺などまだまだです。副室長のような保護者が彼女の側にいてくれて、心強いかぎりですよ」
茶化すように返すとラセット副室長は本気に取ったのか、「室長の保護者はちょっと」と難しい顔になってしまった。
そういえばまた髪が薄くなったような……いや、気のせいだな。
他の室員たちにもリーンの無事を知らせたらしく、続々と錬金術室員が集まってきたので、後のことはラセット副室長に任せて、俺は王宮騎士隊へ向かうことにした。
王宮騎士隊の本部には、スレート王宮騎士隊長と共に近衛師団員がいた。
リーンの無事と伯爵を捕らえたことを話すと、職務に忠実な近衛師団員に、引きずられるように近衛師団に連れて行かれた。
現場の方は、スレート王宮騎士隊長がこれから直接向かうと言っていたので問題ないだろう。チリアン隊長もまだ残っていることだしな。
そういえばチリアン隊長は、護国騎士の制服ではなかったものの、女装でもなかった。女中の格好を人目にさらさず済んだのはいいが、いったいいつ着替えたんだろうか。
なんて現実逃避をしていたら、ばしりと机に書類を叩きつけられた。
「聞いているのですか、コルク副隊長」
「はい、勝手な行動をして申し訳ありませんでした」
「あれほどクリムソン伯爵に手を出すなと言ったのに、正面から乗り込むなど、成功しから良かったものの、もし失敗していたら逃げられただけではなく、こちらも痛手を負っていたところですよ」
ただいま俺はメイズ近衛師団長に、こんこんと説教を受けている最中である。
怒られることをした俺が悪いのは分かるが、緊急事態だったということもぜひ考慮してもらいたい。
「ですがまあ、リーンを助け出したことに関しては評価します。あのまま隣国にさらわれていたら、大変な騒ぎになっていたでしょうからね」
「やはりクリムソン伯爵は隣国と繋がっていたのですか」
「ええ、あなたたちがレンタ商会から手に入れてくれた書類に、商会を通じてやり取りをしていた記録がありました」
チリアン隊長とシリウスが女装までした甲斐があったというものだ。
「この後の取り調べは分担して行いますが、護国騎士団には例の酒場とレンタ商会を受け持っていただきます」
「クリムソン伯爵の方は王宮騎士隊ですか」
「いえ、そちらは我々が受け持ちます。王宮騎士隊には、我々の下で警吏の取り調べを行っていただきますが、まず何よりも王宮の警備体制の見直しが最重要課題でしょう」
近衛師団の負担が大きいような気もするが、事件が事件なだけにそうせざるを得ないのかもしれない。
「王宮で誘拐騒ぎなど本来ならありえないことです。ましてや錬金術室長という国の要職に就いている者を、易々と敵の手に渡したなど、まだまだ指導が足りないようですね」
メイズ近衛師団長の眼鏡がきらりと光った。
王宮内に手引きする者がいたからこそ成功した誘拐だが、警備が甘かったことは否定できないだろう。王宮騎士隊には、ぜひ気を引き締めて職務に当たってもらいたい。
「それでリーンが気を失っているのは、魔力切れを起こしただけなのですね?」
「はい。少し怪我を負っていましたが、そちらはポーションで治療済みです」
なんだかんだ言いつつ心配はしていたようで、メイズ近衛師団長は神経質そうに眼鏡の位置を直した。
「護国騎士団もまだ忙しい最中でしょうから、あまりくどくどとは言いませんが」
いや十分くどいと思う。説教が始まり、既に二十分は経っている。リーンならとっくに怒りだしているところだ。
「次に同じようなことがあれば、命令違反として処罰も覚悟してください」
「肝に銘じます」
ようやく長い説教が終わり、護国騎士団へ戻れることになった。あー、疲れた。
これで一息つけるかと思ったが、早くも王都の南西へ出かけていた分隊が戻ってきて、今度はその報告を受けることになった。
現場がそう遠くない場所で、ブラックスライムもさほど大きなものではなかったため、すぐに退治できたようだ。
現場の近くからは、震えて動けないでいたクリムソン伯爵の部下も発見され、主人に言われてスライムを運んだとの証言も取れた。そのままブラックスライムに始末させるつもりだったのかもしれないが、それはこれからの取り調べで分かってくるだろう。
他の場所に向かった奴らも無事にブラックスライムを退治できたようで、次々と先ぶれの報告が入ってきた。専用のポーションが用意されていたおかげで、解決も早かったようだ。
それからレジ―の父親も無事に救出された。酒場の隣の倉庫に監禁されていたらしく、大きな怪我はなかった。但し体力が落ちて弱っているため、しばらくは養生が必要だろう。
ひとまずレジ―たちと引き合わせ、風呂や着替えなどの世話は任せた。
そうして情報を整理しているうちにも、チリアン隊長たちが戻って来た。
クリムソン伯爵の屋敷は、王宮騎士隊と近衛師団の応援が到着したため引き上げてきたようだ。
クリムソン伯爵はそう遠くまでスライムを運ぶことができなかったらしく、第二、第三、そしてもう一つの分隊も夜中のうちに戻って来て、気づけば朝日が昇っていた。
「さすがに眠いですねえ」
「間もなく取り調べが始まる。気を抜くな」
徹夜の跡がまったく見えないチリアン隊長は、いつの間にか騎士隊の制服に着替えている。
「うちの担当人数が多すぎるんですよ。酒場にいた奴らが二十人に、商会側が使用人と売り子を合わせて五十人とか。レジ―の親父さんもいるし、商会だけでも王宮騎士隊に分けてやれば良かったのに」
「王宮騎士隊とて、錬金術室長をさらった者たちを聴取し、そのルートを明かすという使命がある」
リーンが王宮から連れ去られたことは、王宮騎士隊の失態である。再発防止のためにも早急に取り組まねばいけないだろうが、それでも割合的にはずいぶん軽いと思う。
「まあ近衛師団に比べたらましですけどね。警吏とクリムソン伯爵に連なる者をこれから調べるそうですからね」
「伯爵家の使用人たちの取り調べもすべて行うらしいな」
それだけクリムソン伯爵の関係者を重く見ているのだろう。もしブラックスライムの作り方を知っている者が、伯爵以外にもいたら一大事である。
「ところでどうして物置の奥にブラックスライムと入っていたんですか。あいつらリーンを国外へ連れ出す予定だったんですよね」
「当初はあの隠し部屋に錬金術室長を閉じ込め、見張りをつける予定だったのだが、私が男だと露見し護国騎士団だと名乗ったことで、クリムソン伯爵がブラックスライムを出して来たのだ」
「それじゃやっぱり、あそこでブラックスライムを作っていたんですね」
自ら魔物を家の中に引き入れるなんて信じられない。
「あの状況でブラックスライムをどうにかできたのは、錬金術室長だけだからな。邪魔な者たちを締め出して、閉じこもることにしたのだ」
「俺が駆けつけたときには、倉庫の周りには誰もいませんでしたけどね」
「では逃げる算段でもつけていたのだろう。とはいえ錬金術室長を連れていなければ隣国へ逃げ延びても、いや、ブラックスライムだけも十分な取引材料となるか」
あのタイミングでの押し込みは間一髪だったようだ。
「それでブラックスライムの作り方は分かったんですか」
「詳しくは分からん。だが変異するきっかけはポーションだ」
ポーションとは治癒ポーションだろうか。
「まさかスライムに治癒のポーションをかけると変異が起こるんですか?」
「ただの治癒ポーションなのか、特殊なポーションなのかは分からない。ただスライムは明らかに普通のものではなかった」
「と言うと?」
「一抱えもある大きさで、赤くどす黒い血のような色をしていた」
嫌なことを思い出してしまった。
「クリムソン伯爵の屋敷には、行方不明者が七名いました」
「七? もしスライムにその者たちの血を与えたのだとしても、数が合わんな。それに北の森での騒動は一ヶ月以上前のことだ。それとはまた別に行方不明者がいた可能性があるということか」
「まだ隠しているスライムがあるのかもしれませんね」
「取り急ぎ近衛師団へ知らせた方がいいな」
こうしてまた俺が近衛師団へ走ることになった。事が事なので、手紙鳥ではなく直接話した方がいいだろう。
近衛師団長はいつも以上に険しい顔をしていたが、俺の話を聞き終えると大きく息を吐き、きっちり口止めをしてきた。はい、すべて俺たちの予想であり、誰にも話したりはいたしません。
しかし俺たちの予想通りだとすると、クリムソン伯爵の命令で、各地にスライムを運んでポーションをかけた者たちが存在することになる。
そいつらの行方も探さねばならず、近衛師団長の立場を考えると、あの仏頂面も頷けるというものだ。
「もしそいつらがブラックスライムに飲み込まれてしまっていたら、探しようがないですよね」
執務室に戻っても気にかかって、おもわずチリアン隊長に同意を求めたくなった。
「そうだな。北の森の番人は、結局見つからないまま、ブラックスライムの被害者とされたからな」
そういえば北の森の騒ぎの際、森番たちは早くにその姿を消してしまっていて、その後見つかることはなかった。
クリムソン伯爵はどうしてあんな魔物を作ってしまったんだろうか。それもまた、これからの取り調べで分かってくることだろう。
「ところで錬金術室長は、そろそろ目覚めてもよい頃ではないのか」
「そうですね、目が覚めたら錬金術室の奴らが教えてくれるはずですが」
タイミングよく執務室の扉がノックされた。リーンが起きた知らせかと立ち上がって扉を開けると、そこに立っていたのはまさかの本人だった。
「リーン! もう起きて大丈夫なのか」
「ええ、迷惑をかけてごめんなさい。お礼を言いたかったから直接来たの」
「無理しなくとも俺が錬金術室へ行ったのに」
やはりまだ顔色が良くない。
「もう大丈夫よ。護国騎士団はまだ忙しいんでしょう」
「べつに少し抜けるぐらい平気だよ」
「まずチリアン隊長にお礼を伝えたいのだけどいいかしら」
どこか硬い表情のリーンが俺の側を通り過ぎて、チリアン隊長の前まで歩いた。
「助けてくださってありがとうございました。あのときあなたが来てくれなかったら、さらに別の場所へ連れ出されていたかもしれません」
そう言ってリーンは頭を下げた。
「私は自分の職務を全うしただけです。どうぞお気遣いなく」
チリアン隊長も立ち上がり返礼した。なんだろう、リーンの様子がおかしい。どこかよそよそしいというか、他人行儀だ。
「コルク副隊長も、ありがとう」
「あ、ああ」
どうしてそんな呼び方をするんだ。錬金術室長として礼を述べているからか。いや、そんなことは一言も口にしていない。
「それから、少し話があるの。手の空いた時に声をかけてもらえるかしら」
リーンの様子からして良い話だとはとても思えない。
「それならば私はしばし休憩を取るので、ここを使うといい」
心の準備が出来ていないのに、チリアン隊長が余計な気を回して出て行こうとする。
さっき俺に気を抜くなとか言ってましたよね。仕事は山ほどあるんですけど。そんな心情を込めて見つめるが、チリアン隊長は一顧だにしなかった。
知ってたけど。そういう人だって、知ってたけど。




