42. 北の森と魔物
エリオット陛下が訪れた翌日、家に帰ると干し肉がテーブルに並べられていた。それぞれ色が微妙に異なっている。
「スパイスの分量もだけど、水分量も変えてあるの。色の濃いものの方が日持ちするけど、その分食感は硬いわ。味見してみる?」
「うん、食べてみたいな」
一番色の濃いものは俺でも噛むのに苦労するほど硬かった。だが普段騎士隊で食べているものよりずっと風味がいい。噛めば噛むほどうま味が出る。
「これは美味いな」
「元の肉がいいからね。本当は干し肉にするのも勿体ないんだけど、おすそ分けするのも憚られるしね」
国王陛下からの贈り物をおいそれと他人にあげられるわけがない。
「そもそも肉の出所を説明できないしな」
お忍びでやって来たわけだし。
「こっちはベーコンにしたけど、二週間くらいしかもたないと思う。干し肉にはなるべく脂身の少ない部分を使ったから、ベーコンは脂身が多めになっちゃったの」
「いいんじゃないか。薄く切って焼くとカリカリになって美味いし。今夜はどうやって食べるつもりなんだ?」
「ステーキよ」
リーンの声が弾んでいる。その気持ちは分かる。干し肉でこれだけ美味いのだから、生で焼いた肉への期待も高まるというものだ。
ずいぶん大量に貰ったらしく、少し味は落ちてしまうが、魔石を使った冷凍保管庫にも詰めたと聞いて、気になったので覗いてみた。なぜか銀色の立方体がきっちり隙間なく敷き詰められている。
「この銀色の物体は何なんだ?」
「薄く延ばしたアルミウム。肉をブロック状に切り分けて包んだの」
「アルミウム?」
「最近、ある岩石から発見された素材なの。軽くて加工しやすいから、そのうち市井にも流通するはずよ」
「貴重なものじゃないのか?」
「素材だけなら安価ね。ただそこまで薄く加工できるのは、今のところ私だけなのよ」
珍しくちょっと得意げにリーンが言った。
「これで肉を包んで凍らせることにどんな利点があるんだ?」
「肉に限らず食材の酸化や乾燥を遅らせてくれるの」
「へえ、売り出したら儲かりそうだな」
「そのうち薄く延ばす魔道具が開発されて、市販されるようになるかもね」
あまり商売っ気のないリーンは冗談のように笑っているが、チリアン隊長辺りが知ったら想像力豊かに使い道を考えてくれそうだ。言ったら最後、また錬金術室へ遊びに行く頻度が高まりそうなのでわざわざ教えないけど。
チリアン隊長は他の脳筋隊長たちのように書類仕事を後回しにしたり溜めたりするわけじゃないが、あまり通いすぎて迷惑に思われては困る。夢中になると周りが見えなくなる人だからな。
別に俺のいないところで仲良く話されるのが嫌なわけではない。
カウ・アントラーズの肉は、焼いているときから腹を刺激する匂いを漂わせていたが、実際に食べたら言葉がすぐには出て来ないほど美味かった。口の中で脂がとろけていく。
「初めて食べたけど本当に美味しいわね」
「ああ、今まで食べた中で一番かもしれない」
リーンはおかわりをその場で作ってくれて、合計で三枚も食べてしまった。でも胃もたれも胸やけもない。
「明日もステーキでいいかな」
「ぜひそうしてくれ」
良い肉はシンプルな食べ方が一番美味い。
次の日は特製ソースがけ、また次の日はブラウンシチューを作ってくれて、心ゆくまでカウ・アントラーズを堪能した。
国王陛下バンザイ!
「その様子だと錬金術室長との仲は幾分深まったのか」
そういえばそんなことを考えていたが、国王陛下の隠れ行幸ですっかり忘れていた。
「特に変わりはありませんよ」
「ではここ数日は何をそんなに浮かれていたのだ」
「いや、美味しいお肉をいただいたので毎日の夕食が楽しみで」
チリアン隊長は呆れを隠さずため息をついた。
「色気が食い気に負けたか」
「そんなことはありません。俺は隙あらばリーンとの仲を深めようと考えています」
「女性の隙を捜すのもどうかと思うがな。ところでその肉というのは職務規程に違反するような貰い物ではないだろうな」
「違いますよ、そんなことしませんって」
「あまり浮かれて仕事をおろそかにしないように」
「安心してください。俺はいつだって真面目に仕事に取り組んでいます」
「当たり前だ。そうでなければとっくに降格させている」
怖いことをさらりと言われた。気を引き締めて仕事に取りかからねば。
「ですが隊長だって、暇を作っては錬金術室に遊びに行ってますよね」
「遊びに行っているわけではない。業務上の相談に行っているのだ」
その割には嬉しそうに通ってるよな。こっそり行っているようなのでまだ他の隊長にはばれていないが、あの人たちが気づいたらきっと大騒ぎになるぞ。俺は庇いませんからね。
「とにかく仕事に影響が出ないように気をつけよ」
「承知しました」
気を取り直して仕事にとりかかろうとしたところで、急ぎの案件が舞い込んできた。
王宮の北側に広がる森で、正体不明の大きな黒い影が目撃されたらしい。魔物であれば国を揺るがす一大事である。
北の森は東西に長く伸びている。はるか北側には人が通れないほど険しい岩山があり、王都を護る天然の防壁となっている。南北に通り抜けるなら馬で三十分、東西に抜けようとしたら馬で二時間はかかるだろう。はるか昔から立ち入り禁止区域となっていて、目撃情報は王宮内からということだ。
最初は十日前に侍従が。その二日後に官僚、そして侍女、さらに三日後にはまた別の侍従がそれを見かけたらしい。極めつけは森の管理人が二人、忽然と姿を消してしまったことだ。
北の森で何かが起きていると見て間違いないだろう。
「俺が行ってきます」
「私も行こう。魔物であれば早急に対処せねばならぬ」
普段の遠征に比べればすぐそこの距離ではあるが、念のために食料を持って行くことにした。騎士団で用意している水分を極限まで抜いた固いパンや干し肉、乾燥させた果物などを荷袋へ詰める。
そこでリーンが作ってくれた干し肉の存在を思い出した。腹が減ったときのために少しだけ持って来ていたので、それも荷袋に移す。
「自前の干し肉か?」
「ええ、リーンが作ってくれまして」
「それも錬金術で作ったのか」
錬金術室へ出入りするようになっても、いまだチリアン隊長の錬金術への興味は薄れていない。
「お分けしましょうか」
「いいのか」
まあ少しくらいなら構わないだろう。隊長なら美味いと騒ぎ立てたりもしないだろうし。
まずは下見として十人の部下を引き連れて行くことにした。黒い影を見かけたという場所を小一時間ほど馬で駆けたが異変は感じられない。
「王宮の近くに魔物なんて何かの見間違いだったんじゃないですか」
「あり得ないとは言い切れまい、奴らはどこにでも現れるからな」
「しかし王都やその周りに現れたなんて聞いたことがありませんよ」
「いなければいないに越したことはない」
馬を進めながらも部下たちの質問にチリアン隊長が答えているそのときだった。ぞくりとするような悪寒を感じると同時に馬たちがいなないた。
それぞれが暴れる馬を抑えて辺りを見渡すと、遠くに黒い影のようなものが広がった。
「証言の通りですね」
「うむ」
影はうねうねと揺れていて、どこが顔かもわからない。
「しかしここからではなんの魔物か分からんな」
「だいぶ大きいようですが」
「王宮から見えるくらいだからな」
木に阻まれて全体は見えないが、高さは二メートル程で幅は十メートル近くありそうだ。これまでどこに隠れていたのか不思議なほど大きい。
「攻撃してみますか」
「もう少し近づくまで待て」
黒い影は次第に近づいてきて、その全容が見えても、それが何なのかは分からなかった。ただただ黒くうねっている。
「あんな魔物、見たことも聞いたこともありませんよ」
「あれは木を飲み込んでるのか?」
「いったいどこが顔なんだ?」
木々をものともせず影はこちらへ進んでくる。
「影というよりは黒い水が軟体生物になったような生き物だな。まるでスライムだ」
「止めてくださいよ隊長、あの大きさのスライムなんてゾッとします」
スライムは珍しい魔物ではないが、体内の核と呼ばれる心臓部を壊さないと倒せない。近づいて来ている黒い影のように大きく、しかも体内が見えないのでは、どこに核があるのかわからない。おまけにスライムは雑食なので、あの大きさならそれこそ人でもなんでも飲み込んでしまうだろう。
消えた森の管理人たちはあいつに飲み込まれたということか?
「そろそろいいだろう。まずは風魔法から試してみる。攻撃用意!」
念のためいつでも馬を走らせられるよう騎乗したまま、隊長の合図でそれぞれが風魔法を放った。黒い影は激しく波立ったが効いたようには見えない。
「水魔法用意!」
続けて水、氷と放ったが効き目はない。
「いちかばちか火魔法を使ってみるとするか」
「炎をあまり広げるなよ、焦点をあの魔物に絞れ」
隊長の言葉に重ねて指示を出した。
森の中で火魔法は使いたくないのだが、試してみねば解決の糸口も見えない。それぞれがいっせいに炎を放つと、黒い影はより激しく波立ち、先ほどまでとは比べ物にならないほど素早く近づいてきた。
「全隊反転! 逃げろ!」
全員が同時に馬を走らせた。黒い影は追ってきたが、周りの草木を飲み込みながら迫ってくる。
「コルク副隊長、逃げろという言葉はふさわしくないな。この場合は撤退と指示すべきだ」
「結果的に変わらないんですから、どっちだって同じことですよ。それより本当にスライムのようですね。隊長が縁起でもないことをいうからですよ」
「私の言葉如何にかかわらず、あれはああいう存在なのだろう」
走りながらも土魔法を放つと、少しの間だけ足止め出来たがすぐにそれも壊された。いや、飲み込まれたのかもしれない。
こちらが魔法を放っても迫る速度が変わらないので戦いにくい。
「一度全力で魔法を撃ってみるか」
「俺が補助に回ります」
部下たちを先に行かせると、俺と隊長は速度を緩め最後尾についた。
チリアン隊長が全力を出すとなれば周りへの被害が甚大なので、魔物の周囲を結界で覆う。
強力な風魔法が放たれた。その辺の魔物であれば吹っ飛ぶところだが、奴に効いた様子はなく、また大きく震えただけだ。心なしか体積が増えた気がする。
「まさか魔法を飲み込んでいるのか?」
また襲い掛かって来ようとしたので魔物に向けて結界魔法を展開する。これにはぶつかって止まった。
「結界は効くようですね」
「しかしなんの用意もなく十メートルを超す結界を張り続けることはできない。ここは一旦引いて策を練るぞ」
大きな結界を維持するには、そのための魔具と魔石が必要だ。ここにはそのどちらもない。
結界を解いて先を行く部下たちの後を追った。
「どうします、このまま走って逃げ切りますか」
「森の外までついてこないという保証もあるまい。一旦森の中で撒くしかないだろう」
歩く魔物辞典のようなチリアン隊長ですら、あの魔物の正体に見当がつかないなんて先行きが不安すぎる。
「二手に分かれてみますか」
「あの魔物が分散できるか確かめられるな、悪くない。どちらかが捕まってもどちらかが戻れば次に繋げることもできる」
「不吉なことを言わないでくださいよ」
「いついかなるときも最悪の道筋を思い描いておくに越したことはない」
ちょうど空き地のような開けた場所に出たところで二手に分かれ、俺とチリアン隊長がそれぞれを率いる形で東西へ別れた。
しばらく走ると影は追って来なくなり、チリアン隊長たちの方へついて行ったのだろうか。




