88. 誘拐08
物置から飛び出ると、リーンが男にナイフを突きつけられていた。身なりからしてこの屋敷で働いている者ではなさそうだ。馬車でリーンと一緒に、この屋敷へやって来たという奴らだろう。
「リーン!」
「おっと近づくなよ、女に傷が付いてもいいのか? 魔法を放つよりこのまま首を掻き切る方が速いぞ」
この声は酒場で荷車を検めていたときに聞こえて来た声に似ている。これまで逃げおおせていた夜盗団の一人か。
「夜盗の次は人さらいか。もっと明るい転職先を探したらどうだ」
リーンから少しでも意識を逸らしたくて軽口をたたくと、男はいやらしく口元を歪めた。
「なんだ、俺が夜盗団の残党だってばれちまってんのか。まったくお前らのせいで散々な目に合ったよ。だがそれもここまでだ。てっきり魔物に喰われたと思ったが、女がまだ生きていたなんて俺たちは運がいい。馬を三頭用意しろ。王都の門も開門してもらうぞ」
にやにやと男が要求を突き付けてくる。跳ね除けられると考えていない辺り、この国に置けるリーンの重要性は既に知っているのだろう。
「大人しくしてろよ。お前は大事な商品だからな」
馬を三頭ということは、あと二人仲間がいるのだろうが、その中に伯爵は含まれているのだろうか。
「早く馬を用意しろ! 馬にはそれぞれ金貨百枚と、食料と水を五日分付けろよ」
男はリーンを盾にしているので、攻撃魔法を放てば彼女にまで当たってしまうかもしれない。だからといってこのまま要求を呑む訳にはいかず、チリアン隊長と視線を交わした。
「金貨を用意するには時間が掛かる。すぐにとはいかない」
「馬鹿言え、この屋敷にある金を使えばすぐだろうが」
伯爵家であればもっと多くの金貨を用意することも可能だろう。しかし逃げる邪魔にならない程度の重さをこの男は要求しているのだ。実に手慣れている。
「食料だって捨てるほどあるしな。さっさとしねえとこの女の顔に傷がつくぞ」
首に腕を回されているせいでリーンは苦しそうだ。いや、さっきのブラックスライムをアルケミックスペースで削ったせいで、魔力が足りていないのかもしれない。
「奴の言う通りに用意をしろ」
チリアン隊長の指示に、すぐさまルッカリが走り出した。
捕らえた夜盗団の聴取では、逃げおおせた二人は火魔法が使えるという話だった。迂闊に動くとリーンが危ない。
「この屋敷にいる俺の仲間と、それから伯爵を呼んで来い」
「クリムソン伯爵も連れて行くつもりか」
「もちろんだ。俺たちだけじゃ相手が取引に応じない可能性もあるからな」
慎重なことだ。もしかしたら貴族を連れていくことで、俺たちが手を出しにくくなるよう、牽制の意味もあるのかもしれない。
「相手というのは隣国のことだな」
「なんだ、自信たっぷりだった割に、全部ばれちまってるんじゃねえか。これだからお貴族様は詰めが甘い」
「クリムソン伯爵は既に罪人だ。彼女を連れて行ったところで、隣国が約束通り取引に応じるかな」
「人身売買に罪人も貴族も関係あるかよ。あいつらはこの女、俺らは金さえ貰えりゃそれでいいんだからな。その後、伯爵様がどうなろうが知ったこっちゃねえ」
しゃべり過ぎたと思ったのか男が一つ舌打ちをした。
「こんな話で時間稼ぎのつもりか。さっさと仲間と伯爵を連れて来ねえと、この女を死なない程度に痛めつけるぞ」
「止めろ!」
おもわず足を踏み出しそうになりチリアン隊長に腕で制された。
この騒ぎに駆けつけて来た部下がいたので、すぐにクリムソン伯爵たちを探しに行かせた。
「ふん、いくら傷をつけようが、どうせポーションで治せるってのに何をむきになることがある。ああ、そうか、お前がこいつの旦那か」
嫌な笑みを浮かべている男を睨みつけた。
「不運だよなあ、あんたも。貴族でもないのに蝶よ花よと持ち上げられてきた女なんて、面倒くさいだけだろうに。たった一回寝たくらいで嫁にしなきゃいけないなんてよ」
リーンの表情が凍った。
「それとも幸運だったと思うか、金の卵を産む錬金術師様を嫁にできて」
挑発されていると分かっていても乗らずにはいられなかった。
「殺されたくなけりゃ今すぐその汚い口を閉じろ」
「やめろ、コルク。この手の輩には何を言っても無駄だ」
強く握った拳を今すぐあいつの顔に叩きつけてやりたいが、リーンの首に腕を回したままナイフを顔に向けているので迂闊に動けない。
「この手の輩ねえ。まったく騎士ってのは偉そうでいけねえ」
男の目はどろりと濁っている。
「誰が好き好んで夜盗なんかやるか。他にやれることがねえからなったに決まってんだろ。真っ当に働いたところで得られるのはわずかな金で、それすらも自分一人が暮らしていくのに足りるかどうかだ」
騎士だって最初から十分な給金を貰う訳ではない。正直、仕事内容に比べたら安いものだ。だがこいつにそんな話をしたところで通じるとは思えない。
「夜盗で稼いでそろそろ足抜けしようかってときに、お前らのせいで計画がパーになった。憎たらしいよなあ、ほんと」
腕の力を強めたのかリーンが顔を歪めた。
「この錬金術師だってそうだ。持って生まれた能力のおかげで、食うものにも住む場所にも困らねえ。隣国に売ったところで、飼い主が代わるだけのことじゃねえか。旦那だって新しく用意されて、今の生活なんざすぐに忘れるさ」
どこまでもリーンを愚弄する言葉にそろそろ我慢の限界だ。
クリムソン伯爵と仲間が揃ったときが狙い目だ。きっとその瞬間はこいつの気が緩む。背後から蔓植物を使って縛り上げればあとはこちらのものだ。
しかし、ふいにそのときリーンと目が合った。何かを訴えかけるような視線に嫌な予感が膨らむ。
「待てリーン!」
「あ?」
声を上げた俺を男が訝しんだ。その隙にリーンが自分の胸元に手を当てた。そこには俺が秋祭りでプレゼントした結界を作るペンダントがある。
男の頭の上に結界ができた。それがまっすぐに落ちて鈍い音が響く。
「ぐっ!」
男の腕が、ナイフが、リーンから離れた。
咄嗟に蔓魔法で男の腕の自由を奪うと、その足元も凍り始め、こちらはチリアン隊長の仕業だろう。
よし、今だ!
「リーン!」
名前を呼んで飛び出すとリーンは男から離れたが、足がもつれてその場に倒れた。
「このくそ女!」
男が蔓を引きちぎろうと暴れたところに、背後から何かが飛んできてその頭に当たった。その隙にリーンを自分の方へ引き寄せる。
みるみるうちにチリアン隊長の作った氷も広がり、とうとう頭の先まで氷で覆われた。これで男は動けなくなった。
リーンは肩で息をしていて、男のナイフが首に当たったらしく血が流れている。
「ちょっと待て、今ポーションを」
腰元のケースを開けたところでリーンの体がぐらりと揺れた。両腕で受け止めると、気を失っていた。
結界のペンダントを発動するには、わずかだが魔力がいる。リーンは最後の魔力を振り絞って結界を作り出したのだろう。
「コルク副隊長、無事ですか」
男の向こうからルッカリが走ってきた。
「さっき何か投げたのはお前か」
「はい。ちょうど行き合った奴に金貨と馬の用意を頼んで、戻って来たところでした」
「助かったよ。腹を刺された仕返しはしっかりできたようだな」
「こんなもんじゃ全然足りませんよ」
チリアン隊長もこちらへ寄って来た。
「あの結界は錬金術室長が出したのか」
「ええ、結界を作れる魔石を身に着けていたので」
「なかなか斬新な使い方だったな」
「俺も勉強になりました」
役に立って良かったのか悪かったのか、普通は攻撃を防ぐために使う結界をまさか物理攻撃に使うなんて、リーンらしいというかなんというか。本当に無茶をする。
「あ、死なないうちにこいつの身柄を確保しておかないと。隊長、氷を融かしてもらっていいですか」
「うむ」
男は既に気を失っていたが、氷が融けると、ルッカリは素早く蔓植物でその体を縛った。
「ジョニー!」
移動させようとしたところで、遠くから誰かが走って来た。その手には剣が握られていて、きっと夜盗の残党だろう。
リーンをそっと床に寝かせた。
「俺が行きます」
腰の剣を抜き、向かってくる男の方へと歩き出した。
先程ブラックスライムを倒したときに、剣が溶解液で少し溶けてしまったが、一人を相手取るなら十分だ。
「そこをどけ!」
「断る」
大きく振りかぶった剣は隙だらけで、仲間を早く助けたい気持ちが先だっているのが分かる。共に悪事に手を染めた者同士、こいつらはこいつらで助け合って生きて来たのだろう。
だが、だからといって人の者を盗んだり、暴力を振るってよいという理屈はない。
勝負は一太刀でついた。
向かって来た男は地面に倒れた。殺してはいない。こいつはこれから法によって裁かれなくてはいけない。己が犯した罪によって苦しめられた者たちが、裁きの時を待ち構えているのだ。
こちらの男もルッカリが蔓植物で縛り、駆けつけてきた他の護国騎士と連携して二人を運び出し始めた。
「クリムソン伯爵も捕らえたようだな」
チリアン隊長の視線を追うと、顔面蒼白のクリムソン伯爵を王宮騎士たちが支え、ここまで連れて来ていた。
「お前は錬金術室長を王宮へ連れて行け。ここは残った者で対応する。護国騎士団からは何人を連れて来たのだ」
「十人です。その他に王宮騎士隊が二十人います」
「ずいぶん少ないな」
「ブラックスライムが四ヶ所に発生したので、そちらに人員を割きました」
「ふむ、我々の意識を外に向けるような話をしていたが、やはりブラックスライムを使ってきたか」
俺たちが着く前に、クリムソン伯爵から何か聞かされたのかもしれないが、詳細を尋ねている時間はない。
「うちと第二、第三で隊を組み直し、それぞれ現場へ向かいました。第四、第五は別件で遠征に出ています。また奴らの根城であった酒場とレンタ商会にも人手を割いています。クリムソン伯爵は海から逃げようとしていたらしく、そちらは近衛師団長へ伝えてあるので、手を回してくれているはずです」
これまでの経緯を簡単に報告し、この場はチリアン隊長へ任せることにした。
リーンを抱き抱えたまま外に出た。この騒ぎに、屋敷の周りに人が集まって来ている。
ここまで一緒にやって来た馬のマリーは頭が良く、気を失ったリーンを乗せようとしたら、その場にしゃがんでくれた。
本当はこのまま家に帰って、目覚めるまで側にいてやりたいが、まだ後始末が残っている。それに錬金術室でもリーンが無事に戻るのを待っているはずだ。
マリーが歩き出してもリーンは目覚めない。呼吸は安定しているが顔色は悪いし、魔力が足りていないせいか体温も低い。
それでも無事に戻ってきてくれた。これでやっと二人で家に戻れるんだ。




